最終話
「ドラゴンなんているわけ無いだろう」
観光客らしい男の言葉に、女の子はボロボロと泣き出した。
「ほんとにいたの! あの雲の中に飛んでいったの!」
街の子らしい赤い髪の女の子は真剣に言いつのる。
あの男も大人げないことを。同じ観光客として気分が悪い。
そんなことを口にするのならば、何を見にこの街に訪れたというのか?
街が配布した観光客向けのパンフレットには、この街のドラゴン祭りの風習としてその由来が書かれているのに、読んでいないのだろうか?
男が通りに去っていったあとも、赤い髪の少女はシクシクと泣いている。私はその少女に近づいて聞いてみる。
「お嬢さん、どんなドラゴンだったんだい?」
少女は涙がこぼれる目をこすりながら、
「真っ白なドラゴン。だけど角は銀色でお日さまに当たってキラッて光ったの。あの雲の中に入っていったの。嘘じゃ無いわ」
「そう。真っ白なドラゴンなら白い雲に入ってしまったら見つけられないね」
女の子は目をパチパチさせると急に笑顔になり、
「翼も長い尻尾も長い首も真っ白だったの! まるで泳ぐみたいにすうって青い空を飛んでいたわ! 一度だけこっちを頭を振って見てたの! そのときに銀の一本角がキラッて光ったわ! きっとお祭りを見に来たのよ!」
パンフレットに書いてあるとおりの、お菓子や玩具で釣られた嘘にしては迫真の演技だ。
嬉しそうに語る赤い髪の少女が指差す先の雲を、少女と一緒になってドラゴンを探す。
これがこの街の正しいお祭りの楽しみ方なのだろう。
そしてこのような少女が次代のドラゴンの聖女となるのだろう。
不思議な街がある。小さな国の首都。奇妙な歴史があるこの街には様々な異名がある。
正式な街の名前よりもこの通称こそがこの街を呼ぶのに相応しい。
ドラゴンの街。
幻想とお伽噺の世界の生き物、ドラゴン。最近では映画やコミック、ゲームの中で活躍する架空の存在。
だがこの街に住む人達はドラゴンを、かつて実在していたと言い、いや、今も生きていると言う。街のあちこちにはドラゴンと少女が寄り添う像の立つ、今も幻想が生き衝く街。
頭の固い人達は、観光客集めに血道をあげる子供騙しの街などと言う。
お伽噺の街、幻想への入り口。
現代の人々が忘れ去った郷愁にも似た憧れを、この街はふわりと思い出させてくれる。
歴史を辿ればこの街の成り立ちには二つの説がある。
ひとつは国の税から逃れるために森の奥深くに隠れた村人達。その集落から発展したもの。
もうひとつは、国を追われた罪人が隠れ潜んだ隠れ里。罪人と言ってもそれは政治闘争に敗れ追われた貴族の一家、というもの。
いずれにしても逃亡者の成れの果てであることから、逃亡者の街。
今では現実逃避じみた幻想を信じていることを揶揄した意味で、逃避者の街とも呼ばれる。
冬は雪に閉ざされる地域。熊や狼の彷徨く厳しい自然。過去には天然の要害とも呼ばれた深く険しい森。
そんな土地だからこそ独自の風習、信仰、そして歴史が作られた。
この街が大きく発展した切っ掛け、それはドラゴンが街の近くの山に降り立ったことにある、と伝えられる。
街に伝わる物語では、ある秋の日に、銀の一本角の白いドラゴンが山に下りた。
突然現れたドラゴンが村を襲わないことを祈って、村からは一人の乙女が生け贄に捧げられる。
だが、ドラゴンはその乙女の清らかさに心をうたれ、生け贄の乙女を手元におき共に暮らす。
ただ一人ドラゴンの魂に触れることを許された乙女は、真心を持ってドラゴンに仕え、ドラゴンは乙女の願いに応えその叡知を授けた。
そのドラゴンの叡知が村を大きく豊かにした、というものである。
