5.また明日


 帰宅して、晩飯を済ませた俺は二階の自室に足を運ぶ。

 理由は単純明快。風呂に入るため、着替えを取りに立ち寄ったのだ。暑いなと思い机の隅に立てかけてある室温計に目をやると、針が三十度近くを示している。うんざりとした心地でため息を吐きながら、扇風機のスイッチを入れる。このまま稼働させておけば、風呂から上がってきた時には少しは涼しくなっているだろうか。


 クローゼットから適当に着替えを引っ張り出していると、背後でバイブ音が聞こえた。メールが来たことを知らせる音のようだ。


 服をベッドの上に放って、スマホを手に取りディスプレイを表示させる。


 すぐに『宇佐見さん』という文字が目に入る。

 元々は『宇佐見菜穂』とフルネームで記載されていたものを、後で自分なりに書き換えたものだ。俺としては、こっちの方が目に留まりやすい。


 数時間前の一連の出来事を思い出して、ついにやけてしまいそうになった。


 『夜遅くにすみません。』という前置きから本文は始まっている。

 まだ九時半だとはいえ、こんな時間にどうしたのだろう。


 『今日は、ご迷惑をおかけしてしまって、本当にすみませんでした。それから、ありがとうございました。本当に、助かりました。


 ただそれだけお伝えしたくて……。』


 「律義だなぁ……」

 お礼の言葉なら、さっき直接もらったというのに。わざわざメールまでくれるなんて。感謝の言葉より先にお詫びの言葉を書く所が、宇佐見さんの謙虚さを表しているような気がする。不用意に顔文字を使わない所には、誠実さを感じた。

 ベッドに寄り添うように床へ腰かけ、俺はすぐに返事をスマホに打ち込み始める。


 『どういたしまして。それに、迷惑だなんて思ってませんから、あまり気にしないで下さい。

 何度も言いますが、宇佐見さんに怪我がなくて何よりです。』


 自分の打った文章を読み返し、あまりにも素朴だなと思う。

 手早く送信し終えてから、もっと考えてからにすればもう少し上手い文を打てたんじゃないかと後悔した。

 やってから後悔する癖は、子供の時から変わっていない。初めて彼女が出来た中学二年生の夏、まだガラケーだった時代に当時付き合っていた彼女との最初のメールをかわした際に、返事を打つ段階で一回一回、二つ折り携帯を握りしめて熟考したことを覚えている。後で「メールの返信、遅すぎ」と、彼女に愛想をつかされたことも同時に思い出して苦々しくなる。

 当時は、携帯電話を買ってもらったばかりだった上にパソコンを触る機会も少なく、まずキーボード操作に不慣れだったせいもある。タイピング技術は、あの頃よりも格段に向上した。語彙力も多少、身についた……はずだが、はっきり言って自信はない。

 果たして、さっきのような文章で大丈夫だろうかと不安になってきた時、宇佐見さんから返事がきた。


 『思いやりのある言葉をありがとうございます。

 なんだか、秋崎さんには助けられてばかりみたいで申し訳ないですが……。


 あの、甘いものはお好きですか?』


 唐突なクエスチョンだ。首をかしげながら『好きです。甘党です』と返信する。


 『そうですか。甘いもの、美味しいですよね。私も好きです。


 あっ、今の質問には深い意味はないので、気にしないで下さい』


 最後の文章の後には汗の絵文字がつけられていた。

 ……ひょっとして宇佐見さん、俺に何かお礼をするつもりなのだろうか。前に俺がお詫びの品で彼女にお菓子を渡した時のように。と、そんなことを推測してしまう自分がものすごく卑しい奴に思えて嫌になる。


 甘いものの件は、宇佐見さんに言われた通り気にしないことにするとして、次の返事をどうするべきかに着目する。

 既に、話題は途絶えている。けれどここでこのやり取りを終わらせてしまうのも、違うような。

 

 というか、単純にもう少し宇佐見さんと話していたい。晴れて想いを伝えて、それが実って恋人同士になれたというのに、初めてのやり取りをこんなにも呆気なく終わらせてしまうのはもったいない。せっかく恋人同士になれたのだから、もっとやり取りをしてみたい。


