5話 彼の決意

 風が白髪を揺らす。

 鐘楼の棟で少しずつ地平線に消えて行く太陽を眺めるビジルは、【勇者】を待っていた。

 【勇者】の苦しみは想像を絶するものだろう。強制的に何度も生まれ変わるなど並みの精神では耐えられない。肉体が引き裂かれるよりも、心が引き裂かれる。

 その【勇者】を取り込むことが出来れば、【魔王】の一番の懸念も消えるというものだ。

 ビジルの赤い眼には扉が映っている。それは場所に入る唯一の入り口だった。


「……来たか」


 ゆっくりと開く扉に注目する。






「ふー」


 数週間ぶりに浴槽を堪能したセラは、気分良く宿屋に向かって夕刻の道を歩いていた。

 師匠からの頼み事は終わった。【勇者】と接触し、彼に必要なことを伝えることが出来た。しかし、その結末が自分たちの望むものになるかは……


「……師匠せんせい。この状況を予想していたのですか?」


 セラは少しずつ見える様になってきた星を見上げた。

 【勇者】は最後まで立ち上がらなかった。あの『聖剣』は二度と振るわれることは無いのかもしれない。


「――――」


 そして、彼女は背後からの視線に振り向いた。






「やれやれ。疲れたな」


 娘によって王宮宮殿に連れ戻された『賢王』ハイロスは執務室で、政の書類に目を通していた。

 やる事はたくさんある。国内の情勢、戦火処理、衛生問題、貧困領地への対応といった物事に役員を置いて対応していかなくてはならない。

 しかし、その全てに取り掛かっていては気が滅入るというものだ。同時に問題に対応できる役員は慎重に選ばなければ、帝国の二の舞になる。

 『聖剣』が中央広場に現れたのも、きっと【勇者】がこの国がどうなるのかを見届けるという意思を残したからなのだろう。


「……シーラ。君が居てくれればな」


 物事の決断は全て自身で下していたが、それも優秀な配下による支えがあればこそだ。無論、今支えてくれている臣下の面々に不安があるわけではない。

 暗殺者から妻と娘を護ってこの世を去ったシーラの死に目にも会えなかった。

 姉同然のシーラが死んだと聞いた時に感じたのは怒りではなく喪失だった。その場に崩れ落ちた私を妻と娘が支えて持ちこたえる事は出来たが、心に穴が開いた感覚は決して埋められるモノではなかった。

 中央広場に『聖剣』が現れなければ前に進むことも出来なくなっていたかもしれない。


「……君に会いたいよ」


 その時、ふわり、と開いている窓から撫でる風がカーテンを揺らす。ふと、ハイロスは窓辺に立つ人影に気が付いた。


「――――シーラ?」

「悩み事ですか? 陛下」


 ハイロスは思わず椅子を倒して立ち上がる。なぜ、彼女がいる? 幻覚? それとも誰かが変装でもしているのか? いや、違う……目の前にいる彼女は誰よりも知っている彼女だった。

 思わず駆け寄ろうとしたハイロスだったが、過去の彼女とのやり取りを思い出し、その場に留まる。


「シーラ……私は君が導いてくれたようになれなかった。私は――」

「陛下。貴方の運命は貴方が決めたのです。私は貴方を苦しめただけだった。ごめんなさい」

「君が謝る事じゃない。君は私の家族だ。私の方こそ……君に酷いことを言った」

「私の言葉に縛られず、貴方は誰もが幸せだと思える……そんな世界を護ってください。ロス様」


 ハイロスはカーテンの向こうに居るシーラに手を伸ばした。彼女が消えてしまう事は何よりも望まない事だったから――


「――――」


 思わず転寝していたハイロスは、解放された窓から差し込むオレンジ色の光とそよ風によって起こされた。椅子に座ったまま眠ってしまったらしい。


 今のは夢……か?


