カーテンの向こうには【01 四年に一度のお隣さん】

侘助ヒマリ

KAC20201お題『四年に一度』

 この夏、四年に一度のお隣さんが戻ってきた。


梨衣りいちゃん、久しぶり! 随分と大人っぽくなったわねえ」


「わあ、美也子さん、お帰りなさい! お元気そうで何よりです」


 帰国の挨拶に来たお隣の奥さんが、ドイツ土産のゴディバのチョコを手渡してくれる。

 ゴディバって確かベルギーが本場じゃなかったっけ? まあでも滅多に食べられない高級チョコだしどうでもいいや、と、あたしは屈託のない笑顔でそれを受け取る。


 いわゆる新興住宅地でほぼ同時期に我が家の隣に家を建てた長谷川さん一家。

 八年前にドイツに転勤してしまい、普段は近所に住む美也子さんのお母さんが管理する空き家になっているのだけれど、四年に一度、夏の間に一ヶ月ほど帰国する。

 その時だけは、道路に面した角地の我が家に四年ぶりのお隣さんが復活するのだ。


「せっかく挨拶に来てもらったのに、今は両親とも外出中で……」


「あら、そうなのね。でも、どうせすぐに顔を合わせるだろうから」


「長谷川さん達が戻ってきたら、また庭でバーベキューをしようって両親が張り切ってましたよ」


「まあ、それは嬉しいわ! きょうは食べ盛りだし、日本の柔らかいお肉が食べられるのをすごく楽しみにしていたのよ」


「へえ……恭くんが……」


 恭くんと言うのは、あたしのいわゆる幼馴染み。

 あたしより二つ年下だから、今年の夏で十七歳になるはずだ。

 華奢で小柄でバンビちゃんみたいに可愛らしかった恭くんが、今や食べ盛りの男子だなんて信じられないな。


「梨衣ちゃんは大学生になったんでしょう? 夏休みはバイトで忙しいのかしら? 恭は日本の友達が少ないから、時間ある時は相手してやってね」


「あ、はい」


「それじゃ、今年の夏もよろしくお願いしますね」


 実家のお母さんが時折風を入れているとは言え、空き家になっていた我が家を住める状態にするには何かと手間がかかるんだろう。


 美也子さんが慌ただしく出て行った後、あたしはゴディバの立派な箱をダイニングテーブルに置いて、二階にある自分の部屋へと戻った。


 ☆


 書きかけのレポートをキリのいいところまで仕上げてノートPCを閉じた。


 ふと窓の外を見ると、もう夕方。

 レースのカーテン越しに届く陽光がオレンジに染まっている。


 休日の買い物に出かけた両親もそろそろ戻ってくる頃だ。

 そう言えばお米のセットを頼まれてたんだっけ。


 椅子から立ち上がり、申し訳程度についてるバルコニーに面した窓のカーテンを閉めに行く。

 アイボリー地に小花柄の散りばめられたカーテンの端に手をかけて、ふと目線を上に上げると。

 向かいの部屋のレースのカーテン越しに影が見えた。


 背の高い男のひとのシルエット。


 あたしの向かいの部屋は、恭くんの部屋だったはず。


 てことは、あの影は恭くんの────




 はっとしたあたしは慌ててカーテンを引っ張った。


 だって、あたしの知ってる恭くんの影は、もっと華奢で小柄でバンビちゃんみたいなものだもの。


 なんだか知らない人が越してきたみたいな気がして、お互いに顔を合わせたら気まずいような気がして。


 なのに、左右から引っ張ったカーテンを真ん中で合わせた途端、


「梨衣ちゃん?」


 低く柔らかな知らない男の人の声で、あたしは名前を呼ばれたのだ。


 観念して、あたしはゆるゆるとカーテンを開ける。


 線対称で向かい合う申し訳程度のバルコニー越し。

 窓を開けて顔を見せたのは────


「……恭、くん?」


「久しぶり! 元気そうだね!」


 整った顔立ちは面長になり。

 つむじの下にいつも寝癖を作っていた髪はスタイリッシュに整えられ。

 細かった肩も腕も、骨ばった男の人のそれになった、あたしの知ってる恭くんじゃない恭くんだった。


「あー……うん、おかげさまで。恭くん、随分成長したんだね。見違えちゃった」


「まあね、四年前は成長期くる前だったから、だいぶ変わったでしょ? そういう梨衣ちゃんはすごく綺麗になったね」


「はは、そう、かな……ありがと」


 嬉しいより、なんかショック。