このとき生け贄に捧げられた乙女、ドラゴンの魂に触れ、街とドラゴンの橋渡しとなった少女。
それがドラゴンの聖女。
街のいたるところにあるドラゴンの像、それに寄り添う少女、または背中に乗る少女はこの初代ドラゴンの聖女である。
街におけるドラゴンの聖女の役割は大きい。今では秋のドラゴン祭りの祭司が大きな役割であるが、かつては街の議会でも重要な決議には聖女の承認が必要だった。
また、街の顔役として近隣の国との外交においても街の代表として交渉の場についていた。
ゆえに聖女の街とも呼ばれる。
ドラゴンの聖女は代々受け継がれてはいるが、これは血族ではない。
聖女はドラゴンに仕え、またドラゴンの妻という位置付けでもある。そのため、生涯未婚の聖女もいるが、結婚のために引退した聖女もいる。
聖女の娘が聖女になるわけでも無く、街の中からドラゴンに魂を
左の足に鉄の鎖のついた足枷をつけ、一人で森に入り、ドラゴンの洞窟にたどり着いた者が聖女となる。
ドラゴンの魂に触れることを許された乙女ならば、ドラゴンの友である狼が守り導き、邪な心持つ者であれば森の中をさ迷う。
街に伝わる、聖女の試練。
鎖の金属音が熊避けになる、という説もあるが、それもまた危険な肉食獣のいる森の中で培われた、先人の知恵なのだろう。
街の人達がこの山にドラゴンがいる、ということを伝えたことには理由がある。
二つの国の国境にあるこの街は常に隣国の驚異にさらされていた。
街に手を出した者にはドラゴンの怒りが落ちる。この街はドラゴンによって守られている。
冗談のようにしか思えないが、事実この街は架空の存在、ドラゴンを楯に独立を貫いてきた。
この街にとってはドラゴンの存在こそが街の防衛に必須だった。幻の存在を楯に二つの国の間をのらりくらりと交渉でやりすごし、今ではひとつの国として成り立つ。
口先の街、幻の楯の街。
古い時代には近隣の国もドラゴンの存在を信じて怖れていた。だがまるで手を出さなかったわけでは無い。
しかし、歴史上この街に進行しようとした軍隊は突然の異常気象、謎の事故に見舞われ街にたどり着くことはできなかった。中には天然の要害とも呼ばれる森の中で巨大な狼に襲われた、という記録もある。
狼もまたこの街を語るうえで必要だろう。
街の近くの森には狼がいる。この地域独特の白い体毛のやや大きい狼は、ドラゴンの友の子孫、またはドラゴンの聖女の従者として街の人達に敬われている。
そのためこの街の住人には、森に狼がいることは至極当然という認識である。
人の生活の安全のために世界で狼が駆除される風潮の中でも、この街の人達は、
「狼に襲われるようなことをする方が悪い」
と、一貫して狼の保護に力を入れた。
狼の街、魔狼の街。
現代では狼を絶滅させた地域では、天敵のいなくなった鹿や猪が増えすぎて、山と農地に深刻な被害が出ている。
人の手で駆除することには人員に限界がありコストも嵩む。
それらの地域ではこのドラゴンの街の狼を雄雌つがいで輸入し、山に離し、人の壊した自然の食物連鎖の再生に期待が寄せられている。
この街はUFO愛好家にも人気がある。
オカルトマニアの中にはこのドラゴンが実はUFOであり、その叡知は宇宙人の異星の科学知識と言う説がある。
しかし、この街に一風変わった知識が伝わっていることは間違い無い。
代表的な物は、この街では青カビが薬として昔から使われていることにある。
それは青カビからペニシリンが発見されるより昔からであり、誰がその薬効を発見して広めたのかは不明。
街の外れにはこの青カビを培養するための地下室もあり、街の住人はこの青カビを、ドラゴンの秘薬と呼び昔から使用している。
