エピローグ


「おまえさ、本当にやるの?」

 寺脇が、いまさら尋ねてきた。

 僕らは夜の校舎を、懐中電灯ひとつを頼りに歩いている。昼間のうちに家庭科室の鍵を開けておいて、そこから入ったのだ。

「もちろん」

「誰だよ、こんなこと思いついたやつ」


 僕の後ろから、寺脇は弱々しい声を出している。ほんのわずかでも、沈黙が怖いのだろう。

 実は、僕も怖い。誰もいない巨大なコンクリートの建物というだけで不気味だし、その上今は深夜だ。

 階段を上る。三階につくと、廊下の天井の、非常口と書かれたランプが明滅している。何もかもが静まり返った世界で、それだけが動きを見せていた。


「――ツキを覚えてる?」

 ツキ、と彼はつぶやいて

「……ああ、佐倉さんのことか。一年前に転校した」

「一年――そうだね」


 正確には一年と一ヶ月――もうそんなに経ったのか。僕には、つい昨日のことのようにも思えるが。


「彼女に教えてもらったんだ。ちょっとした、自己実現のおまじないをね」

「おまじない、か」


 そして、僕らは階段を上りきった。

 目の前には、バズーカ砲でも破れそうにない鉄の扉があった。試しにノブをひねってみるが、鍵が掛かっている。

 僕はポケットから、昼間のうちに職員室からくすねておいた鍵を取り、ロックを外した。


 ドアを空けると、冷えた空気が流れ込んでくる。僕は懐中電灯のスイッチを切った。

「いい天気だなあ」

 仰ぐ空には、無数の星々と大きな月が、僕らを見下ろしていた。その中から三つ子の星を見つける。僕が見分けられる、唯一の冬の星座。それを見るのは一年ぶりだった。


「ところで、君はなんで僕についてきたの?」

 振り返ると、寺脇が腕をこすり合わせて寒さに耐えていた。

 彼は、ぎこちなく笑った。

「いや、なんかおまえが面白そうなことやるみたいだからな」

「面白い……まあ、そうかな」


 いつのまにか、教室の中の僕の役割が微妙に変化していた。笑われる役から、笑い合う仲に。直接的な原因はわからない。ただ、ツキがその根っこにいることは確かだ。

 僕はドアの横にあるはしごに手をかける。鉄のそれは、ただただ冷たい。

 上りきると、月の光に照らされた大きな白い円柱があった。


 僕は背負っていたリュックの中から、ペンキの缶を取り出す。

「明日は大騒ぎだな」

 寺脇が、顔だけを上に見せていた。

「いや、誰も気づかないんじゃないかな?」


 缶のふたをとろうとするが、一年ぶりに開くそれは、なかなか手ごわい。鍵をてこにしてなんとかこじ開け、僕は白い円柱――貯水塔に向き直る。


 そして一気に中身をぶちまけた。


 放射状に広がったそれは、貯水塔の胴に大きなしみを作る。月の光では、その色がなにか判別できなかった。

 寺脇は拍手を打つ。

「学年末試験がうまく行きますように、と」

 明日のことを祈ったようだ。それも、いいかもしれない。


 僕は夜空を見上げた。

 立入禁止の屋上の出来事なんて、誰も気づかない。

 だけど、彼女なら見ている気がする。

 この街の中で一番高い場所で、僕は最高の友人と再会した。そんな気がする。

「――ありがとう」

 ずっと言いたかった一言をささやいて、僕は振り返る。

「さあ、帰って英語の詰めをしなきゃ」

 寺脇は顔をしかめた。

「最後の神頼みじゃなかったのかよ?」

「自分の行き先を決めてくれるのは、自分だけだよ」


 二、三言、なにか文句を言ったようだが、僕は無視してはしごの下まで飛び降りた。

 フェンスの外を見る。

 空と地面――二つの星空に挟まれた場所。昼間も、さぞ眺めがいいだろう。

 ――気に入った。


 明日は、昼に来てみようと思う。



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テレポーターの作り方 京路 @miyakomiti

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