7話 10万リル
ハイラインのメガフロート支部にて、セラが案内された小さな個室には、水を張った桶に尖った石が置かれた机が存在している。
同じ場所で取れた水を入れ、尖った石は空間に震える音を正確に水面に伝える。ソレを誰でも簡略に使えるようにする魔法陣によって特定の場所との通信を可能にしている通信装置であった。
『石水通信』
かつて、転生者と呼ばれる者が提供した技術として世界に伝わりハイラインは利用している。しかし、主体となる魔法陣の解明は未だに行われておらず、量産体制は整っていないのが現状だった。
コレを作った転生者は既に故人となっており、それを全世界に伝える前に殺されたと言われている。
『おお、セラ。連絡を待ってたぞ』
特殊な魔法によって、この通信はザイオンの念話へ直接届いていた。
「お久しぶりです、
『飯は食っとるか?』
「はい」
『路銀はまだあるか?』
「はい」
『して、【勇者】はおったか?』
ザイオンからの本題にセラは現状を報告する。
「レヴナントの王都に居ましたので合流しました」
『ほう。あの阿呆の事だ。何かと言い訳でもしてゴネたのかと思ったぞ。今はこちらに向かっておる所か?』
「いえ……セクメトゥーム地方に向かっています」
『……どういうことだ?』
それはシグの提案だった。
【魔王】の封印に関する『太古の結晶』。その一つが『セクメトゥームの遺跡』に存在する。まずはソレを確保する事が最重要であると判断したのだ。
「『セクメトゥームの遺跡』にある『太古の結晶』は“赤”との事ですが」
『“赤”……ふむ。ならソレは英断かもしれんのぅ』
「危険なのですか?」
『赤はヒトの闘争心を増幅させる力を持つ。奴らの手にあれば世界中で争いを起こすことも可能になるだろう』
「かつての戦いは『太古の結晶』をめぐってのものだったと聞いています。残り三つの結晶も同様の効果があるのでしょうか?」
『それは今話すべき内容ではない。【魔王】勢力の力が未知数である以上、この通信も安心とは言えん。ただ一つ言えることは、四つ揃う事態だけは避けなければならないという事だ』
600年前【魔王】は四つの『太古の結晶』を使って世界から八割の命を消し去った。
あの事態を再び引き起こす可能性がある以上『太古の結晶』は揃えるべきではない。
『この600年。【魔王】の配下が何をしていたのかは知らん。しかし、世界に捕捉されぬ様に動いていたとすれば、今回姿を現したという事は準備が整ったという事だ』
ザイオンはシグがソレを察したのだと理解する。昔から二手三手先を考える事が多かった旧友の勘は衰えていないらしい。
「では、私はこのまま【勇者】と共に行動しても?」
『好きに動けい。『セクメトゥームの遺跡』に向かうのならゼスと合流するといい。今、奴は遺跡都市で要人に雇われの仕事をしているハズだ』
「兄弟子がですか?」
『ああ。お前としては気が乗らんかもしれんが『太古の結晶』を狙ってソルガが出てくる可能性も捨てられんからのぅ。ゼス、【勇者】と共に奴を迎え討て』
セラは身体を斜めに通る傷跡が少しだけ傷む。奴が来る? 一人ではまだ勝てない……
「……わかりました」
『それともう一つ。協力しろとは言ったが、ゼスの動向には気に止めておけ』
「なにか気になる事でも?」
『……あやつは音信不通だった。今回見つけたのは、こちらの応答に答えたのではなく情報を集めたハイラインからの報告だ』
兄弟子は意図して連絡を避けていたのだとザイオンは告げる。
港に一番近い酒場にシグは足を運んでいた。酒場を出てすぐ正面にはいくつもの船が停泊しており、そのどれもがこの都市を起点に世界各地へ航海する帆船であった。
その船の中で一つだけ異質な船が停泊していた。まるで縦に二つに割られたような亀裂を板でツギハギに繋ぎ合わされた船は、この都市を利用する者ならば誰もが一度は名を聞いたことのある海賊団のモノである。
「久しぶりだね」
シグの来店に店内にいる荒くれたちは彼の姿を見る。年季の入った冒険者や、危険な賭けをしている無法者たちが
中にはヒトを攫う者まで出るような地区でもあり、シグのような若手が来るような場所ではなかった。