そして金属の加工。
今でもこの街の職人に作られる手巻き式の懐中時計やカラクリ仕掛け、
過去にはその金属の加工技術の高さから質の良い剣や鎧を作り、近隣の国の騎士達がこの街の剣を求めて訪れていたという。
そんな騎士達と国境を越えた人脈を作ったのも、この街のしたたかさだろう。
この街に危機が訪れたとき、街を守ろうとドラゴンの聖女のもとに集まった騎士達は、ドラゴンナイトと讃えられた。そんな騎士達の肖像画が今も街の聖堂の中で見ることができる。
食文化にも一風変わったところがある。
この街では昔から小麦の代わりにソルガムを使っていた。品種改良されて作られたホワイトソルガムの一大農地がある。
このホワイトソルガムで作られたパンやケーキがこの街の名物。
近代になってこのホワイトソルガムで作られたパンが、小麦アレルギーの人にも安心して食べられる小麦の代用品として注目されている。
食用花もこの街の名物。祝いの席のごちそうは食用花で飾られ、秋のドラゴン祭りにはバーベナやベゴニアの赤い花で飾られたお菓子が屋台に並ぶ。
色鮮やかな花で飾られたスープやサラダは、目でも味わえる食事と街に訪れる者を楽しませてくれる。
花を食べる街という呼び名は、この街に訪れた絵本作家が、『食事もまるで妖精の気分』と言ったことで広まった。
この街最大の行事、それが秋のドラゴン祭り。白いドラゴンが山に降り立ったとされる秋の日に行われる。
旅行者をあたたかく迎えるこの祭りには、この街独特の風習がある。
街のそこかしこで街の子供達が不意に空を見上げ、
「ドラゴンが飛んでいる!」
と、言うのだ。
旅行者向けに街が発行したパンフレットにはその由来が記載されている。
かつてこの街はドラゴンに守られていた、ということになっている。そのためには近隣の国で、この街を守護するドラゴンの実在を信じてもらわなければならない。
そのために、子供が外国からの旅行者の近くで『ドラゴンが飛んでいる』と口にするのだ。子供は親から貰うお菓子や玩具が目当てではあるのだが。
古い時代においてこの手段は効果があり、祭りに訪れた旅行者の中には祭りの空気に当てられて、自分にも見えたような気がすると言い出す者も出た。
その旅行者が帰った国でドラゴンの話をすることで、架空のドラゴンの実在を隣国の人達に信じ込ませる。
この街が産み出した情報操作のいち手段である。
現代でもこの風習は残っている。
映画の撮影でもなければ聞けないセリフ。
「ドラゴンが飛んでいる!」
それがこのドラゴン祭りでは、街のところどころで子供達の楽しそうな声で聞くことができる。
この街に訪れたときには是非とも見てほしいものがある。
『ミレストラヴィス記念博物館』
通称、幻想生物博物館。またはトンデモ博物館。
この街の森の中でかつては生きていた、とされる生物達が展示される博物館である。
剥製のように精巧に作られた模型は架空の世界の住人達。
今の熊の二倍の大きさの
これだけでも十分に幻想的な世界を体験できる。
この博物館の奥、まるで聖堂の最奥に奉るように飾られているものが三つある。
ひとつは大きく引き伸ばされた白黒の写真。画素も荒くピントもぼやけてはいるが、UMAの研究家には有名な一枚。
夜空を飛ぶドラゴンの写真。
ノーザード国空軍のパイロットが夜間飛行で発見し撮影したというもの。
長い首に長い尻尾。四本の足。一対の翼。頭部からは一本の角。まさしく伝説に語られるドラゴンの姿である。
学者はこの体格がこの翼で飛べるわけが無い、と一蹴するが、この写真ではドラゴンは空を飛び、機銃から逃げまどっているように見える。