 よし。ここは純粋に、俺が今思っていることをそのまま伝えてみよう。


 『俺からも、宇佐見さんに改めてお礼を言いたいんですが』


 少しの間があって、返事がくる。

 『な、なんのことですか?』

 面と向かっていなくても、宇佐見さんの戸惑いが伝わってきて微笑ましい。


 『俺の告白を受け入れてくれて、ありがとうございます。

 そして、彼女になってくれてありがとうございます。


 でも正直、宇佐見さんとこうしてメールのやり取りが出来てるだけで、俺はめちゃくちゃ嬉しいです。』


 本心を文章にしてみると、この内容を宇佐見さんへ送るのがなんだか急に恥ずかしくなってきた。

 だが、これが俺の正直な気持ちであり、今一番、宇佐見さんへ伝えたいことだ。

 

 変に取り繕ったり、飾り立てるよりは、よっぽどいいのだろう。


 「……、何も返って来ないな」

 返信がないまま八分が経過した。

 たった八分で何をそわそわしているんだと、俺よりも年配の人ならそう思うのかもしれない。最近の若者は、メールの返信のスピードに敏感なのだ。

  宇佐見さんはキーボード打ちがあまり得意ではないようだったが、少なくとも今のやり取りでは三分くらいで返事がきている。俺が返信を打つまでの間に、何か用事でも出来たのか。


 まさか、引かれてしまった、なんてことはないよな?


 一方的に俺の本心を知ることになって、迷惑だっただろうか。メールしてるだけで何嬉しいとか思ってやがるんだコイツ、とか呆れられたのかもしれない。それでもう返事をする気にならない、とか。


 例えそんなことを思ったとしても、宇佐見さんはメールのやり取りを途中で放棄するような人ではない。それは分かっている。分かっていても悪い想像が過り、心の中を焦燥と不安が支配する。

 何か弁解の言葉を送るべきかと再び文章を打ち始めたら、ろくに進まない内に宇佐見さんからの返信があった。

 ひとまず、ちゃんと返信をしてくれたことにほっとする。


 『お返事が遅れてしまい、ごめんなさい。


 秋崎さんの返信に、ついドキドキしてしまって、指が震えて上手に文字が打てませんでした。』


 長文の最初の三行目までを読んで、俺は吹き出す。なんか、ちょっと昔の歌の歌詞に「震える指で電話をかける」みたいな下りがあったのを思い出した。


 「…指が震えるくらい、ドキドキしてくれてたのか…」

 その姿を思い浮かべて、なんて可愛らしいんだと笑みがこぼれる。引かれたのではなかったと知り安堵すると共に、俺の言葉で宇佐見さんをドキドキさせられたことへ多少の喜びを感じた。


 メールにはまだ続きがある。口元を弛緩させたままで目を通す。


 『私も、秋崎さんとメールのやり取りが出来てとても嬉しい気持ちです。男性の方とこうして文面で会話をしたことがあまりないので、おかしな風になってしまっていないか心配ですが……。


 それから、こちらこそ、私を好きになってくれてありがとうございます。

 告白してくれて、とても嬉しかったです。今日のことは、一生忘れられない思い出になりそうです。


 ……ですが、私なんかで本当にいいんですか?秋崎さんに好きになってもらえたことは嬉しいのに、どうしてもまだ実感がわかなくて……。

 

 秋崎さんは、こんな私のどの辺りを好きになってくれたんですか……?』


 これはまた唐突なクエスチョンだ。


 けれども、さっきの問いよりも答えがいのあるものだ。


 自分に自信が持てない宇佐見さんへ、俺は嬉々として答えよう。

 彼女のいい所、好きな所を。


 『文章で上手く表現出来るか微妙ですけど……。


 何事にも一生懸命な所。いつも背筋がピンと伸びていて、姿勢が綺麗な所。不器用だけど、作業をする手つきが丁寧な所。ちょっとだけドジな所。周りの人たちに気配りが出来る所。優しい所。謙虚な所。毎日、綺麗に髪を結ってある所。

 真面目な顔。返答に困っている時の顔。少しだけむっとしている顔。あわててる時の顔。ほっとした時の顔。

 たまに見せてくれる、可愛い笑顔。


 ……他にもありますが、長くなってしまうのでこのくらいで。

 色々と書いておいてなんですが、多分俺は宇佐見さんの全てが好きなんだと思います。』


 送信し終えて、一息つく。

 背後のベッドに寄りかかり、天井を見上げる。LEDの明かりが目に眩しい。


 日頃から宇佐見さんのことを見つめてきて知れたこと。それを充分に発揮したつもりだが、上手く伝わるだろうか。

 『私』とか、『私』などと自分のことを卑下してしまう宇佐見さんが、もっと自分自身のことを好きになってくれたら、と思う。自信を持てるようになってくれたら、俺も嬉しい。


