星鳴きの森〈 ステルラトゥス 〉

 まだ街灯さえもないこの時代。

 人々が、火を、月明かりを、夏には蛍光をも頼りに、夜道を歩くこの時代。

 その世界の片隅に、人っ子一人いないその土地が小さく存在した。そこは、神秘的と見たもの誰もが称賛するであろう小さな森があった。

 若葉生い茂る生き生きとした木々が空を覆い、小鳥たちが頭上を飛び交いながら美しい囀りを奏で、月や陽がそのうららかな光を葉の隙間から差し込ませる。

 見つかることがあれば、人々に神格化されかねないそんな場所。

 その名を<星鳴きの森ステルラトゥス>と、そこの主は勝手に名前を付けていた。

 もし人が彼女に会い、語ることができれば、彼女は得意げに言うだろう。


「ふふん、いいでしょう? 私の好きなラテン語を組み合わせたの」


 いや、ただそれだけである。なにも凝ってなどいない。

 悲しいかな、彼女にはネーミングセンスの欠片もなかった。カタカナの格好いい名前を考えたのは彼女であったが――しかも彼女は“流 星ステルラ・トランスウォランス”と“サルトゥス”をいい感じに付け合わせただけである――、<星鳴きの森>とこの森を命名したのは他でもない、彼女を生み出しここに派遣した上司、つまり神であった。

 しかし、彼女はそんなのお構いなしである。なにせ、その上司たちはこんな辺境の地よりも、人間たちの迷惑や祈りの対応で忙しいのだとか。まぁ、その話も彼女にとって知らない話であったが。

 さて、話が逸れすぎてしまったので、元に戻すとする。

 この傲岸不遜ごうがんふそんな、傍若無人ぶりを見せる彼女は、この〈 星鳴きの森 〉、彼女が言えば< ステルラトゥス >のたった一人存在する番人であり、墓守である。

 しかし、人っ子一人来ない、神にも放っておかれたこの地で、彼女は番人として一体何をするのか。それはいい質問である。


「そんなに気になるのであれば、答えてあげなくもないわよ! この地< ステルラトゥス >は、お空の上で寿命が尽き、運よく降りて来た選ばれし星々だけが休息を得ることができる場所。儚い星たちが、その最期を温かく迎えられる安らぎの地よ!

 私が、私だけがここにいて、降りて来た星たちを優しく出迎え、その慰めの御手により美しく華やかに送ってあげられる。ふふっ、すごいでしょ!

 そう、そんな天才美少女の名は、ソムニというのよ! 崇め奉りなさい! おっほっほっほ♪」


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 などと、ソムニは来たる客人のために練習を重ねていた。孤独をこじらせた中二病である。

 光の尾を引いて、小さな山吹色の玉は今日も飛び回る。それは彼女の普段の姿だった。

 ソムニは、先ほど述べた通り、死に際の星たちを癒し慰める手を持っていた。触れると、彼女の本質である温かなマナが流れ、老いさらばえた星たちを最後の最期で癒し、安らぎのままに次へと送り出す。そんな役割を負っていた。

 しかし、星の中でも運悪くここに辿り着かないものも多く存在する。というか、そんな星たちがほとんどなのだ。

 それは仕方のない事だ。どの星も地球より幾億光年遠い場所に居るのだから。

 はっきり言って、なかなか来ることのない客人を待ちながらソムニは暇をしていた。そうやって、愉快な妄想をして盛り上がるくらいには。


 ヒュッ……ン。


 ズンっと衝撃が走る。何かが落ちたようだ。

 当然、ここに来たのだから死にかけの星なのだが、この星は少し厄介で、ソムニの価値観をいい意味でも悪い意味でも捻じ曲げた張本人、いやここでは張本せいだったそうだ。

 いやはや、やっと本題に入れるようだ。



 *********


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 その星もやはり傷だらけであった。もう冷え切って、カタカタ震えていた。

 小さい星だ。あの大きな陽の玉と比べればまるで砂粒すなつぶのような。

 それは森の結界に触れ、少しづつ人の形をとり始める。“ 彼 ”は、ちょうど昇ってきた陽の光を受けながら輝き、手足を伸ばす。ソムニもそれに合わせて小さな光の姿から、腕を伸ばし足を伸ばし、彼と同じ人型をとりながら彼に歩み寄る。

 ゆるくウェーブがかかった長く豪奢ごうしゃな金髪を肩まで伸ばし、大きなフリルのついたお人形のようなドレスを身に纏うソムニと違い、彼は銀色の儚くも美しく煌めく髪を首元で切りそろえ、白いシャツと黒のスラックスを履いた姿を取った少年は、髪と同色の長い睫毛を重たげに上げて、夜の薄闇を映す大きな瞳をソムニに向ける。

