第6話 ボクは彼女が嘘つきだと知る
入学手続きの書類を提出した次の日から、ミスカトニック大学工学部の教授でもあるリリー・マクファーレン嬢による講義が始まった。午前中は座学。午後は演習。これが毎日続く。土曜と日曜日。ニューアメリカの祝日はお休み。
お屋敷のなかにある一〇〇名は収容できる階段教室でただ一人、ボクのために講義は行われる。
その日の午前中は工業数理の時間だった。ハイスクールの内容のおさらいと思っていたのだけど、ミリやらキロやらの新しい単位が出てきてボクは戸惑った。普段使い慣れているフィートやポンド、オンスとの換算が面倒くさい。トンに至っては、同じ名称で実際の量が違っているときた。こんな単位考えたやつ誰? バカなの? 面倒くさいだけ…。
「この単位系を使うのはなぜなんですか?」
ボクはお嬢様に尋ねる。
リリー・マクファーレン嬢の怪訝な表情。一呼吸おいて回答がやってきた。
「古代人が極めた科学、そしてその応用である工学を
「ややこしい…」
つい口を突いて出た。無駄な勉強をしてるんじゃないかと思えた。
「ときに単位系これを取り違えたせいでプロジェクトは混乱しました。遥かなる火星へ飛ばした無人探査機は単位系の取り違えで軌道修正に失敗し、行方不明になったと言い伝えられています」
「じゃあ、どっちかに統一してください。ボクらまで同じ過ちを繰り返す必要はないでしょう」
「ところが、そうはまいりません。歴史は繰り返されなくても、韻を踏むものです。ヤード・ポンド法の文書から文明を復興した地域はいまでもそれを使い続けていますし、メートル法で記された技術文書を発掘した地域の者はそれを使うのです。お互いは一歩もひかず、現代でも同じ混乱を抱えて、私達は考えたりものを作ったりしているのです」
リリーは黒板に白いチョークで『ヤード・ポンド法』と『メートル法』の換算式を書き、現在の世界地図を書いて、それぞれの単位系の使用地域を塗り分けた。
上下可動式、六面の黒板に白いチョークで板書をする。リリーは最新鋭の機械人形なのに、講義はかなり古風である。
彼女はいまだにリディアの喪に服したままで黒い服以外は着ることがないのだけど、それに白いチョークの粉がつくことはなかった。なぜなら、白い粉が舞うとき、彼女はもうそこにいないから。彼女は落ち着いているのだけど、動きは素早い。
「世界はうんざりするほど面倒くさい。そして、厄介事はなくならない。すべてを清算するための戦争は古代文明を破壊し尽くした。現代の工学は過去の過ちから学び、再びの滅びを避けなければならない、というわけです」
「はあぃ…」
ボクはお嬢様の言うことに全面的な同意はできかねたが、まあ従うほかないだろうなと思った。多くの制限があり、そのなかでベストを尽くす。エンジニアリングとはそういうものだ、と以前、父が教えてくれた。
「午後の実習では私のサブシステムのメンテナンスをしてもらいます。失敗したら許しませんことよ」
お嬢様は言い、午前中の講義は終わった。
どうみても人間としか思えないが、リリー・マクファーレン嬢は機械仕掛けであり、ソフトウェアの修正には
昼休みの後半を使って午後の実習で使う機器はチェックしておいた。昼の休み時間はボクにはもっと少なくていい。食べるのは早いほうだし、一人での食事は味気ない。そういえばお嬢様の食事風景は見たことがない。生体部品のために何か食べてる気があるんだが。
午後の演習が始まった。鈍く光る革張りのリクライニングチェアにお嬢様は座る。背もたれに体重をかけ寝そべる姿勢になるとフットレストが伸びベッドのようになった。枕の部分に無線接続装置があり、お嬢様の首筋の内側に情報を送り込むようになっている。
ボクは一介の出入り業者だった頃と同じように粛々と作業を進める。
「その設定ファイルは事前にテストサーバで動作確認しましたか?」
その声は
「やってますけど…」