 まあ、どんな宇佐見さんだって愛せる自信が俺にはあるけれど。

 どうせなら、好きな人にはいつも笑顔でいて欲しいものだ。


 今、宇佐見さんはどんな顔してるんだろう。


 少し前に別れたばかりなのに、無性に、彼女に会いたくなってきた。


 「こんなに誰かに会いたいと思うの、久し振りだなぁ」

 天井を仰ぎ見たままで呟いていると、会えない代わりとばかりに宇佐見さんからの返事が送られてきた。


 『なっあ、なんですかその、褒め殺しみたいな文章は、、

 

 すみません。どんな風に変身したらいいのか、よく分かりません。』


 打ち間違いが多いことから、宇佐見さんがさぞかし動揺しているであろうことは容易に想像がついた。


 『どんな姿にも変身しなくていいです。

 俺はそのままの宇佐見さんが好きですから。』


 『誤字に気がつきませんでした、すみません……(>_<)』


 『お気になさらず。

 それより、俺から見た宇佐見さんの好きな所、もっと挙げましょうか?』


 『もう大丈夫です。お腹いっぱいです。お願いですから勘弁して下さい。』

 涙目で懇願している宇佐見さんの様子が目に浮かんだ。そんな姿は今まで一度も目にしたことがないから、百パーセント俺の想像に過ぎないが。

 あまり困らせるのも可哀想なので『そうですか? それではまたの機会にします。』という文を返す。キリもいいしこの会話もそろそろ潮時かと思っていると、手の内でスマホが震えた。画面に触れて届いたメールを開く。


 『秋崎さんは、私のことをよく見ていてくれているんだなってことが分かりました。そんなに見られていたんだと思うと、ちょっと恥ずかしいです(^^;


 でも、なんだか嬉しい気持ちになりました。

 私ももっと、秋崎さんのことを知りたいです。なので、同じ会社に勤める先輩としても、彼氏さんとしても、これからよろしくお願いします。』


 口元がほころぶ。文字で『彼氏さん』と表してもらっただけで、たまらなく嬉しい。この調子じゃ今後、宇佐見さんが誰かに俺のことを「私の彼氏です」なんて紹介する場面に遭遇したら、思い切りにやけてしまうんじゃないだろうか。

 また、俺のことを知りたいと思ってもらえたことも嬉しかった。

 今までは俺の片想いで、一方的に宇佐見さんのことを知りたいと思っていたけれど、これからはお互いに相手のことを理解し合う関係になれた。彼氏彼女になるというのは本来そういうものだけど、今回はこちらが先に好意を抱いてそれが実った形だからかより強い喜びを感じる。

 

 思えば、これまで自分から好きになった相手からはとことん振られてきた。だから片想いが成就したのは、きっとこれが初めてだ。

 

 気がついて、改めて宇佐見さんへ深く感謝の気持ちを伝えたくなった。


 『先輩って言っても、俺もまだまだですから。仲間って思ってくれた方が気が楽です。


 俺も、もっと宇佐見さんのことが知りたいです。なので、こちらこそどうぞよろしくお願いします。


 では、また明日会社で。』


 『はい。また明日。おやすみなさいです。』

 今回は一分と経たずに返信があった。語尾には夜を表す星空の絵文字がつけられている。


 『お休みなさい。』と返してから、俺はスマホの画面を消して床に置いた。


 深い深いため息が、口から漏れる。嬉しい時にもため息は出るのだと、今初めて知った。


 また明日。そう言い合える相手がいるだけで、こんなにも幸せだとは。


 短くて、何気ないけれど、必ず明日また会えるという気にさせてくれる約束の言葉。この一言を、これほどまでに尊くて愛おしいと思ったことがあっただろうか。

 なんて素敵な言葉がこの国にはあるのか。海外の人が日本語を学んで、日本の言葉は綺麗だと感じる瞬間が分かった気がした。意識していないだけで、忘れているだけで、美しい日本語はまだまだ俺の周りに存在しているのだろう。


 次にこんな気持ちになった時は、ぜひ宇佐見さんと共有したいな。


 「さてと。今夜は読書に興じた後、早めに寝るか」


 そして、明日はいつもより早く起きよう。早く家を出て、宇佐見さんよりも先に会社に出社しよう。


 それから彼女と、笑顔で朝の挨拶をかわすのだ。


 明日の予定を思い描きながら、まずは風呂だと立ち上がる。

 着替えを持って扇風機の前を横切った時、いつもは生ぬるい風が今はさわやかに俺の傍を吹き抜けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人間観察が趣味の俺が、中途採用された女性社員を観察してみたら。 @leo0615

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