プロローグ2 竜の里

 拳を突き出す。

 腰を連動させ、肩に力を入れ、拳を握る。

 蹴りを放つ。

 軸足を起点に腰を回転させ、脚を伸ばす。

 心と体が一体になる瞬間が、多ければ多い程、洗練されていくのが分かった。

 強靭な肉体にはソレに釣り合う心が必要だ。

 頭では分かっている。分かっているのだ。


 “お前は弱い。女なら女らしく着飾っていろ”


 兄弟子から言われた言葉と、実力で叩き伏せられて這いつくばる私に向けられる彼の眼が愚かなモノを見るように感じ、頭から放れなかった。

 だからこそ、決めつけられたように拳を捨てて生きる事に納得できなかった。

 大自然の中での鍛錬は、多くの事を教えてくれた。

 川は足腰を鍛えるのに、岩は拳をより強くするために、落ちてくる葉は反射神経を研ぎ澄ますために。

 日が昇る前から始め、太陽が真上に達するまで気づかない日々は珍しくない。


 瞳に力が宿り、血の奥底にある竜の魂が強くなるのが分かる。身体の隅々まで、自分が自分のものであると認識していく。

 それに比例して生傷も絶えない。腕は常に包帯で覆われ、骨はより強靭になっていく。

 ある日、鍛錬から戻った私に師が声をかけてきた。






 竜たちの住まう里は、秘境『霊峰』の断崖絶壁の頂上にある隠れ集落であった。

 遥か昔、竜は膨大な魔力を持つも、生殖能力は低く短命の種族だった。そこで、人の姿に変異することで己の内にある膨大な魔力を制御し、寿命を延ばすことに成功したのである。

