第23話


 あれから何年経ったのか。

 ミレスと二人で旅をして、人間の溜め込んだ黄金を奪い去ったり。海のある方へ行って大きな魚を食べてみたり。

 ただ、その間もスゥハ、スゥハと口にする僕にミレスが、


「いつまでも未練がましい!」


 と、本気で怒ったり。ミレスには悪いなぁとも思うけど、この気持ちはどうしようもない。


 ミレスはドラゴンのじいさん連中に呼ばれたりで、いつも一緒では無かったけれど。

 人に化けて人の街の中を歩いてて、赤い髪の女の子を見つけたらついふらふらと後をつけてしまったり。

 それで痴漢と間違われたりしたこともある。スゥハはもう死んでるって、頭ではわかっているんだけど。


 たまにあの街に帰って、人の振りして街の中を彷徨いたり。

 大樹の家に帰って昔のことを思い出したり。お墓の石を磨いたり。そこで家の掃除に来た当代のドラゴンの聖女にばったり会って、感激されて泣かれたり。


 ドラゴン祭りの賑わいを楽しんで。

 お祭りの中で旅人の振りをして祭りの中にまぎれていると、街の年寄りにこっそり『おかえりなさい』と囁かれてびっくりしたり。

 祭壇で祈るドラゴンの聖女に、スゥハの面影を探したり。

 いつまで経っても何年経っても、僕の頭の中はスゥハ、スゥハ。

 こんなに好きになるなんて。

 こんなに好きだったなんて。

 スゥハが生きているときに、ちゃんと言っておけば良かった。

 スゥハは私を食べて、なんて言ってたけど。

 だけど、これじゃあまるで、僕の頭の中も心も魂も、全部スゥハに食べられてしまったみたいだね。

 あぁ、スゥハに会いたい。

 スゥハに会いたいなぁ。


 スゥハがどこかで生まれ変わったりしないかなぁ、と何年、何十年と旅をして、たまにあの街に帰って休んだり、そうして過ごすうちに、


 世界は変わった。


 人間が黄金の大鉱床を発見した。ゴールドラッシュの到来。大量に採掘された黄金が人を狂わせ争いも起きた。黄金は形を変えて人の手に渡り、瞬く間に世界中に溢れた。

 だけど黄金の力を人間は知らない。

 地中から掘り出された黄金は空気に触れると、マナを消してゆく。少しずつ。

 だからマナを取り込んで生きるドラゴンは黄金を見つけては、地中深く埋め直したり、海の底に捨てたり、火山の火口に投げたりしていた。

 それが逆に人間にとって黄金の価値を高めてしまったらしい。

 人間は黄金を有りがたがり、奪い合い、世界中に広めていった。抵抗した人間の魔法使いは力を失い、悪魔の使いとか呼ばれて火あぶりにされていった。


 ドラゴン達が気がついたときには、時すでに遅く、マナを頼りに生きる精霊が世界から姿を消したあとだった。

 黄金の鉱山近くでは黄金にマナが消されていた。ドラゴンも満足に魔法を使えず、火も吹けないほどにマナが薄くなっていた。

 鉱山を潰そうとしたドラゴンは力を失って、人間に返り討ちにされてしまう。

 人間は当の本人たちも知らないままに世界を変えてしまった。黄金に目を奪われて。


 世界中からマナが失われ、魔法が消え、精霊や妖精が姿を消した。魔獣、幻獣、聖獣も力を失っていった。

 代わりに人間は科学を発展させていった。

 人間達は自分達のした大量虐殺にも気がつかないまま、僕達をお伽噺の住人にしてしまった。


 人間の時代の始まり。



 空を飛ぶ。夜の森の上を飛ぶ。もう昔のように速く飛べない。高く飛ぶこともできない。

 マナの薄くなった世界で満足に魔法を使うことも、できやしない。

 そろそろドラゴン祭りの季節。もう人間に化けることもできないけれど、あの街を遠くからでも見たい。

 帰ろう、あの街に、あの家に。

 だから、邪魔をしないでくれないかなぁ。

 人間に見つかって、二機のプロペラ戦闘機が僕を追ってくる。

 よたよたふらふらと飛びながら、なんとか逃げようと翼をばたつかせる。

 もうあの雲の上まで飛ぶこともできなくなった。

 息を荒げて必死に飛ぶ。もう少しで、もうちょっとで、あの山に。


 バババババ、と音がして機銃が僕を追いかける。身体のあちこちに穴を開けられて、翼に穴を開けられて地面に落下。森の木をへし折りながらゴロゴロと転がる。

 あーぁ。あんなものが、あんな戦闘機とかが僕が喜んで作っていたカラクリの行き着くところか。

 身体中痛い、だけどなんとか逃げないと。

 折れた木を掴んで戦闘機めがけて投げる。外れた、だけど機体を掠めたのか操縦席の人間は脱出して、その機体は落下してゆく。空中に二つ、白いパラシュートが開く。

 もう一機、今度は岩を掴んでよく狙って投げる、よし、命中。

 戦闘機の胴体に当たって機体は二つに折れた。だけど折れた前半分がこっちに突っ込んで来る。飛んで逃げようとして間に合わず、回転するプロペラが尻尾に食い込んで、機体は爆発した。