お嬢様が何を言ってるのか分からなかった。
「テストの環境が本番と同一であると決めつけていませんか?」
「どういうことです?」
言ったあとでボクは考える。バックアップをとって同期させているから本番サーバとテストサーバに差異はない。それは確かだ――だけど、待てよ。ファイルが同じでも、実際に動かしているものが違えば信号は同じでも正しく動作するわけがない。そして、お嬢様のエミュレータは機械仕掛けのお嬢様の誕生からずっと更新されていない。お嬢様の誕生は20年近く前だ。ソフトウェアであるエミュレータはハードウェアの経年劣化を再現しない。つまり――今のお嬢様のフレームの歪みなどをまったく配慮していないから、実際とは別の結果になる可能性があった。
「い、痛い! あぁぁ…」
黒い画面にコマンドとその実行結果の文字が表示されるだけのはずのターミナル画面を左手で脇に追いやって、カラーでお嬢様の2次元映像が表示された。映像のなかのお嬢様の右腕が引き攣り骨が飛び出し、噴水のように血が吹き出している。
「お嬢様!」
ボクは驚いて、仰向けになったお嬢様の様子をみる。ところが、彼女はべつだん普段と変わりはなかった。右手をあげてはいたが、骨など飛び出していない。そもそも、機械人形の内部に白い骨やら赤い血潮などはないのだ。フレームは金属製のはずである。
「はい。そこまで!」
お嬢様は言い、リクライニングチェアを起こした。
「どういうおつもりですか?」
ボクは尋ねる。
「エンジニアとしての基礎を教えている。そのための実習でした」
お嬢様は澄まし顔で言う。
「騙しましたね」
「不注意から起こりうる悪いケースをシミュレーションしてみたにすぎません」
「楽しんでましたよね。そして、そもそも機械仕掛けのお嬢様、リリー・マクファーレン嬢はこの程度のソフトウェアの調整など自分でできる存在なんだ。今までターミナルで接続させられていたのもまやかしだった。そんなことであなたのなかには入れない」
今までずっとターミナルでコマンドを叩いてメンテナンスの仕事をしている気分にさせられていたが、あの黒い画面は彼女と切り離されていたのだ。今まで、仕事しているふりをさせられていた。彼女は自分の面倒は自分でみれるのだ。
「人間に定期的にネジを巻いてもらわないと動かなくなる機械人形。不安定でか弱い存在であったほうが、みんな安心するのではありませんか。自分で自分の調整をして、人間よりずっと長く生きる。おまけに知識は大学教授レベル。元々は戦いのために作られ、今でもその気になれば戦略兵器なみの破壊力を秘めている。そんな、なんでもありの存在を気持ち悪く、疎ましく思うのが人間でしょう?」
「お嬢様の人間に対する造詣の深さはよくわかりました。たしかにあなたのことを羨ましく思ったり、妬ましく思う人間はいるでしょう。でも、ボクはそうは思いませんし、これからもそうでしょう。ボクに嘘をつくのはもうやめてください」
「それはあなたが私の所有者だから?」
「家族だからです」
自分でも思いがけない言葉が口をついて出た。
「わかりました。これからは正直にいきます。今までついていた嘘については謝罪するとともに、訂正させていただきますわ」
「そうしてもらえると嬉しいです」
ボクは言った。同居人に星の数ほど秘密があるというのでは疲れてしまう。
「訂正1、私が遠くへ出歩けないというのは嘘です。訂正2、管理者が私をシャットダウンできるというも嘘です。訂正3、私が意識を持たない存在だというのはおそらく嘘です。訂正4、私が……」
お嬢様が今までついていた嘘を洗いざらい告白するためには午後三時のお茶の時間までかかった。
リリーとケリーは異世界探偵 プラウダ・クレムニク @shirakawa-yofune
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