テレポーターの作り方

京路

第1話

『 木島 ミツル様


 いきなりのお手紙、ごめんなさい。でも、どうしてもあなたに伝えたいことがあります。

 今日の放課後、特別棟の裏で待っています。


佐倉 月 』


 僕はもう一度、手紙の文面を確認した。

 薄桃色の便箋には、形の整った字が並んでいる。生真面目というより、気難しさすら感じる字体だ。


 白いため息を吐いて、空を仰いだ。

 薄雲が掛かる空が、校舎によって半分切り取られていた。白い雲、白い校舎――両方とも赤く色が塗られていた。

 ここに来たとき、僕もその赤の中にいた気がするが、それはもう左手の雑木林に消えてしまった。日が落ちるのは、さすがに早い。


 佐倉月という女子のことを思う。

 女子はおろか、男子の名前すら半分程度しか覚えていない僕だって、彼女のことは認識できる。

 まず思い出すのは、同じクラスの女子数人(こっちの名前は思い出せない)と、話をしている姿だ。大きな瞳を細めてころころと笑っている。


 次に思い出すのは、席から立ちあがる瞬間だ。板でも入っているかのようなまっすぐな背筋のまま、さっと立ちあがる。長い髪とスカートのすそだけがわずかに揺れるが、彼女自身は少しもよろけない。その一連の動作は、刀の抜き打ちを連想させた。


 僕はまたため息をつく。

 あまりにも、似合わない。


 校舎の壁はすすけていて、まばらに草の生えた地面には、土色が移った煙草の吸殻が落ちている。冬にもかかわらず湿った風が吹き抜けた。トイレが近いせいか、アンモニアくさい。

 秘めた思いを告白する場として――そして佐倉月にとって、これほどふさわしくない場所はないだろう。


「……ああ」

 何となく予想はしていたが、改めてそれを考えるのは疲れる。


 僕は担がれたのだ。うその手紙に踊らされて、こんなところに一時間以上も突っ立っている。

 ため息。吐息に形があるのなら、僕はとっくに溺れている。


 ――帰ろう。


 間抜けた僕は、ようやくその結論に至った。

 最後にもう一度手紙の文面をなぞり、しばらく迷ってから――折り畳んでポケットにしまった。


 なんとはなしに視線を墓地に向ける。不規則に並んだ墓石に西日があたっている様子は、まるで変種のペンギンだ。紅い南極。

 なんとはなしに耳を澄ます。遠くで野球部の掛け声と、金属バットの音が聞こえる。ボールが見えなくなるので、そろそろ練習時間も終わりだろう。

 なんとはなしに匂いをかぐ。臭い。やっぱり臭い。なんとはなしに、今度は左を見る。誰も来ない。やっぱり来ない。


「……帰ろう」


 口に出して、視線の方向に足を踏み出した。

 それでも、亀のように歩みを進めるてしまう自分を、心底情けなく感じる。

 もしかしたら来るかもしれない。すれ違うかもしれない。あの角を曲がれば、慌てて走ってくる少女の姿が――


 あるはずがなかった。


 雑木林と校舎にはさまれたスペースには、誰もいない。雑木林に食い込むように物置があるだけで、校舎の向こう側に隣接する体育館まで視線をさえぎるものは何もなかった。

 これが最後だと念を込めて、ため息をつく。そして、さっさと足を進めた。ざくざくと、靴の裏で霜柱が折れる感触がする。


 幸い、特別棟の一階には家庭科室や被服室といった文化部の使用しない教室や、パソコン室といった常にブラインドが掛かっている教室しかないので、外を通る際に人目を気にする必要がなかった。


 被服室に飾られているぬいぐるみを窓越しに眺めながら歩いていると、どこからか妙な音が聞こえてきた。


 自然と歩調を緩め、霜柱の音からそっちに耳を傾ける。


 それはまるで時計の針だ。短く断続的で、限りなく機械的な響きを持っていた。それに混じって野球部の金属バットの音が聞こえたが、こっちは夕暮れに溶ける空しさを感じる。


 左手の、校舎の中からではない。


 物置の前にきて、気がついた。

 そのプレハブ小屋と雑木林の間には、どうやらスペースがあるらしい。


 音はさっきより近い。

 いつの間にか、足が止まっていた。

 つばを飲み込む。


 物置は、去年の文化祭の準備のときに中を見たことがある。

 両脇に使われなくなった机といすが天井まで積まれており、奥にはコーンや看板が積まれていて、全体的に白っぽくみえた。多分、埃をかぶっていたのだろう。


 だがそのときも、後ろにスペースがあるなんて気づかなかった。

 もともと、こんなへんぴなところに用がある生徒はいない。

 その上で、物置の裏は完全に死角だ。


 このまま、立ち去るのがいいのだろう。

 しかし、音は引力を持ち、僕を捕らえて離さない。


 おそるおそる、僕は物置の影を覗き見た。


 意外に広い。

 八畳間ほどのスペースに、巨大な何かと、一人の少女がいた。


 巨大なそれは、金属製ということしかわからない。二メートル大の円柱――焼却炉に似ていた。

 少女は、この学校の生徒らしい。脱いだ制服の袖を縛って腰に巻いて、白いTシャツ姿になっている。ワインレッドのスカーフで、髪を上げていた。


 軍手をはめた手には銀色のスパナ。それで、巨大な筒にボルトをはめている。先に聞こえた金属音は、ボルトとスパナの当たる音だった。この位置だと、キュッというボルトを締める音まで聞こえる。


