3-5 逃げない誓い

  ◆


 翌朝、一つの死体が見つかった。それは冬の冷気の中で凍りつき、ぞっとするほどに美しかった。その顔には皮肉げな笑み。その足元には、「これが『救世主』の末路だ」と、血文字で殴り書きされた木の板が転がっていた。

 天使像の腕に縄を掛けて首を吊っていた少年。その名前を、誰が覚えていよう。その思いを、その生き様を。誰が知ろう、誰が解ろう。

 その叫びが、誰に届こう。

 メルジア・アリファヌスはもういない。赤髪の炎使いは、もういない。

 鬼神のような形相で、運命を呪いながら死んでいった少年はかつて、「救世主」と呼ばれていた。

 偽りの「救世主」。望まれなかった「救世主」。利用され尽くされた挙げ句に追い詰められた「救世主」。

 その実態はただの一人の少年に過ぎなかったのに、何故。何故、このような悲劇が起こったのだろうか。

 「救世主」はもういない。否、最初から存在しなかった。「救世主」は偽りだった。そんなものなんて――存在、してすらいなかったのだ。

 

 そしてそれから何年も過ぎ、大人たちは当たり前のように日々を過ごす。誰も覚えてはいない、誰もそのことを知らない、誰も「メルジア」なんてわからない。誰一人として、破滅した「救世主」のことなんて気にも留めない。彼らは全てをなかったことにして、いつも通りに生活を続ける。昨日も今日も、そのまた明日も。一人の少年がいなくなっても。その少年を、破滅させても。

 誰が、覚えていよう。その名前をその姿を、「彼」の優しさを使命感を、真面目さを、葛藤を。――その生き様を。

 こうして忘れられていく。こうして全ては風化していく。

 そして今日も時は流れる。


「メルジア……」

 エクセリオは小さくその名を呟いた。

 意図せずして、彼を倒して得た地位、彼を破滅させて得たその地位は、エクセリオにとっては強い強い罪悪感とつながる。

 失ってから初めてわかった、大親友だと思っていた彼の本当の気持ち。

 エクセリオは、両の手で自分をぎゅっと抱き締めた。かつてエクセリオを優しく抱き締めてくれたメサイアは、メルジア・アリファヌスは、もういない、けれど。

「みんながあなたを忘れても、僕だけは決して忘れない。そしてずっとずっと、償い続けるんだ」

 少年の死は、エクセリオの心に深い傷を残した。

「僕は、忘れないよ、メルジア」

 死んだメサイアは一通の遺書を遺した。それはエクセリオに宛てられていた。そこに書かれていたのは恨みの文章、エクセリオに対する恨みの文章。エクセリオが才能を持って生まれたことは罪ではないが、エクセリオはその言葉によってメサイアを傷つけ、最終的に破滅に追い込んだ。

 悪いのは大人たちかもしれないけれど。

 エクセリオもまた、メサイアを追い詰めたのは確かで。

 エクセリオは己の言動を省みる。「どうして出ていかないの」無邪気さから放った純粋な台詞。しかしその台詞がメサイアをこれ以上ないほどに傷つけたのだと、メサイアが死んだ今ならばわかる。エクセリオがいたせいで、メサイアは居場所を失った。その張本人たるエクセリオがそんな台詞を放ったならば、激怒して当然だろう。そしてその激怒がメサイアに罪を犯させ、彼を狂わせ、破滅に追い込んだ。メサイアはエクセリオを愛していたのかもしれない。しかし憎悪が、葛藤から生まれた激情が、エクセリオへの愛を上回ったのだ。もしも生まれた場所が違っていたのならばきっとこうはならなかっただろう悲劇。しかし残酷な運命は、最悪の形で二人を別れさせた。

 エクセリオは、ぽつりと呟いた。

「……メルジアを殺したのは、僕だ」

 『お前なんか生まれなければ良かったのに』

 それは遺書に記されていた、メサイアの本心。遺書にこもっていたのは憎悪。

 友達だと思っていた彼からのその言葉は、エクセリオの心に深く深く突き刺さり、決して抜けない棘となって彼を苛んだ。そしてそれはこれからも、エクセリオを苛み続けるのだろう。

