結「一枚の写真」

   

 今年の夏。

 私の家では、二階の寝室にあるエアコンが故障した。

 一階の方は大丈夫だったから、なるべく、そちらで過ごすべきだったが……。

 二階の寝室には、趣味で使っているパソコンがあった。だから、こちらにいる時間が長くなってしまう。

 私の趣味は、素人小説の執筆。小説投稿サイトで、たくさんの作品を掲載していた。

 スマホが普及する以前から続く趣味なので、いまだにパソコンを使って書いている。また小説の資料として撮影する風景写真も、スマホではなくデジカメを用いて、全てパソコンのフォルダ内で管理していた。

 だから、少しくらい暑くても、窓を開けることで対処して、二階で執筆に没頭していたのだが……。


 その日。

 ふと気づくと、キャッキャッと騒ぐ声が、外から聞こえてきた。

 通りで遊ぶ子供の声、にしては少し方角が違う気がする。

「もしかして……」

 裏側の窓に近寄り、隣の家の庭に目を向けた私は、それが視界に入ると同時に、慌てて頭を下げた。

 だから、見えたのは、ほんの一瞬。

 芝生の庭では、これまで何度も――それこそ飽きるほど――目撃したように、彼女とその子供が、二人で遊んでいた。

 ただし、今までとは違う点があった。

 それは、芝生の上にビニールプールを置いて、二人が水遊びをしていた、ということだ!


 母と子は、互いに水を掛け合っていた。それが楽しくて、子供はキャッキャッと声を上げていたようだ。

 だが、喜んでいたのは子供だけではない。母親の方も、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべていたのだ。黄色のビキニを身につけた、半裸といっても構わないくらいの姿で。

 彼女には油断があったのだろう。ご近所からもほぼ死角な裏庭だから、露出度が高い格好でも大丈夫、と思っていたに違いない。

 見た瞬間、私の頭に浮かんだのは、西洋の裸婦画だった。厳密には違うが、それに匹敵すると思えるほどの、肌色面積だった。

 当然と言えば当然かもしれないが、これまでお隣さんとして近所付き合いをしてきた中で、私が彼女の水着姿を目にする機会は、ただの一度もなかった。これが初めてだ。

 引っ越してきた10年前に30代ならば、今では、もう40代のはず。それでも、彼女の水着姿は魅力的だった。

 もちろん、若い娘のような、ピチピチと張りのある肌ではない。漫画やアニメの二次元キャラあるいは実在するグラビアアイドルのような、極端なボンキュッボンとも違う。

 それでも、それなりに、歳相応に。

 出るところは出て、引っ込んでいるところは引っ込んだ体型。少しだらしない、ほどよい肉付き。そのムチムチ感にこそ、大人の色気が漂っている。まさに『西洋の裸婦画』のイメージだった。


 それだけの情報を、私は一瞬の間に、目に焼き付けていた。

 出来ることならば、正々堂々と窓際に立って、ジロジロと眺めていたいところだが……。

 いくら天然気味の彼女とはいえ、今の姿を私に見られたくはないはず。いや、むしろ天然だからこそ、こうして見られること自体、全く想定していないのかもしれない。

 どちらにせよ。

 私が見ていることに彼女が気づいてしまえば、この天国のような時間は終了してしまう。それどころか、その後の近所付き合いにおいて、私は地獄に叩き落とされたような気分を味わうことになりそうだ。

 だから。

 気づかれないように注意しながら、私は少しだけ、ほんの少しだけ頭を上げて。

 もう一度、半裸の彼女を、こっそりと網膜に記録した。

 ああ、眼福、眼福!

 かつて若い頃、初めて女性の裸体を目にした時でも、ここまでの感動は覚えなかったと思う。


 悦びに震えながらも……。

 絶対に、相手に見られてはいけない、という意味では。

 映画やドラマの銃撃戦シーンで、頭を伏せて隠れる人間の心境だった。

 いや、そんな格好の良いものではない。むしろ、物陰に隠れて盗撮を試みるパパラッチだろうか。

「……そうだ! パパラッチだ!」

 頭の中で浮かんだ比喩が、大きな閃きに繋がった。

 立ち上がったらバレると思い、私はかがんだ姿勢を維持して、パソコンのある机に向かう。パソコンに繋げたままだったデジカメを外し、それを手にして、同じ体勢で窓まで戻る。

 そして、今度は頭ではなく愛用のデジカメを、ギリギリの位置まで上げて……。

 パシャリと一枚。

 まさに至高の一枚を、撮影するのだった。


 なお、こうして入手した水着写真は……。

「これは小説執筆の資料ではないから、いつものフォルダに入れるべきではないよなあ?」

 と、自分に対して言い聞かせた結果。

 現在、パソコンのデスクトップ画像になっている。


――――――――――――


 素人小説を書いていると、時々、言葉の意味や使い方に悩む機会が出てくる。

 昔と違って、今はネットで簡単に調べられるので、正しい日本語を用いるのも、それほど難しくはない。

 しかし、せっかく正しく書いても「間違っています!」とコメントされる場合もある。

 私自身が経験するだけでなく、他人の作品で、そういう感想欄を目にする時もあった。そこで作者が反論して、レスバトルに発展しているのを見たこともあった。


 実際、正しい日本語に対して読者が「違う!」と思い込むくらいに、誤用の方が一般的な言葉もあるようだ。

 だから私は、執筆にあたり、敢えて「間違っているけれど、その方が意味が通じそう」という表現を選ぶ場合もあるくらいだ。

 言葉の意味は、時代と共に、少しずつ変わっていく。今は『誤用』とされる使い方も、いずれは『正用』となる時が来るのではないか、と私は思う。

 例えば『一姫二太郎』という言葉は、まだ正しく用いる人の方が多いが、『確信犯』に至っては、本来の意味とは違う方が一般的だという。

 冒頭で例に出した『敷居が高い』も、まだ逆転こそしていないものの、かなり誤って使われる言葉だ。そのため、最新の辞書には両方の意味が書かれている、という噂も聞いた。


 現実問題。

 私は今、隣の家に対して、敷居が高いと感じている。

 具体的には、最初から彼女に対していだいていた『高嶺の花』的な想いと、そんな彼女の水着写真を盗撮して鑑賞しているという罪悪感。

 前者は『高級過ぎたり』に、また後者は『不義理があったり』に、それぞれ相当すると思う。

 だから、私の場合。

 誤用でも正用でもなく、二重の意味で『敷居が高い』と言えるのかもしれない。




(「隣の芝生は敷居が高い」完)

   

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隣の芝生は敷居が高い 烏川 ハル @haru_karasugawa

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