承「お裾分け」
「これ、お裾分けです。晩御飯のおかず、作り過ぎちゃって……」
そう言って彼女は、手料理の差し入れを持ってくることがあった。
ちなみに『お裾分け』という言葉は、普通は「自分が貰ったものを他人に分ける」場合に使うものであり、「自分で作ったものを他人に分ける」というのは、少しニュアンスが違うと思う。だが語源を考えれば「余った着物の裾を分ける」ということなのだから、作り過ぎた料理に使うのも、あながち間違っていないのかもしれない。
そう考えて、そこは気にしないことにしたが、それでも少し引っ掛かる点があった。
確かに私も、御中元や御歳暮などの贈答品を『お裾分け』と称して、隣近所へ配ることはある。しかし大学の学生寮でもあるまいし、いい大人が手料理を、他人である隣人に差し入れするというのは、いかがなものか。
初対面での冗談のように、これも少し非常識なのではないか、と私のセンスでは感じてしまうのだが……。
第一印象における刷り込みも、あったのかもしれない。心の中では「お隣さんには少し天然が入った部分があり、そこがまた可愛らしい」と、好意的に処理してしまう。
「これはこれは……。いつもいつも、ありがとうございます」
恐縮した態度を見せながら、内心では大喜びで、彼女の手料理を受け取るのだった。
近所の人の話によると。
こうした手料理の差し入れは、私のところだけだったらしい。他のご近所さんに対しては、貰い物などのお裾分けはあっても『手料理』はなかったという。
もしかすると、彼女の方でも「一般的には、手料理は他人に配るべきではない」という感覚なのかもしれない。
では何故、私の家だけは例外なのか。
普通に考えれば、物理的な距離なのだろう。『お隣さん』は『ご近所』の中でも、最も近い場所に存在している。それこそ「味噌汁の冷めない距離」という表現もあるように、作りたての料理は、冷めて味が落ちることのない範囲にだけ、配れるのかもしれない。
あるいは。
いい歳して独り身である私に対して「女性の手料理を口にする機会もないだろうから、せめて自分が……」という、妙な親切心を発揮しているのだろうか。
いや、そんなはずはない。頭では否定しながらも、心の中では、そう期待してしまうのだった。
ちなみに。
彼女の差し入れで、最も頻度の高いメニューは、肉じゃがだった。これが彼女の得意料理なのだろう。
男心を捉える上では最適な料理、という俗説もある肉じゃがだが、私の個人的な好みからすれば、好物ではなかった。というより、私は肉料理全般が苦手なのだ。
肉じゃがを肉料理に含めて良いのか、少し疑問はあるかもしれない。だが少なくとも、私が自分で作るのであれば、肉じゃがではなくイモの煮っころがしにしてしまう。
だから、彼女から受け取った際も。
お椀の中で湯気を立てる、熱々の肉じゃがを前にして。
最初、少し悩んでしまった。
「肉だけ取り除いて、食べればいいかな……」
と、あえて独り言を口にしたくらいだ。
しかし。
せっかくの彼女の手料理だ。
私ではなく旦那さんに向けられたものだとしても、彼女の愛情が大量に、この肉じゃがには込められているのだ。
だから、結局。
「ごちそうさまでした」
その肉じゃがを、私は完食してしまった。
やっぱり肉の歯ごたえは苦手だが、少なくとも味付けの方は、最高に美味しかったと思う。これ以降、肉料理の中でも肉じゃがだけは、私も普通に食べられるようになった気がする。
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