ラプンツェル―魔女ゴーテルの物語

緑月文人

前編

昔々、ある所に一人の魔女が住んでいました。

 名前はゴーテル。彼女の庭には、色とりどりの果実や花、野菜や薬草で満ち溢れていました。

 ある日そこに無断で入り込み、作物を盗み取った者が現れました。

 このお話は、そこから始まります――



「……どういうことか、説明してもらおうか」

 隣の家に行き、フードも取らぬままゴーテルは開口一番にこう告げた。

「ど……どういうこと、とは?」

「あの……一体何のことでしょうか?」

 問い返すまだ若い夫婦の顔は、そろって引きつり強張っている。フードで顔もろくに見えぬとはいえ、細身の女に対して異常なほどおびえ切っている。

「君たちが、私の庭の作物を無断で採ったことだ」

「……!」

夫婦の眼差しに宿る恐怖の色合いが一層濃くなる。

「そ……それは」

「私が、悪いんです!」

何事か言いかける夫を遮り、妻が叫ぶように告白する。

「私が、あなたの庭のお野菜を食べたいって言って、それで……本当に申し訳ありません!」

そう言って深々と頭を下げる妻の姿に、ゴーテルは無感動な視線を注ぎふと気づいた。

「……子供がいるのか?」

 大きな玉を丸呑みしたように膨らんだ腹を見つめて問うと

「そ……そうです。こいつは身重なんです!だからどうしても栄養のあるものを食わせてやりたくて……」

「……そうか。分かった、もういい」

 夫の言葉を遮り、ゴーテルは淡々と告げる。

「……え?」

「君たちの事情は理解した」

「そ……それじゃあ」

 恐怖に強張る表情に、安堵が差し込み和らいだ。

「それで、勝手にとった作物の代わりに君たちは何を差し出せる?」

「……え?」

「さっき事情は理解した、と……?」

 困惑をにじませて問う夫妻に

「勘違いしてもらっては困る。事情は理解したと言ったが、何も支払わなくていいとは言っていない」

「そ……そんな……」

 困ったように口ごもる夫婦から視線を外して、ゴーテルは部屋の中を子細に観察する。

 狭いがさほど圧迫感がないのは、物が少ないせいだろう。

 質素を通り越して殺風景な部屋だ。夫婦の服装を見ても、金銭的に余裕がないのがよくわかる。

 哀れみも侮蔑も無く、そんな感想を胸の内でつぶやいたのちに、ゴーテルはふと思いついた。

「なら、その子をもらう」

「……え?」

 強張っていた頬を緩めて、呆けたように目を見開く夫婦に、淡々と繰り返す。

「その子をもらうといった。君たちが採った作物の代償として」

「え……?」

 かすれた声を漏らして、夫婦は硬直する。

 凍るような沈黙が流れて、狭い部屋の中をゆっくりと満たす。

「そ……それだけはどうか!」

 垂れこめた沈黙の帳を破るように、夫が叫んだ。

「お願いですから、それだけはやめてください。代わりに私の命を……」

「君の命なんてもらっても、使い道に困る」

 血を吐く様な叫びに、ゴーテルは変わらず返答する。

 嘲弄も軽侮もなく、ただ静かに。

 傲慢というよりは、単に興味がないだけといった様子だ。

「勘違いしてもらっては困るが、私は作物を勝手に取られたことに対して腹を立てているわけではない」

 鈴の音のように抑揚無く澄んだ声で冷淡な言葉を紡ぎつつ、フードの奥から視線を注ぐ。

「私は一方的に奪うことはしないが、一方的に与えることもしない。ただそれだけだよ。それとも、他に君たちに差し出せるものがあるのかい?」

 ゴーテルに問いかけられて、夫婦はそろって絶句する。

 フードの奥の眼差しも、声と同じく静かで感情が読み取れぬ。

 ただ瞳の色だけは見て取れる。真紅だ。夕焼けのようにほの暗く、禍々しい色彩を満たした双眸を見返すことができず、夫婦はただ俯いた。



 その数か月後。

 無事生まれた赤ん坊をゴーテルは、引き取った。

 食べてしまった作物を返すことはできず、他に差し出せるものを持ち合わせていなかった夫婦は、結局生まれてきた我が子を差し出す以外なかった。

 作物の対価として赤ん坊を受け取る約束を交わしたゴーテルは、出産に必要なものもあれこれと手配した。

 夫婦はそれに対して口では礼を述べたものの、その眼差しに含まれた感情は初めて会った時と変わらなかった。

 ――『魔女』に対する畏怖と嫌悪。恐怖と侮蔑の色は。


「……まあ、今に始まったことではないか」

 別段腹も立たない。

 否、腹を立てる――ということがどういうものか、ゴーテルは分からない。

 他人からどんな感情や言葉をぶつけられても、何もこみあげてこない。

 ひたすら虚ろな心持で、魔法に関する研究をこなし、依頼があれば対価を要求して応じて、日々を過ごすのみ。

 それを不満だとさえ思わない。むしろありがたいとさえ思う。

 普通の人間のように、喜怒哀楽が備わっていたら、『魔女』にぶつけられる感情と一人で過ごす長すぎる時間に耐えきれずに精神を病む可能性もあるのだから。


「……だう」

 不意に、抱えていた赤ん坊がゴーテルに手を伸ばす。丸々と膨らんだ小さな手が魔女の頬をぺちぺちと叩く。

 その拍子にかぶっていたフードがずれて、ゴーテルの素顔がわずかにのぞく。

 肩に触れる程度の長さの髪は白い。色素が薄い金髪――ではない。色素そのものが抜け切ったように白いのだ。