 ソムニもパチパチと金の睫毛を揺らし、太陽の照り映える青空を映した瞳を彼に向けた。

 美少女と美少年。ようと陰。太陽と月であった。


「ごきげんよう、美しく小さなお星さま。あなたが最期を迎える場所、< ステルラトゥス >へようこそ。私はソムニ。ここの守り手をしているの。

 あなたの魂が無事、天に召し上げられるまで、私がお世話してあげましょう」


 ソムニがその短くも温かい手を広げ、彼を歓迎する口上を述べ立てた。

 いつもの言葉、いつものしぐさだ。彼女がこの長い年月のあいだ、極めてきた歓迎の言葉。

 相変わらず、中二病ここに極まれり、ではあったが。

 ここで星たちがとる表情、行動はその星によって様々だ。うろたえるモノ、感謝するモノ、嘆くモノ、などと、様々な感情を表出ひょうしゅつする。しかし――。


「ソムニ……。ソムニウム、意味は“叶う”だね。僕の願いを叶えてくれるの?」


 淡々と、その言葉を、ソムニの名を反復した。その顔に嘆きも悲しみも喜びも映さずに、だ。

 ソムニは彼の予想外の反応にピクリと眉を動かし、あれ? と首を傾げる。


「なにか、やりたいことがあるの?」

「遊び、たいな。一度でいいから。地球の子供たちみたいに」


 予想もしなかった言葉だった。遊びたい、なんて言う人はいなかったから。そもそも、地球の子どもたちにまで目を向ける星なんて数少ないだろう。

 それを、少年は顔色一つ変えずに淡々と述べた。

 沈黙が降りる。久々の来客に興奮していたソムニが、予想外の言葉を詰まらせる。いつもとは違う展開に、どう返せばいいか分からなかった。

 戸惑うソムニ。少年はちらとソムニを見た。夜色の瞳と空色の瞳がかち合う。


「あなた……、お名前は? 遊ぶ前に、名前を教えてほしいわ」


 おそるおそる、ソムニは言葉を紡ぐ。彼女にしては珍しい、話をつなぐための、苦し紛れの一句だった。

 正直なところ、ソムニは星々が迎える“死”に関して、大した感情は抱いていない。「楽しく安楽に、早く死んでしまえばいい」そう考えていた。だって、ソムニは死ぬことなんてできないから。彼ら星が死んでも、次の命があるのだから。

 理解なんてできるはずもなかった。死ぬ恐怖なんて彼女は知らない、分からない。

 だから、ソムニはできるだけ楽しく今回の仕事も完遂させようとする。遊ぶ、なんてとても楽しそうじゃないか。

 しかし、もうすこし少年に歩み寄る必要がある。彼女はそう感じた。この少年はまだ死ぬということをよく理解できていない、もしくは受け入れられずにいるのだ。まだ数千年しか生きたことの無い未熟なでも、ここに来た意味を少しは知ってもらわなければならない。


「僕は、セイジ・イフェマラル。僕を見つけたのが、セイジっていう日本人だったから名前は日本語だけど、そこにイフェマラル、“儚い”っていう英語を付けたんだよ。その少年が、寿命の短い自分と、小さな僕を重ね合わせてつけてくれたみたいでね……。といっても、彼はとうの昔に僕らの元へ来ているのだけど……」


 ころりと言葉を口の中で転がすように話して、少年もといセイジは儚げに笑った。

 彼が表情を変えるたび、睫毛がパタパタとせわしなく動いた。ソムニはそれをどこか玩具でも見つけたかのようにじっと見つめていた。彼は美の一文字をその身に体現している星だ。ソムニが今まであったことのない星だった。

 その表情一つ一つに目がいってしまう。頭を、視界を奪われる。ずっと黙したまま見つめていたい。そんな感覚だった。

 ぼうっと呆けていると、セイジが不思議そうな顔をする。ハッと己の役割に気づいたソムニは、少し足を踏み出しセイジに近づいた。

 少しずつ漏れ出る熱気。彼が生きていた印。これから死んでいく証。

 これが完全に冷めてしまったら彼は死ぬ。


「触れさせていただいてもよろしいかしら?」


 ソムニはそう言って手を伸ばした。セイジは少しの微笑みを返してその細くて白い腕を伸ばした。

 触れる。

 漏れ出る命の息吹を直接感じた。温かくて優しい、星のぬくもり。芯はまだ熱を持っていて、漏れ出る熱気とで考えると、……もって後一日、か。


(……惜しいわね)


 もう消えゆく美しい容姿と誠実な精神。ソムニにはなぜか、可愛く思えた。


「じゃあ、セイジ君。何して遊びましょうか?」


 ソムニの言葉にセイジは目を輝かせた。じゃあ! とセイジはソムニの手を引く。

 セイジは様々な遊びを知っていた。天中に昇った日の光のもと、彼らは森の中を駆け回った。このときばかりは、小鳥たちも周りに現れて、彼らと戯れた。鹿がその立派な背に乗せてくれた。

