王権を保つ言葉達によって衛られた「物語り」に耳を傾ける度、小夜曲は甦る

小説の生命は、実は読み終えられた直後にこそ始まるのかも知れません。結末を知ってしまった物語を再び読み返したくなる動機とは何か。それは当然にも、真っ新な未知と出逢う昂奮を味わいたいがためではなく、幾度となく触れられてなお摩耗するどころかその味わい深さを弥増す鞣革のような手触り、ならぬ「読み触り」、読み返す度に心地良い風合いを醸す「言葉」や「譬喩」との再会を庶幾するからに外なりません。

成る程、なべて物語は要約される運命から遁れることはできず、まさしく「要」だけを「約」められた梗概としてデフォルメされてしまいます。抗い難いことです。然は然り乍ら、ではその要約の過程で「不要」と断ぜられ、価値を見出されず零るるに任された「言葉」や「譬喩」はどうなってしまうのでしょうか。要約の罠に捕らわれない、天翔る崇高な「言葉」、そして寄木細工のように抜き差しならず精巧に組み上げられた鮮やかな「譬喩」……要約という営為とはおよそ対極にある著者の文学の最大の美点はそこにあります。それぞれが孤高の王権を保つ「言葉」達によって織り上げられる、宛も著者が奏でる音楽のような「物語り」に耳を傾けることで、小夜曲は読者の内奥に、その度毎に様々な愉楽を沸き上がらせてくれるでしょう。のみならず、読み返す度に実はそこに意想外の新しい発見がある、驚きがある、それは一意性を希求する硬質な自意識で固く鎧われた文体ではなく、読者の「我が侭」な解釈を柔らかく受け止め、それに呼応するように文そのものが撓やかに、そして美妙に形を変えて迎え入れてくれる、そんな懐の深い著者の文体の為せる業であるに違いありません。

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