 彼らは人の姿で生きる事が当然となり、当時の流浪人の知識から東洋の文化を取り入れ、木造の家屋や和の服装を着るのが当然のように世代を繋いでいった。






「失礼します、師匠せんせい

「おお、セラ。よく来たな。夜飯はまだだろう? 食べて行くとええ」


 白髪。長く伸びた白い髭。つぶれた片目はかつて【勇者】と共に【魔王】と戦った時に負った傷である。

 年を重ねるたびに大きくなる圧力は老人――ザイオンが伝説と称されている竜であることの証明だった。


「少量でお願いします」


 ザイオンの前に正座するのは一人の少女。紫色の髪を邪魔にならないように短く切り、小柄な身体には50年以上の鍛錬によって絞った肉体が存在している。


「もっとがっつり食わんか」


 ザイオンの言葉に食事を配膳する女給はセラの席に大盛りの白米を置く。


「この後も鍛錬をします。ようやく“竜眼”を維持できる時間が伸びてきたので、この感覚を忘れないようにしなくては」

「鍛錬も結構だが、食べる時には食べておけ。どうせ山籠もりで山菜とか魚くらいしか食べてないのだろう?」


 並べられていく手の加えられた料理を見て、セラは思わず涎が出る。


「……師匠せんせい。これも鍛錬の内ですか? 精神的な」

「お前はちょっと頭が固いぞ。今日くらいは湯につかって、屋根の下でゆっくり休め」

「わかりました」


 師の指示となれば仕方ない。五杯おかわりした。






 風呂上がりに縁側で星を見て涼んでいたセラは廊下から歩いてくるザイオンの気配に慌てて立ち上がる。


「座ってていいぞ。少し話をしようと思ってな」


 彼女の隣に座るザイオンは同じように夜空を見上げる。


「何が見える?」

「星と月です」

「そうか。ゼスの言ったことをまだ気にしているのだろう?」


 核心をつく言葉にセラは思わず視線を下に向けた。


「私は……女だという理由で戦う事をあきらめたくないんです」


 セラは産まれつき小柄な体格だった。魔力の潜在能力も並みで、竜眼を発現するまで50年近くの歳月を要した。

 武芸者として才能が無い。それは彼女も理解していたが、それを理由に何もできないと決めつけたくなかったのだ。


「ワシら竜族は戦う術を持たずとも永く生きられるように工夫した。ゼスの様に何かしらの目標でもない限りは好き好んで外界に降りようとも思わん」

「…………」

「ゼスは、この地では達する事の出来ない何かを外界に見出し『霊峰』を降りて行ったのだ。この地で学ぶことは無いと言ってな」

師匠せんせいはそれで良いのですか? 『霊峰』を護る者としての責務を捨て、外界へ行くなど」

「別に鎖国をしているわけではない。ただこの地は並みの生物には住みづらいし、入ってくる者もおらん。好きに出て、好きに帰ってきたらええ」


 その時に里が無くなっていたら困るが、そんな心配もいらん、とザイオンは平和な故郷の様子に笑う。


「【勇者】が【魔王】を倒したから今の平和があるのですか?」


 【勇者】という単語にザイオンは懐かしむような眼で夜空を見上げた。


「奴は自分一人で全てを抱えた。【魔王】を倒すことで、始まった運命を受け入れたのだ」


 セラが気にする事ではないぞ、とザイオンは彼女の頭を優しく撫でる。その様は孫を気にする祖父のように微笑ましい光景であった。


「ゼスの言う事もお前の心には強くあるのだろう。よく悩んで、自分で答えを出すとええ。そんで奴が戻ってきたら、コテンパンにしてしまえ」


 拳を作りながら笑みを浮かべるザイオンにセラも不思議と笑顔になっていた。






 ザイオンは伝説にもなった竜である。

 【勇者】と共に【魔王】と戦った旅の仲間であり、当時を知る者としては最後の一人とも言われていた。

 偉大な先人であり、この竜の住まう里を治める者。

 竜たちは誰もがザイオンを師として父として祖父として慕い、家族のように生きていた。

 兄弟子のゼスもまた、ザイオンの伝説に影響を受けたのだろう。


 その生き様に憧れて里を離れたのだと誰もが思っていた。そうでなければ、この平和な里から出て行くなど考えられない。

 そう平和なのだ。セラもゼスの言葉が無ければ、ここまで自分を鍛えようとは思わなかっただろう。

 だが、その平和が破られる事になるとは今は誰にもわからなかった。






 セラが再び山籠もりに戻って一週間。竜の住まう里は特に変わった様子もなく平和な日和に各々での一日が過ぎていた。


「――――なんだ?」


 山中で背に岩を乗せて過重下で腕立て伏せをしていたセラは少しだけ妙な雰囲気に修練を中断した。


「ふむ」


 村長の屋敷で古い知人からの手紙を読んでいたザイオンもまた、妙な気配を感じ取り中庭へ出る。

 他にも里に居る戦士としての鋭い感覚を持つ者たちも、いつもとは違う様子を察し、その違和感を探ろうと集合し始める。

 その気配の正体は初めにザイオンの元に現れた。


「何者だ?」


 音も気配もなく、太陽に照らされた中庭に立つ漆黒のローブは、それを身に着ける者の身長が二メートルを超える長身である事を印象付けた。


『選択を求めに来た』


 袖も長く、フードもついた漆黒のローブから放たれた言葉は肉声とは程遠い、無機質な声質である。


「質問に答えろ。お前は何者だ?」

『ソルガ。【魔王】の使いだ』


 その言葉にザイオンは眼を細め、漆黒のローブを着た存在――ソルガから片時も視界から外さぬように視線を定める。


「【魔王】は【勇者】によって“天空の底”に封じられた」

『600年前は【魔王】の命にてワタシ達は離れていた。勝ったと思ったか? お前達の行動の全てを【魔王】は読んでいた。故に全ての戦力を知ることなくお前たちはすべて出し切った』