 尻尾が焼けて左足が焼けて、また木をへし折って地面に叩きつけられた。

 痛みで気が遠くなる。

 帰りたい。帰りたいよ、スゥハ……


「起きろ! ユノン殿!」


 呼ばれて目を覚ます。夜の森の中に白い狼の姿がある。


「森の、魔狼?」

「気がついたか? ここを離れるぞ、人間が来る」


 起き上がろうとして、つんのめる。振り向くと尻尾が途中から無くなって、左足もちぎれていた。

 翼も穴だらけ。なんとか両手と右足で這い上がる。

 魔狼の群れが僕の身体を押して、なんとか移動しようと手伝ってくれる。

 地面を這って森の中を進む。


 えっちらおっちらと森の中。魔狼の群れに支えられて、満月の夜の森。


「魔狼も、ずいぶんと小さくなったね」

「今では少し大きい狼と変わらんな」

「魔狼の一族には、いつも世話になってる。本当にありがとう」

「礼を言うのは我らだ。我らの祖先がドラゴンに並び立つ者、それは我らの誇りだ」

「うん、フイルは大きくて強くて、そしていい奴だった。甘いものが大好きな頼りになる友人だよ」

「ならば我らもフイルの意思を継ぐ。がんばれ、ユノン殿。もう少しだ」


 木々の間をよじよじと。両手で土を掻いて前に進む。深い森の奥は昔と景色は変わらない。ドングリがポツポツと落ちている。

 身体中に撃ち込まれた鉄の弾丸で、もう身体のどこが痛いかもわからない。


「精霊がいなくなっても、森の景色はあまり変わらないね」

「あの街の人間は森を大切にしているからな」

「街の人達は、昔のままかな? それとも変わってしまったのかな?」

「あの街には今もユノン殿とスゥハ様の物語が伝えられている。今もドラゴンと魔狼を崇めて敬うおかしな街だ」

「それは、相変わらずだね」

「そのおかげで、我らも人間の全てを、恨まずに済む。ユノン殿とスゥハ様の物語が、我ら魔狼の誇りを支える」

「それは、本当にいいこと、なのかな?」

「さぁな。ただの負け惜しみかもしれん。ユノン殿、手を止めるな」


 魔狼の一族はその白い毛皮を僕の血で赤く染める。魔狼に押されて、なんとか森の中を進む。秋の夜の森の中。

 もう少しで、もうちょっとで。


 洞窟の前の開けたところ、大きな木が一本ある。

 大樹の前には石の階段があって、その先に大樹の中に繋がる扉がある。

 着いた。ようやく、帰ってこれた。


 大樹の扉が開いて、赤い髪の人間の女の子が出てくる。

 僕を見てにっこり微笑んで、


「おかえりなさい」


 返事の言葉は自然と口から出た。


「ただいま」


『おかえりなさい』に『ただいま』

 まるで僕達、夫婦みたいだね。

 スゥハは人間の女の子で、

 僕はドラゴンなのに。


(ユノン殿! 目を開けろ! 着いたぞ! 帰りついたぞ!)


 ちゃんと見えてるよ。大樹の家も、スゥハも。

 でもおかしいな。スゥハが石の階段を下りてくる。膝が弱くなって階段が辛くなって、僕が抱いて運んでいたのに。

 スゥハの顔もしわが無くなって、腰がまっすぐになって、タタタと階段を駆け下りる。

 どうして急にそんなに若返ってしまったの?

 石の階段を下りたスゥハが僕を見る。

 右の黒い瞳で、左の灰色の瞳で。

 

「ユノン、今日は何がとれました?」


 僕は両手を見る、何も持ってない。


「あぁ、ゴメン。今日は猪も鹿もとれなかったんだ」


 スゥハは小さく首を傾げて、


「ということは、また新しい発明でも思い付きました? 今度は何を作るのですか?」

「うん。作りたいものが、作ってスゥハに見せたい物がいっぱいあるんだ。だけど、その前に」


 スゥハの顔をじっくり見たくなって、頭を下げて顎を地面にペッタリとつける。


「スゥハにちゃんと言っておきたいことがあるんだ」

「なんですか?」


 スゥハはちょっと警戒したのか、両手を組んで身構える。

 また、僕がスゥハが恥ずかしがるようなことを口にすると思ってるみたい。

 でも言っておかないと。今、言わないと。


「大好きだ、スゥハ。愛してる」


 スゥハは小さく驚いて、そして顔を赤くして、目に涙を浮かべて、でも嬉しそうに幸せそうに笑って、僕の顔にギュッとしがみついた。


「私のほうが、ずっとずっと愛しています」


 恥ずかしそうに小さな声で教えてくれた。


◇◇◇◇◇


「起きろ! 目を開けろ! ユノン殿! 帰ってきたんだぞ!」


 魔狼が吠える。白いドラゴンは動かない。


「目を覚ませ! ユノン殿!」


 魔狼が吠える。白いドラゴンの目蓋は閉じたまま。

 身体は泥と血で汚れ、白い鱗は何枚も剥がれて、翼も身体も穴だらけ。腰から下は煤で真っ黒。ちぎれた尻尾とちぎれた左足からは、血が流れて小さな川のように森に流れて。

 額からのびる一本の銀色の角だけが、剣のような角だけが、満月の光を浴びてきらりと光る。


「ユノン殿!」


 白いドラゴンは、もう動かない。

 白いドラゴンの目蓋は閉じたまま。


「ユノン殿……」


 だけど口許は小さく微笑んで。


 深い深い森の奥、白い満月に向かって魔狼は吠える。

 ひとつ、長く、遠く、吠える。

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