 かけっこ、かくれんぼ、ときにはおままごとだって。

 彼が目にして憧れたすべてを遊びつくした。ソムニは楽しかった。初めて全力で野山をかけて、息せき切って山を登った。

 儚いという名前を付けられた少年は叶えの意を付けた少女に“ 遊び ”を願う。

 何の気なしに始めた遊びが、楽しいものに塗り替えられていく。

 どこが儚いの? とソムニが少し首をかしげたほどだ。


「はぁ、はぁ、この私がこんなにも全力でやってあなたに負けるなんて」

「でも、楽しかったでしょ、ソムニ」

「ふふん。楽しかったわよ、セイジ。でも、あなたはどうなのかしら? 志願者さん」

「もっちろん♪ 楽しかったに決まってるじゃないか!」


 二人は笑う。陽だまりのように明るく、まばゆく。

 いつの間にか、呼び捨てで互いを呼んでいることさえも気づかずに。

 しかし、終わりは唐突に訪れるものだ。ソムニは握ったセイジの手が冷たくなり始めているのに気付いた。


「……セイジ」


 ちょっとした言葉。だがそれははっきりとセイジの耳に響き、セイジはソムニを見た。少し悲しげな夜色の瞳。ようやく気付いた、そんな顔だった。悲壮感にあふれた顔は、そのまま歪み、今、潤み始めた。

 初めて会ったときは、表情さえ乏しかったというのに。


「ソムニ……。楽しかった」

「うん」

「ありがとう」

「うん」


 星の死なんか、いくらでも見た。何度でも、ソムニは見てきた。この何千年と続く長い使命の中で。

 しかし、こんなに仲良くなったトモダチも居なかったし、そんな人が居なくなるのだって初めての経験だった。


「でも、わがままを言うともう少しいろんなものを見たかった」


 少年が、初めて涙をこぼしながら心の内をはっきりと吐露する。小さいながらも、その命の最期に願うこと。

 長く生きたかった。そんな、普通ならかなえられるはずの願い。しかし、星も獣もヒトも、ときには生まれ持ったものに裏切られることがある。確か、ヒトはそれを運命と呼んだはずだ。

 少年は静かに涙した。

 目からあふれた光の粒が風に流れて陽光に照らされ、きらきらと輝く。

 ソムニはさめざめと泣く少年をじっと見つめた。

 ソムニの心は風が、雨が、落雷が、吹きすさび荒れていた。悲しい辛い嫌だ行かないで。

 だが、その感情を表に出すのは今まで幾つもの星を見送った過去のソムニを否定することになると彼女は思った。ギュッと我慢する。

 ソムニは己の感情に鍵をかけた。


「大往生よ、大丈夫」

「へ……?」

「生まれて泣いた。学んで笑って、名前を付けられ、恐らく自分の寿命を知って恐怖した。そして今、あなたはここにいる」


 ソムニはセイジを満面の笑顔で覗き込んだ。


「ここがどこだか知っていて?」


 彼女はくるりと円を描いて楽しげな蝶のようにひらりと宙を舞う。

 全く話の空気を読んでいないかのような振る舞い。しかし、それは不思議と少年の癇に障らなかった。

 まるで、お城の舞踏会に来たはいいものの、相手が見つからず、一人でくるくると調子はずれのダンスを踊るおてんば姫のように。とても無邪気にかわいらしい仕草であった。

 その滑稽さと華やかさは、セイジの涙を引っ込ませ、緊張していた眉尻を下げさせた。


「ここは、<星鳴きの森>。私、ソムニが癒しの御手により、安らぎの死を与える場所よ! 初めに言ったでしょう? あなたの悲しみ、悔しさ、怖さをすべて私に委ねなさい!」


 グイっと突っ込んできたソムニは、その勢いを嘘のように引っ込めて、優しく彼をその腕の中に包み込んだ。


「だから安心して、あなたが生きた意味、存在は、幸運にもここに残るということを。ここに来る星たちは、ごく限られた数なのよ。胸を張りなさい。あなたはよく頑張ったわ」

「あ、あぁっ……、あぁ……」


 ソムニの手から溢れる温かな鎮魂の波。それはさざ波のように優しく彼に流れ込む。

 小さく漏れる嗚咽おえつ。流れる涙。

 ソムニは耐えきれず、セイジの肩で顔を隠してそっと泣いた。これは、ソムニの最後の意地であった。

 冷えゆく身体に染みていく、暖かく親しいモノの温もり。ソムニもその小さな背を撫でながら、静かに涙を流した。


 ――――だって、私は死ねないもの

 ――――私はいつも置いてけぼり。楽しいなんて思ったことなかった。

 ――――でも、初めてのお友だち。あなたには、お礼を言わなくちゃ。

 ――――ありがとう、死ぬってそういうことだったのね。


 ソムニが心の中で独りごちた。そのとき……。

 ふわりと腕の中で弾力感が生まれる。在るけど無い。違和感交じりの存在へと変わる。煌めきを帯びる身体。


「報われた……。報われたよ……!」


 二人で互いの顔を覆った。小さな親指で大粒の涙をぬぐう。コツリ、額を合わせた。

 生きるって素晴らしい!

 熱が抜けきり、セイジ・イフェマラル――儚き名を持つその少年――の体は冷たくなった。すぅっと、光が昇っていく。

 顔を上げたソムニが最後に見たのは、彼の陽だまりのように柔らかな笑顔だった。


【Fin】

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星鳴きの森 紫蛇 ノア @noanasubi

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