3-4 偽りの救世主《メサイア》
翼を失って、オレの生活はますますひどくなった。
エクセリオは命が助かったばかりか、傷一つ残らないらしい。オレだけだ、オレだけに消えない傷が残った。オレだけなんだ、オレだけだ。
――どうしてオレが。
どうして、大人たちに言われたとおりに「救世主」として生き続けたオレなんだ。どうして、どうして、どうして! どうしてオレなんだ、どうしてオレが。こんなにも、こんなにも、苦しまなければならないんだッ!
そしてオレは思ってしまう。それは、思ってはならないことだったのに。あいつとの日々を全否定するような言葉なのに。襲い来る無慈悲な現実の前、オレの中にわずかに残っていた友情や絆なんて言葉は、いとも簡単に崩れ去る。オレの心は、叫んだ。
――どうして、エクセリオじゃないんだッ!!
こんなに苦しむのが、どうして、エクセリオじゃないんだッ!!
翼の傷がひどく痛み、疼く。オレはもう、二度と空を飛べない。
そしてオレはとうとう、「存在しない者」となった。
嘲られ、蔑まれる日々はまだましだったのだと、失ってからオレは気が付いた。
事件の後、オレが仮に住んでいた家は取り壊され、そこは地ならしされて更地になった。オレがそれに文句を言おうが、誰もオレに反応してくれない。オレが相手の肩などを掴めば、「幽霊がとり憑いた」と大騒ぎして、「除霊」と称してひどい目に遭うようになった。
オレが道端に立っていたら、石ころか何かのように蹴とばされて見向きもされず、声を掛けても反応しない。
背中の激しい痛みと闘いながらも、オレは不意に悟った。
――ああ、もう「救世主」なんて存在しないんだな、と。
蝶よ花よとエクセリオばかり可愛がられて。その陰で一生懸命生きていた救世主はもう、存在しない。
涙が、零れた。オレの中で激情が吹き荒れる。報われなかった思いが、一方的に踏みにじられた幸せが、ズタズタにされて千切れ飛んだ心が! 叫んだ。
い、いいい要らなかったのなら、救世主なん、て、要ら、要らなかったのなら! さ、最初か、ら、な、なななな何も、期待、するなよ。望むなよ、オレに何かを願うなよッ! だか、ら――無駄に期待された、から! こんなにも、こんなにも辛いんだよ! 最終的に「存在しない存在」にするくらいなら! オレに「普通の人間」としての立場をくれよ、オレに「普通の人間」として生きる権利をくれよ、なぁ! 「救世主」なんて要らない! 馬鹿みたいだ! 救世主なんて――誰も、誰も! 望んじゃいなかったんだ! かえって誰かが不幸になるだけじゃないか、なぁ!? なんでオレをそんなものにしたんだよ! なんでオレにそんな不幸を背負わせたんだよ! 自分たちの不幸を肩代わりする体のよい生贄の子羊が欲しかったってだけだろう! 大人はいつだってそうだ、自分の都合ばかり押し付けて! 生贄にされる相手のことなんて、露ほども考えたことなんてなかったんだろう、あぁ!? オレはそんな奴らのために利用されたのか! そんなに醜い奴らのために悲しみを、痛みを、苦しみを味わったのか! 味わわされたのか! なぁ! オレは自分の人生をそんなものの為に浪費なんてしたくない! なのにさせられた! なぁ、一体どうしてくれるんだよ! どうしたらオレは救われるんだよ!! 「救世主」は救いなんて望んじゃいけなかったのか!? ふざけるなよッ、なぁッ!!
悲しかった、悔しかった、苦しかった、辛かった、
今やオレは「存在しない者」だ。いくら悲しかろうが辛かろうが、この思いを打ち明けられる人なんていない。オレはこんなにも歪み、醜く染まった惨めな心を抱えながら、まだまだ先の長い人生を生きるのだろうか。――生きなければならないのだろうか。
荒れ狂う感情が心を支配し、理性を奪う、冷静さを奪う、正しい判断能力を奪う。
「メルジア」と、唯一オレの本名を呼んでくれたエクセリオの声ももう聞こえない。オレは負の感情に支配され、狂った。壊れかけていた心が、ついに完全に――壊れた。
狂った先にあるものは? 狂った先に何を見出す?
オレは虚ろな目で宙を見つめた。見つめる先にあったのは、オレが生まれたときに記念に作られた天使の像。「救世主」誕生を祝う、奇跡の像。幸せを、平和を、約束してくれるはずだった天使の像。……クソッタレの天使の像。何も叶えてくれなかった、ただ微笑むことしかできないただの像。ご利益なんてあったものじゃない。
結局、それは幸福なんかもたらしてはくれなかった。
そしてオレは、破滅する。
今も破滅してはいるが、さらに、さらに。取り返しのつかない域まで。そうして大人たちに見せつけてやるんだ、あなたたちが「救世主」と呼んだ少年に、一体何をしたのか。
エクセリオも憎いけれど。大人たちもまた、この憎悪の一端を担っているのは、確かで。
だから、教えてやる、見せつけてやる。
オレは小さな決意を固めると、幽鬼のようにゆうらりと、実に頼りない足取りでその場を後にした。
オレは、死んだ。オレは、死んだんだ。否、オレは死んだんじゃない、死んでいたんだ。そうさ、生まれたときから死んでいた。「救世主」になったときから死んでいた!
ああ、泣きたいよ。この運命を呪いながらも、子供みたいに大声で泣きたい。
神様なんて存在しない。神は万人を助けてくれるわけではない。
そんなの、下らん理想論なんだ。
だから、オレは――――
◆
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