「――?」


 こっちの気配に気づいたのか、少女が首だけ振り向いてきた。

 大きな瞳が、僕のことをまっすぐに見つめてきた。


 悪寒に似た何かが、僕の背中をはいずりまわる。

 僕は、気づいた。

 無表情だったので、すぐにはわからなかった。だが、間違いない。


 そこにいたのは、僕が待ちつづけたその人だった。


「あ……」


 何か言おうとするが、何も言葉が出ない。


 やがて彼女は興味を失ったように、作業に戻ってしまった。


 疑問が津波のように押し寄せ、めまいを覚える。

 待ちつづけた相手は、人知れず物置の裏で、得体の知れない物を組み立てている。


「――佐倉さん」


 声を出せたのは奇跡だった。多分、余計なことを考えられないほど思考が麻痺していたからだろう。

 彼女は手を止め、さっきと同じ動作を再生する。


「なんで私の名前を知ってるの?」


 まず、人の声でしゃべってくれたことに安心する。

 それから、ようやくその言葉の意味にたどり着いた。つまり彼女は、僕のことを知らないらしい。


「僕、同じクラスの木島だよ。木島充」


「……ああ。そういえば、いた気がする。ごめん、人の顔を覚えるの、得意じゃないんだ」


 彼女は目を伏せるが、僕は別に気にしてはいない。彼女に覚えられていない――当たり前のことを、再確認できただけだ。


「それで、何か用?」


 言葉はボルトの音と同じくらい無機質で、文脈の意味以上の含みを持っているようには聞こえない。

 単純に、用があるか訊いただけだ。


「用事は、特にないけど……」

 まさか、今まであなたを待っていたとは言えない。


「何となく、通りかかって」

「そう」


 特に追及はなかった。彼女は、何事もなかったかのように作業に戻る。

 何となくその無関心さが気になって、僕は質問する。


「それ、何?」

「テレポーター」


 返事はすぐに返ってきた。今度は振り向いてすらくれないが。

 僕は、首をかしげる。


「……テレポーターって、なに?」


「中に乗せた物体を、空間を跳躍して一瞬で移動させる輸送装置」


 ――まあ、そりゃそうか。

 テレポーテーション――瞬間移動という言葉なら、知ってる。つまり、それを行う装置なのだ。

 内心で、今日一番のため息をついた。いつの間にそんなものが、一介の女子高生に作れるようになったのだろう。


 担がれている。

 僕は、あえて話を合わせてみた。


「何でそんな物、作ってるの?」


「オリオン座大星雲に住まう者たちに依頼されて。彼らは今、惑星を啖うモノによって危機に瀕している。そこで、私に救援を頼んだ。彼らは思念をエネルギーに変える技術を持っていて、その効率は彼ら自身よりも地球人のほうがいいの。その技術を応用した兵器で、惑星食いを駆逐して欲しいわけね。でも、彼らの船で一五〇〇光年を往復するには時間が掛かりすぎる。そこで、あらかじめこっちでテレポーターの元型を作っておき、彼らが到着した際に思念変換装置を取り付ける。私たちの思念なら、一瞬で彼らの星まで行くことが可能になるらしいから。ちなみに、彼らの種族名や星の名前は、音声では発音できないの」


 抑揚のない語調のせいか。昨日見たB級SF映画のシナリオを聞かされているようだ。


 なぜか、それ以上なにも尋ねることが見つからなかった。疑問は積もるほどあったはずが、すべてどこかに消えてしまった。


 代わりに生まれたのは、漠然とした居場所のなさだ。なんとなく、ここにいたくない。

 だが、立ち去るきっかけを掴めず、僕は黙ってしまう。おのずと沈黙が訪れた。


 佐倉月。本当に、目の前にいる少女は彼女なのだろうか。確かに顔はそっくりだ。だが、あまりにも印象が違いすぎる。それに、なにか決定的な違和感があった。


 気づいたら、野球部の音が消えている。空を見上げるとそれは、赤というよりすでに黒に近くなっている。


「今日はいつまでやってるの?」

「もう少し。今日中に、ボルトはつけ終えたいから」


 なんとなく、「だから帰っていい」というメッセージが込められているような気がした。僕がそう思いたいだけかもしれないが。


「じゃあ、僕はそろそろ帰るね」

「うん」


 承諾の言葉に、僕は安堵する。少しだけ、余裕ができた。


「佐倉さんも、がんばってね」

 彼女が、振り返った。


 薄い――この場で初めて――笑みを浮かべてきた。


「ここでは、ツキでいいよ。ミツルくん」


 ――あ。


 僕は納得した。母親が電話に出るときの、いわゆるよそ行きの声。今の彼女が出しているのは、その逆だ。


 佐倉月とツキ、違和感の正体はそれだった。


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