この時、発見したノーザード国空軍は二機の戦闘機でドラゴンを撃墜したという。しかし、撃ち落とされたという巨大飛行生物の死体は発見されなかった。
この写真に纏わるひとつのジョークを紹介しよう。この街の住人の気質が分かりやすく表現されている。
「ドラゴンが戦闘機に撃ち落とされたらしいぞ?」
「馬鹿馬鹿しい。そんなことあるわけ無いだろ」
「そうだよな。ドラゴンなんているわけ無いもんな」
「はぁ? なに言ってんのお前?」
「え?」
「ドラゴンが戦闘機なんかに負けるわけ無いだろ!」
この写真の隣にあり、この博物館の一番重要な展示物。
ドラゴンの左後ろ足の骨、そしてドラゴンの尻尾の骨。
戦闘機がドラゴンを撃ち落としたとされるのは街の近くの森。ノーザード国は撃ち落とした巨大生物の引渡しを求めたが、街の住人はノーザード国空軍の領空侵犯を抗議。後に両国合同の調査団が森を調べて、何も発見できなかった。
調査団が来る前に街の住人が見つけたものをこっそりと隠していた、というもの。
このドラゴンの骨は博物館に展示される前は、聖堂の地下に隠され奉られていたという。
しかし、このドラゴンの骨もこの博物館の展示物同様の作り物、とされている。
ドラゴン祭りの時期にはこの博物館は賑わう。街の住人は一度はこの博物館に訪れ、このドラゴンの骨に祈りを捧げに来る。ミレストラヴィス記念博物館が、もうひとつの聖堂と呼ばれる由縁である。
街の住人が入れ替わり立ち替わり、ドラゴンの足の骨と尻尾の骨に跪き祈りを捧げる。
博物館の展示物を聖遺物のように参拝する光景は、この幻想生物博物館ぐらいでしか目にすることは無いだろう。
最後に紹介するものはこの街の聖域の写真。
未だ一般公開はされず、街の住人も限られた者しか入れない森の奥。
山肌にぽっかりと開いた洞窟はドラゴンの住み処。洞窟の入り口の上が薄く黒くなっているのは、洞窟の中でドラゴンが火を吹いたからと伝えられている。その火の煙が洞窟から出たときの煤の汚れだと言う。
洞窟の前は開けていて、一本の巨大な樹がある。その大樹こそが初代ドラゴンの聖女が住んでいた家。
一本の巨大な樹に木造の二階建ての家屋が合体したような建物は、童話の中の挿し絵を形にしたように可愛らしい。
この家をお伽噺の一枚絵のように見せるのは特徴的な扉にある。
隣の家の二階の窓と同じ高さ、そこに大樹の中に入る玄関扉がある。扉の前には蔦に覆われた小さな屋根があり、屋根を支える柱にはランプが掛けられている。
屋根の下、扉の前からは手すりのついた石の階段が地上にのびている。
なぜそんな高い位置に扉があるのか?
雪が積もったときのため、という説がひとつ。もうひとつはこの高さがドラゴンの頭の高さに近く、聖女がドラゴンと同じ目線の高さで語らうため、という説がある。
大樹の根本には赤い花が咲き乱れ、その花の中に満月のような大きな白い丸い石が見える。半分土に埋もれた石は表面が磨かれ光沢がある。
赤い花に囲まれた、石で作られた階段の上にある大樹に入る扉は、まるでそここそが夢と幻想に繋がる扉のように、見る者を魅惑して誘う。
人の入らぬ深い森の奥の聖域。
ドラゴンの洞窟の前、常にドラゴンの側に仕え、ドラゴンに生涯を捧げた聖女の暮らした家。
その家を街の住人はこう呼ぶ。
『ドラゴンの聖女と一本角のドラゴンの帰る家』と。
ドラゴンの聖女と一本角のドラゴンの帰る家 八重垣ケイシ @NOMAR
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