 皮膚も同様に白い。そのせいで、紅い瞳が妙に目立つ顔は若々しい。せいぜい二十歳前後ほど。

顔立ちは整っているが、『魔女』という言葉からイメージされる禍々しく妖しい雰囲気とはかけ離れている外見である。

 髪の長さと飾り気のない黒衣も相まって、中性的な印象を醸し出している若い娘にしか見えぬ。

「……」

 魔女の素顔を恐れも驚きもなく、赤ん坊はじっと見つめてにかっと笑う。

 ぷくりと膨らんだ手で白い髪をつかみ、口に含もうとして

「……やめなさい。これは食べ物ではない」

 ゴーテルが無表情で制止すると、赤ん坊はきゃっきゃっと笑う。

 今まで自分に向けられたことのないこぼれるような笑いを、ゴーテルはしばし無言で眺める。

「……そういえば、まだ君の呼び名を決めていなかったな」

 しばし、眉をひそめて考え込む。

 そういえば、あの夫婦が採った作物の名は何と言ったか、そう――

「……ラプンツェルだったな。今日から君はラプンツェルだ」

 そう告げると、赤ん坊はまたはじけるような笑いをこぼした。



 それから流れるように月日が経って、赤ん坊はすくすくと成長して愛らしい女の子になった。

「ラプンツェル。帰るぞ」

 森での薬草の採取を終えて、ゴーテルはラプンツェルに声をかける。

「はーい!」

 高く愛らしい声で返事をして、ラプンツェルがとことことかけてくる。

 色濃く鮮やかな金髪をなびかせてゴーテルに抱きつく。

 朝露をまとった若葉みたいに、瑞々しく明るい緑の瞳がきらきらと輝きながら見上げてくる。

「おばあちゃん、もう薬草採るの終わったの?」

「ああ」

 外見はせいぜい二十歳前後にしか見えないゴーテルが、『おばあちゃん』と呼ばれ、本人も怒りもせずに受け入れている。

 傍から見ればさぞかし奇妙な光景だろう。

森の中で遊んで乱れたラプンツェルの髪を、ゴーテルが手早く整えていると、

「ねえねえおばあちゃん」

「ん?」

「私の髪はどうして普通のはさみじゃ切れないの?」

「おそらく、君の母親が食べた作物の影響だろう」

 問いかけられた質問に、ゴーテルはいつも通りに淡々と答える。

「作物?」

「ああ。あれは魔法を併用して育てていたからな」

 ラプンツェルの髪は、魔力を込めた刃物ならば切ることができるが、通常の刃は通らない。

 彼女を作物の対価として要求したのは、用いた魔法の影響がどこまで出ているのか、観察し把握するためだった。

 なおもあれこれと話しかけてくるラプンツェルに、言葉少なに答えつつもゴーテルは進む。

 家の間近までたどり着くと、ちらりと隣の家に目をやる。夫婦は赤ん坊をゴーテルに手渡してからしばらく後にどこかに引っ越してしまい、今は空き家と化しているのだが。

「……親が恋しいかね?」

 不意にゴーテルの口から、そんな問いがこぼれて落ちた。問いかけた後に、引き離しておいて今更何を言うのか、と自分でもあきれてしまう。

「ううん。私おばあちゃんと一緒にいたい」

 ラプンツェルは首を横に振りながらそう答える。

「……魔女にそんなことを言う子供は、今まで見たことがないな」

「そうなの?どうして?」

「魔女は大人が怖がるからな。自然と子供も怖がるさ」

 ラプンツェルの問いに、ゴーテルはそう答える。

 今まで接した人たちの視線と言葉を思い出す。

 どれもこれも、自分たちの理解を超えた技と術を使う者に抱く、本能的な拒絶の感情が色濃くにじみ出ていた。

 それでも人々が度々接するのは、魔女の知識と技術を必要としているからだ。

 おびえつつもおもねり、嫌悪しながらもどこかで畏怖を抱く。そんな矛盾した人間の心理にはもはや慣れっこだ。

「でも魔女の使う魔法は便利だから、みんな頼るでしょう?」

「便利なものには、それ相応の危険と対価が付き物だからね。それは魔女も例外じゃない。私が時折薬を調合して飲むのは見ているだろう?」

「あの苦そうなお薬?」

「あれは魔法を使うために必要な対価だ。ずっと飲まずにいれば、身体が魔法の行使に耐えきれずに、ボロボロになって死ぬことになる」

 静かな声音を変えずに告げると、ラプンツェルは一瞬立ち止まる。

「……どうした?」

 ゴーテルが問いかけると、ラプンツェルは

「おばあちゃん、お薬飲むの絶対とめちゃだめだよ?おばあちゃんが死ぬの、私やだよ?」

 幼い顔をこわばらせて真剣に言うものだから、ゴーテルは口を緩めて

「……忘れないよ、魔法に必要な作業だからね」

 と答えるとラプンツェルは安心したようにふっと息を吐いて

「でも……頼ってくるくせに怖がるって、変だよね」

「世間一般から見れば、君の方が変だと思うが」

「いいよ、変でも。私はおばあちゃんが好きだもの」

「……そうか」

 どう答えるべきか分からず、ゴーテルはただそう返した。

 今まで味わったことのない、奇妙な何かが生まれるのを感じていた。

 虚ろに冷え切った中に、人肌のぬくもりを含んだ湧水がゆっくりと注がれて満ちていくような、奇妙な感覚。

 奇妙だが心地よかった。

その感覚を定義することができないままに、ゴーテルはただそのまま緩やかに日々を過ごした。


――ある日、ラプンツェルが泣きながら帰ってくるまでは。

 

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