「えーっと」
シグは店内を見渡す。品定めするような視線を受けるがその全てを無視し、店の奥へ足を進めた。
「ここ、座ってもいいですか?」
頭にバンダナを巻き、ひげを蓄えた酒を飲む筋骨隆々の大男にシグは尋ねた。すると、大男の横で飲んでいる居る別の男が立ちあがる。
「おいおい。酒が飲める歳じゃねぇだろ?」
「お酒は飲みません。話があるんです。船長に」
「ああ?」
「座れ。ボウズ」
にらみを利かせてくる男を制するように大男がシグに席につくように告げた。船長であることを当てた事には特に気にした様子はない。
「船長、マジですか?」
「おめーも黙って座ってろ」
男は不服そうに元の席に座ると、シグに睨みを利かせる。対してシグは一切物怖じせず、大男――船長の正面に座った。
「僕はシグルム・インダーと言います」
「オレはグレイグだ。ボウズ」
グレイグはジョッキの酒を飲み、全く酔った様子無くシグと会話を始めた。
「わざわざ席を用意してくれてありがとうございます。グレイグ船長」
「上品な口調だな。貴族付きの従者か?」
「元です。今は冒険者ですよ」
「オレらの事は知っているような口ぶりだな」
フン、と鼻を鳴らすグレイグは少々不機嫌な様子だ。
「『ボーングレイグ海賊団』。この名前を知らない人間はレヴナントに居ませんから」
「……ボウズ。オレは小難しい事は嫌いでな。今回は最初だから許すが、次に面倒な口を開いた時はサメの餌にする」
冗談でも脅しでもない口調は、今までもそうして来たと感じさせるものだった。
「すみません。実は『セクメトゥーム地方』に行きたいんです」
「他を当たれ。オレ達は休暇中だ」
「いくらで動いてくれますか?」
「テメェ!」
部下の男が立ちあがる。ガキに金次第で動くような安い奴らだと侮辱されたと感じたからだった。
「10万だ、ボウズ」
「船長!?」
以外にもグレイグは不敵に笑っていた。
「用意すればすぐにでも出てくれますか?」
「ああ。約束は守る」
「と、言うわけでセラさん。お金貸してください」
「は?」
ギルドの集会場でセラと合流したシグは開口一番に呆れられた。
「セクメトゥーム地方の依頼を受けるのではなかったのですか?」
「航路を止められていまして、おそらく【魔王】一派だと思います。それで、この辺りの海域で最強の船に頼ろうと思ったんですが、彼らは一度負けていたみたいでして。動いてもらうのに10万リルが必要なのです」
「あなたは、言葉にして情けなくなる事ってありますか?」
「セラさん。貴女は旅をして半年もしていないから分からないと思いますけど、これは必要経費です!」
「普通は折半じゃないんですか?」
「……お金なくて」
「え? もっと大きな声で言いなさい」
師匠と並ぶ偉大な英雄。【勇者】とは卓越した人格者だと思っていたのだが――
「事実は小説よりも奇なりと言う事ですか」
思わずため息が出る。しかし、条件はどうであれセクメトゥーム地方への船はシグの提案以外にはなさそうだ。
ボーングレイグ海賊団。ジェシカの話ではこの辺りの海域ならば彼ら以上の戦力はないだろう。
「残念ながら、私も10万リルは持っていません。精々3万がいいところです」
セラはいざとなった時に工面できるように、値の張る宝石をピアスにして耳につけていた。
「実はお金を工面する方法がありまして、元手が要るんです」
「…………」
怪訝そうな顔をするセラにシグは、あはは、と誤魔化す様に笑う。
「この街では夜になると中央広場で決闘による賭けをしていまして、連勝すれば掛け金の倍率は上がって行くんです!」
「それに貴方が出ると?」
「はい。新人の冒険者と言う形なら最初から倍率は高いですし、何とかなると思います」
行き当たりばったり過ぎる……
セラはシグルム・ウェドナーという人間に対してただただ呆れるばかりだった。
「その賭け試合には私が出ます」
「え?」
「まぁ、こんな見た目ですし。貴方よりは相手が侮ってくれるでしょう」
正直なところ、彼はあまりあてに出来ないという事をセラは感じ取ったのだった。
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