「御託はいい。それで、わざわざワシのもとに来た理由はなんだ?」

『言ったはずだ。選択を求めに来たと……『太古の結晶』を渡してもらおう』

「それを……いや、【魔王ヤツ】なら知っていて当然か」

『渡すか、滅びるか。【魔王】は慈悲深い。お前たちが生き残る選択肢を用意している』

「【魔王】は600年で相当ボケているようだな。選択肢はその二つだけではないだろうよ」


 その瞬間、ソルガは強烈な衝撃をその身に受けて中庭から吹き飛ばされた。外壁を破壊しつつも衰える事のない威力にソルガは地面に指を突き立ててようやく停止する。

 ザイオンは一歩も動かなかったどころか、攻撃した動作をソルガは捉える事が出来なかった。

 ザイオンは身軽な動きでソルガの前に立つ。上着を脱ぎ、袖をまくって戦闘態勢である。その騒ぎに、里の者たちは何事かと様子を見に現れる。


『お前たちは滅びを選択したと【魔王】には報告する』


 ソルガの言葉が合図となり空から隕石が降り注ぐ。


『竜族の殲滅を開始する』






 落ちた隕石は四つ。それぞれが里の道や民家を破壊しつつその場に形を残していた。

 墜落した隕石はひし形。着地点に突き刺さり、不自然な形状と質感を集まった竜たちに見せつける。


“全ての同胞に告げる。住民を坑道に避難させよ”


 竜族特有の魔法による念話。ザイオンほどの実力者になれば里中の同胞に同時に語り掛ける事は造作もない。


「こっちだ。坑道へ走れ!」


 敵の進入を全ての竜たちが悟る。しかし、ザイオンが戦うのであれば、被害も最小限に抑えて敵を排除するだろう。他の戦士たちはザイオンが気兼ねなく戦えるように住民の避難を優先する。

 その時、ひし形の隕石が開いた。


「おい、あれはなんだ?」


 民家から仲間を外に誘導していた戦士の一人が、里の入り口に落ちた隕石から現れた“モノ”を見てもう一人の戦士に問う。

 隕石から現れたのは人だった。だが、ソレは人に見えるだけで生物とは似ても似つかない無機質な皮膚に覆われている。人の着る甲冑に似ているが、生物が持つべき命を感じられない。

 背には無数のケーブルが繫がり、外に出てくる拍子に外れて空気が抜ける音が辺りに響く。


『お前たちの長は選択を誤った』


 ソレが言葉を発した。戦士たちは咄嗟に敵であると悟り、戦闘態勢へ――

 瞬きの間に近くに居た竜の片腕が切り飛ばされた。






 隕石から出てきた敵の数は全部で四体。ソレは近い標的を狙い交戦を開始していた。


『始まったぞ。お前たちの滅びだ』


 ソルガと向かい合うザイオンの耳にも悲鳴や家屋が壊れる音が届く。


「お前たちは何者だ?」

『それほどに疑問か? 大したことではあるまい』

「貴様から“命”を感じん。戦士たちが戦っている敵からもそうだ」


 竜は他の生物よりも膨大な魔力を持ち、それを研鑽し感覚器官へと変換する。その内の一つが命の感知であり、精度を上げれば上げるほど広範囲を把握できるのである。


『【勇者】にでも聞くが良い』

「それもそうだな」


 ザイオンとソルガの拳がぶつかる。威力は互角に見えたが、ザイオンの拳はソルガの拳の威力を巻き込み“反転”させると、そのまま返していた。

 二倍の衝撃がソルガへ襲い掛かる。漆黒のローブは留め具が壊れ、その姿が露になった。


「……鉄のバケモノか」


 ローブの下にあったのは生身の人ではなかった。鉄の装甲は全身に及び、眼に当たる部分には赤い光が宿る。背中からの排気音と胸部から聞こえる僅かな駆動音は蒸気機関のソレとは大きく異なっていた。

