第6話

 次の日、僕は数日ぶりに日が昇ってから目覚めた。

 学校に着くと、予鈴の鳴る少し前ぐらい。結局、物置の裏には行かず、直接教室に向かうことにする。

 教室では佐倉月が他の女子二人と、昨日放送されたバラエティ番組の内容を確認しあっていた。背もたれに寄りかかって、かしましい笑い声をあげている。


 昨日のツキらしくないツキを思い出し、安堵するような拍子抜けするような、奇妙な気持ちになった。

 上着の内ポケットにある通信機を、コートの上から触り確認する。


 今まで僕に何も干渉しようとしなかった彼女からの、初めての贈り物。

 自分の席につき、それを取り出した。お守りの形を借りた通信機は、確かに僕の手のひらに存在する。

 昨日の晩、ためしに何度か思念を送ってみたが、何の反応も返ってこなかった。

 それが当然だと思う自分のほかに、わずかに気落ちする自分もまた、存在していた。


 昨日の手順を、再現してみる。

 額にそれを当て、両手で軽く押さえる。目を閉じ、心を落ち着かせ、遠くに向かって呼びかけ――


「ミツルちゃん、なにやってんの?」

 はっとした。

 目を開くと、寺脇をはじめとしたいつものメンバーが僕の横に立っていた。

 思わず通信機を机の中にしまったが、それがいけなかった。


「お、なんか隠したぞ」

 通信機が奪われるのは時間の問題だった。


「返せ!」

「おお、今日のミツルちゃんは威勢がいいな。そんなに大切なものなのか?」


 羽交い締めにされた僕の目の前で、寺脇がにやにや笑いながら通信機を手の中で転がした。

「ただのお守りにしか見えないけどな」

 寺脇の指が、その結び目に掛かった。

「やめろ!」

 強引に縛めを振りほどこうとするが、力でかなうはずもない。ばたつかせた手足が机に当たり耳障りな音を立てるが、何の意味もなさない。

 どれだけ歯向かっても、どうすることもできない。


「おい、こいつ泣いてるぜ」

 一人が笑う。おまえらは分かってないんだ。それがどんなものか。


「ん、なんか入ってるな」

 紐を解き、寺脇はお守りの中に指を突っ込もうとする。

 誰か、あいつを殺してくれ。

 と、寺脇の表情が、固まった。


「やめなよ」


 彼の手の中には、何もなくなっている。

 そこにあったものは、彼女の手に移っていた。


「嫌がっているじゃないか」

 僕は初めて、教室が静寂に包まれていることを知った。

 僕の周りの机やいすは横倒しになっていて、僕の中の冷静な部分があきれているのに気づく。なりふり構わない、子供のような暴れ方だ。

 だが教室中の視線はこちらでなく、寺脇の横に立つ少女に向けられていた。


「佐倉さん――?」

 誰かがつぶやく。

 違う。彼女の名はツキだ。


 彼女は解かれたお守りの紐を締めなおし、僕に手渡した。

 いつのまにか、僕を押さえていた腕から力が抜け、僕は自由になっていた。そいつだけではない。多分、教室の中の誰もが、目の前に突然現れた知らない少女に、呆然としている。

 停まった時の中で、床を蹴り、踵を返すと、髪が柔らかくなびく。直立した姿勢は、スポットライトを浴びたモデルを思わせた。


 ツキが教室を後にして、やっとみなは動くことを思い出した。

「……あれ、佐倉さんだよな?」

「――なんで木島を助けたりしたんだ?」

 視線が向かってくるのを感じる。僕はそれに捕まる前に、ツキの後を追う。

 教師とすれ違いに教室を出る。なにか言ってきたが、構わずに廊下を走った。


 そのまま階段、昇降口を駆け抜ける。途中で遅刻者と一度だけすれ違ったが、広い校庭には誰もいなかった。

 物置の裏に駆け込むと、ツキはそこにいた。手にはペンキの缶を持っている。

「ミツル君も来たの」

 振り返ったツキは特に感慨も浮かべていない。


 息が整うのを待って、尋ねる。

「なんで、僕を助けたの?」

「君が助けて欲しがっているように見えたから。手を貸しただけ」

 ツキはテレポーターに向き直り、言葉をつないだ。

「もしも私の思い過ごしで、あれが迷惑だったなら謝る」

「それは、別にいいけど……いや、むしろ感謝してる。ありがとう」

「そう」

 短くつぶやいたそれは、安堵したようにも聞こえた。


「でも、今までのツキだったら――佐倉月のままだったら、きっと僕に関わってこなかったはずだ」

 ツキは、答えない。

「昨日にしたってそうだ。僕に、通信機をくれた。テレポーター作りを手伝うことだって許してくれなかったのに……」

 僕が言葉を止めると、はけを操る音しか聞こえなくなる。

 その沈黙が、今は痛かった。


「わがままなんだ」

 唐突に、ツキが言った。

「全部、私のね」


 その言葉は、昨日も聞いた気がする。

 一体、彼女は何を言っているのだ。僕も何かを言おうとは思うが、喉が死んだように動かない。


「君はここにいるべきじゃなかった。ここにいることを、許してはいけなかった」

 膝が震えて、立っているだけがひどく苦痛だった。

「帰って。そして……二度とここに来るないで」

「いきなりそんな――」

「来るな」

 ツキという機械は、壊れてしまったらしい。


 もしくは、壊れたのは僕のほうだろうか。

 次の言葉を待つが、いつまでたってもそれがかけられることはなかった。

 はけが金属の上を走る音から、木々のざわめきまで――すべてが僕を拒絶している。

 ――それでも。

 ツキの背中に希望を抱いてしまう。振り向いて、笑いかけてくれるんじゃないか。

 だが、そんなありえない希望にしかすがれないことが、なによりも僕に事実を知らしめた。


 ツキはもう、笑いかけてはくれない。

 鼻が詰まって、口で息をするが、それでも苦しい。

 ほとんど塗り終わっているテレポーターが、水の中にゆがむ。

 僕はそれに背を向け、物置の裏を後にした。

 それが、僕とツキとの別れだった。


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