「ごめん、ごめんよ。メルジア、ごめん……」

 今、自分の犯した罪に気がついてももう全ては後の祭りで。死んだ救世主は戻ってこない。

 偽りだった救世主。名ばかりで、その実態は人々の不幸の掃け口だった救世主。

 エクセリオは涙を流した。

「ごめん、なさい……」

 その償いは、永遠に続くのだろう。短い命、「神憑き」。彼が償える期間は非常に短いけれど。そもそもどうやって償えばいいのかすらわからないけれど。彼はその間ずっと、その死を背負い続けるのだろう……。死に怯えたエクセリオを慰めてくれたメサイアは、もういないのだから。エクセリオは一人になった。独りに――なった。


「僕は、逃げない」


 しばらくして、エクセリオは毅然とその顔を上げた。その瞳に浮かんだのは、小さいがしかし揺るぎのない、確固とした決意の炎。

 エクセリオはその表情のまま人型の幻影を呼び出すと、それを使ってメサイアの亡骸を天使像から降ろした。そして別の幻影を使って火を熾し、生まれた炎でメサイアの亡骸を燃やした。燃える、燃える、炎が燃える。命が燃える、揺らいで消える。メサイアの操る炎ほど、綺麗でもないし火力もないけれど。それでも、これがエクセリオの出来ること。

 天の一族アシェラルは、火葬が主流だから。

 炎の力持つメサイアは、炎に包まれて――消える。メサイアの炎は最終的に、自分自身を燃やし尽くしたのだなとエクセリオは思う。

 炎の中に浮かぶその顔は、凄絶なまでに美しかった。

 エクセリオはメサイアを火葬した。メサイアだったモノはやがて骨になり、その骨すらも塵と化して――彼がいた証は、どこにもなくなった。

 燃え盛る炎を見詰めながらも、エクセリオは、誓った。

「僕は族長になるよ、メルジア」

 それは、

「あなたを蹴って就いた地位だ、罪悪感はある。でも僕は族長になる」

 悲しみから、苦しみから、

「僕にはやりたいことがあるんだ。それは、」

後悔から、身を灼き尽くすほどの罪の意識から、

「族長になって――この村の腐った意識を、変えてやることさ」

 逃げない誓い。

 エクセリオは、宣言した。


「――僕は罪から、逃げないッ!」


 その顔にはいつもみたいな笑顔がない、無垢さがない、無邪気さがない。

 代わりのようにあったのは、張り詰めた強い決意。

 図らずも一人の人間を破滅に追いやってしまった真白き心の天才は、罪というものを、大人たちの悪意というものを、知ってしまったから。もう無垢で無邪気だった頃には、戻れない。彼は人間の闇を知った。

 エクセリオは誓う。自ら破滅させてしまった親友の墓前で、冷たく残酷なまでに明確な、罪の証の目の前で、己の魂に誓う。逃げずに罪を背負い続けることを、安易な逃避には向かわぬことを。

「メルジア、僕は一生を掛けて、あなたに償うよ。決して長くはないけれど、この命のある限り……!」

 そのためには。

 まずは村を変えなければならない。

「僕は行くよ、メルジア。あなたの屍を乗り越えて、あなたの死を背負って、前へ」

 雪の中、エクセリオは立ちあがって踵を返す。最後にもう一度祈りを捧げるような仕草をすると、エクセリオはいなくなった。

 雪はしんしんと降り続く。間もなくその背中は見えなくなった。

 去りゆくエクセリオの後ろにゆうらりと、まるで彼を見送るように立ち上がった半透明の赤い影は。「救世主」を強制的に演じさせられた、名も無き少年の影は、


 罪を背負った天才の、思いの見せた幻影だったのだろうか。


  ◆


 こうしてこの物語は幕を閉じる。悪意によって滅ぼされた少年と、無邪気すぎるゆえに無意識の内に相手を追い詰めた少年。二人の間には切れない絆が、確かな友情が、確実にあったのに。どうしてだろう、歯車は壊れ、全ては狂わされた。


 「救世主」なんて、必要なかったんだ。

 最初から――最初から。


【偽りの救世主メサイア――Messiah of False 完】

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偽りの救世主(メサイア) 流沢藍蓮 @fellensyawi

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