 鋼鉄の全身。それがソルガの本体であった。


『大したことではあるまい』


 ソルガの右腕部の装甲が僅かにズレると、不意に拳が加速する。

 ザイオンは咄嗟に拳を合わせて迎撃するが、想定する威力を超えた衝撃に“反転”を読み誤る。


「ぬぅ!?」


 まともに受け止めず回転して流すと、そのままの勢いで跳び回し蹴りをソルガの頭部へ叩き込む。

 ソルガは軟体動物のように身体を横に倒す様に逸らして回避。そして、指を伸ばす様に揃えると指部の装甲が鋭利な刃物のように変化した。


『ザ・ソード』


 振り上げるようなソルガの手刀にザイオンを足を乗せてその場で縦に回転し威力を上に逃がす。

 その場に残った片足の草鞋だけが二つに分かれた。


爆熱ブレス


 ザイオンはソルガの周囲にある魔力を操作し可燃性のあるガスへと変化させる。装甲の触れ合う摩擦に点火されソルガは爆発に包まれた。


「……驚いたな。形が残っているとは」


 着地するザイオンは、大型の魔物でさえ容易く焼き殺す一撃を受けて、ダメージを受けていない様子のソルガの存在に驚きを隠せなかった。


『想定内のダメージだ。お前は予想以上に強いな』


 ソルガは起動した兵士たちと情報を共有し、戦況と各々で交戦している竜たちの戦力を測っていた。


「ワシだけではないぞ」


 ザイオンもまた、竜たちから入ってくる魔法による念話を聴き取り戦況を理解している。






「ふんっ!」


 腕を斬り飛ばされた竜の戦士は、逆にソルガの兵士を蹴り飛ばしていた。兵士は二、三度跳ねると衝撃に耐える様に態勢を整える。


「なんだコイツ」

「おい、腕はちゃんと縛っとけよ。失血死するぞ」


 慣れたように止血すると落ちた自分の腕を拾う。治癒能力の高い竜族はこの程度の怪我はかすり傷と変わらない。


「俺、坑道に行くわ。後は頼んだ」

「入り口を護っとけよ。他に三体いるみたいだし」

「これは一体どういう騒ぎ!?」


 そこへ、セラが息を切らして現れた。彼女は里に隕石が降り注いだ様子を見て修業を中断して山から走って来たのである。


「うわ! 腕切れてる?!」

「いちいちビビるなよセラ。こんなもん掠り傷だろうが。なぁ」

雷鳥サンダーバードを狩る時の方がヤバかったよな」

「……もうちょっと、危機感は無いの?」


 すると兵士は踵を返し、セラへ向かっていく。

 空気を貫くほどに鋭い手刀をセラは沈むように避けると正拳を兵士の胴部に叩き込む。

 怯んだ様子に続けて頭部へ上段蹴りを叩き込み破壊すると兵士は仰向けに倒れて動かなくなった。


「おお、上出来だな」

「結構強くなってんじゃん。セラよ」

「生き物じゃない!?」


 セラが数年前よりも強くなっている様子に戦士の二人は、おお、と彼女への評価を改める。対してセラは打を入れた感触から兵士の身体は甲冑ではない事を感じ取っていた。


「生き物じゃないよ!? コレ!」

「長老から念話が入ったが、お前聞いてないの?」

「え? 走るのに夢中で……」


 ザイオンは皆にソルガと現れた敵の正体を念話で共有していた。敵は生物ではなく何かしらの動力を持って動く無機物の兵士であるとの事。


「今、長老が敵の首魁と戦っている。他の奴らも敵兵と交戦したみたいだが、問題なく撃破してる。不意の襲撃で何人かは負傷したみたいだが」


 セラは今現在、飛び交っている魔法による念話に耳を傾けると常に情報は入り乱れていた。


「俺は長老の援護に行く。お前は腕の治療をしてもらえよ。セラも一緒に坑道に行け」

「私も師匠せんせいの援護に行く」

「敵の伏兵の可能性もあって何人かは坑道の護りに必要なんだよ。さっさと行け」


 状況の優先順位を考えれば、当然の判断だ。セラよりも強い戦士は里には多く居る。彼女が言ったところで、彼ら以上の働きは出来ないだろう。


「ほら、行くぞ。頑固娘。長老はこんな鉄屑には負けねぇよ」


 と、負傷した同胞は動かなくなった敵の兵士とセラを交互に見ると先導していく。


「……師匠せんせい


 後に続く、セラは嫌な予感が収まらなかった。空が晴れている事が何となく気になったのである。

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