 バルコニーに出るが、そこにはシーラの姿はない。そよ風に揺れるカーテンだけが何者も居ないと証明していた。


「陛下。仕事してますか?」


 するとノックも無しに娘のスタインが入ってくる。抜き打ちで仕事をサボっていないかどうか、チェックに来たのだ。


「そんなに外が恋しいの? 仕事が溜まってるんだから視察以外は外に出しませんからね」


 スタインは父の様子に呆れつつ、そよ風で床に散らばった書類を拾い上げる。


「スタイン」

「なに?」

「私は【勇者】のように生きる必要はないそうだ」


 スタインはいつも疲れていた父の表情がどこか晴れた様子に少しだけ首をかしげる。


「そう言う事は『聖剣』を抜いてからじゃないの?」

「はっはっは、それもそうだな。お腹がすいた。そろそろ食事にしようか」


 ハイロスは王宮の給仕長も務める妻の用意する料理を家族で食べる事が毎日の楽しみであった。






「僕の旅は正しくも間違いでもなかった」


 シグは今までの旅は決して無駄ではなかったと思い返していた。


「すっかり忘れてた。きっとソレは【魔王】の事がずっと心に引っかかってたからだ。僕の旅が終わるのならどんな方法でも受け入れる」


 ヒトは争いと間違いを繰り返す。この600年で分かった事はただそれだけだ。

 世界を救おうと自分に誓った。しかし、世界を救う事は出来なかった。世界は救えない。それが600年かけて彼が辿り着いた結論だったのだ。


「でも、もう少しだけ旅を続けようと思う」


 けれどそれは【勇者】として背中を押されての歩みだった。『聖剣』を託されたからでもなく、誰かに頼まれたからでもない。だから今度は自分自身の意思で――


「……それが貴方の答えなら、私に拒む理由はありません」


 セラの目の前に立つシグは自分の意思で【勇者】として歩み始めると告げた。






「…………」


 ビジルは開いた扉から入って来た鐘突き役の男を見て思わず微笑んだ。男はビジルに驚きつつも、仕事終わりの鐘を鳴らし始める。


「フラれたか。まぁ、仕方ねぇ」


 鐘の音を背に受けながら、入って来た扉を開ける。すると、扉の先は下に降りる階段ではなく草木の生える草原が広がっていた。

 ビジルは後ろ手で扉を閉じ、草原にポツンと置かれた長机に近づくと、用意された席に座る。

 席は四つ。残り二つは空席であった。


「ソルガ、勧誘は失敗だ。時期が少し早かったかもな」


 正面の席に腕を組んで座る漆黒のフードで姿を隠した機械の魔人――ソルガに報告する。


『敵に回ったか。いささかか面倒だな』

「精神が疲弊してればワンチャンあると思ったんだが、『聖剣』に選ばれるだけの事はある。甘言には引っかからないらしい」


 それ故に、600年の転生を乗り越えてこれたのだろう。特別なのは肉体や素質ではなく精神の方だったらしい。


『多少予定が変わるが……障害ではない』

「オレは【勇者】の相手するのはヤダからな。シアカーンみたいに600年も封印されるなんて御免だ」


 【勇者】と『聖剣』の強さは600年前に嫌というほど見せつけられている。特別な対策が無ければ戦いにすらならない。


『最優先は【魔王】の回帰でいいだろう。とにかく旗印を復活させなければな』

「『太古の結晶』は残り三つだろ? 見つかるのかねぇ」

『一つ手に入れることが出来れば、性質を解析し探知機を作ることができる』

「それを早く言えよ」


 ビジルは立ち上がると椅子を戻しながら欠伸を挟む。


『ワタシはセクメトゥームの遺跡に兵力を展開する準備を進める。お前はどうする?』

「オレか? しばらく休んだら転生者を斬りに行く。常識はずれな魔法と思考を持ってたり変な常識を持ち込んだりするからなアイツらは。今の内に殺しておく」

『あまり目立つなよ』

「お前さんに言われたくはないねぇ」


 この世界の住人に飽きたビジルは、これまでにない強者たちとぶつかる事に思いを馳せ、笑みを浮かべた。






 レヴナント大国からレスポンス大陸を繋ぐ航路。セトナック海域にて、異常ソレが起こっていた。


「船長! 船長ー!」


 セトナック海域で穏やかな波に揺られながら、ある調査のために停泊している海賊船『ボーンシャーク号』では騒がしい声が飛び交っていた。


「なんだぁ! うるせぇな! 非常事態なら鐘を鳴らせ!」


 寝間着姿で斧の手入れをしていた船長は部屋に入って来た部下に怒号を浴びせる。


「甲板に来てください! 海の上に人が――」

「おい、まさか。例の奴か? セクメトゥームの遺跡に向かう航路には必ず現れる――」


 その時、船が大きく揺れた。


「敵からの攻撃です!!」

「ふざけやがって! 野郎どもを叩き起こせ!! ボーングレイグ海賊団に攻撃を仕掛けてくるバカを血祭りに上げろ!」


 すると、船を何かが通り抜け、ピシ、と音を立てて中央から二つに分かれる。


「うぉ!?」

「わぁー!? 船長ー!」


 二つに割れた『ボーンシャーク号』がゆっくりと沈んでいく。その様を海上に立つ人影は月の光に照らされてながら見ていた。


『隊長! 作戦は完璧に遂行中です! レヴナントよりセクメトゥームの遺跡へ向かう船は片っ端から海に沈めております!』


 漆黒のコートに身を包む人影は、フードの奥からヒトのモノではない光を宿していた。

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