 あのウブでシャイな恭くんが、 “綺麗” なんて褒め言葉を口にするなんて。


 やっぱり知らない男の人と話しているような戸惑いが抜けないあたしは、それでも四年ぶりに再会した幼馴染みを傷つけないように、精一杯の愛想笑いを返した。


「もうすぐ両親が帰ってくるから、リビングに行くね。また改めてゆっくり話そうね」


「そうだね! よろしくね!」


 綺麗な歯並びを見せた恭くんの笑顔をカーテンで隠し、あたしは何だかドキドキしながら階段を下りた。


 ☆


 翌日。

 パン屋さんのバイトを昼過ぎに終え、いただいてきたパンを食べ終えた頃。

 玄関のインターフォンの呼出音に、あたしはモニターを覗いた。


 そこには、あたしの知らない恭くんが立っていた。


 一瞬ためらって、それから「はい」と出る。


「梨衣ちゃん? 恭です。ちょっといい?」


「あ、うん、じゃ、玄関に出るからちょっと待っててね」


 インターフォンの通話を切り、玄関の手前にある洗面所にダッシュで入って鏡をチェック。

 髪を手ぐしで素早く整え、お姉さんらしい笑みをつくって確認。表情筋を崩さないように気をつけながら玄関の扉を開けた。


 昨日はバルコニー越しだった恭くんが目の前に立っている。

 あたしより頭ひとつ分はゆうに背が高い。

 欧米で成長期を過ごすと、背丈も欧米並みになるんだろうか。


「今朝おばさんがパートに出るところにたまたま会って、梨衣ちゃんが午後にはバイトから帰ってくるって聞いてたんだ。もうお昼は食べた?」


「うん、今食べ終わったとこ。どうかしたの?」


「もしこの後梨衣ちゃんが暇なら、買い物に付き合ってもらえたら嬉しいなって思って」


 酷暑のさなか、体感湿度が三十パーセントくらい下がりそうな爽やかな笑顔で恭くんがあたしを誘う。


 幼馴染みからの気楽なお誘いなのに妙にドキドキしてしまう不甲斐なさをお姉さんスマイルで取り繕い、あたしはさも残念そうに答えた。


「あー……ごめん。今日はこの後大学の課題のレポートを仕上げようと思ってたんだ」


「そうなんだ。じゃ、僕も一緒に勉強していい? 前みたいに、わからないところ教えてもらえたらありがたいんだけど」


 四年前の一時帰国の夏は、あたしは中三で恭くんは中一。

 デュッセルドルフの日本人学校に通う恭くんは夏休みの宿題が日本の学校並みに出されていて、中学に入って急に難しくなった数学や国語を受験生のあたしが復習がてら教えてあげたんだっけ。


 恭くんとしては、四年前と同じノリで勉強を教えてほしいってことだろうけれど、あの時の恭くんはまだあたしの知ってるバンビちゃんだった。

 今の恭くんを誰もいない家に上げて、二人きりで数時間も過ごすなんて、ちょっと、というかなり抵抗がある。


 かと言って、美也子さんにも頼まれた手前、恭くんを無下にはできないし。


「……じゃあ、せっかくだから図書館に行って勉強する? そうすれば、帰りに恭くんの買い物にも付き合えるし」


「えっ、ほんと? それは助かるよ! じゃあ、一度家に戻って支度してくるね!」


 満面の笑みでそう言うと、恭くんは翻ってぴゅうっと隣の家の玄関に駆け戻っていった。


 屈託のない笑顔にはバンビちゃんの面影が確かにある。

 けれど、今の恭くんはあんなに儚げでか弱い感じじゃない。

 どっちかというと、人懐こい大型犬みたいだ。


 恭くんが四年前と変わらずあたしを慕ってくれているのに、彼が成長したからって距離を置くのは何だか申し訳ない気がする。

 声変わりも、喉仏が出たのも、肩幅が広くなったのも、背が伸びたのも、恭くんが悪いわけじゃないんだもの。


 あたしは自分にそう言い聞かせながら、汗で崩れかけたメイクを直し、図書館に行くのに派手すぎない、かと言ってその後の買い物でダサく見えないコーディネートを見繕って玄関を出たのだった。



《KAC20202につづく》

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894504724/episodes/1177354054894504769

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