音楽と言葉

「どういうこと……?」


 私は完全に混乱していた。翼くんが何を言ってるのかわからなかったし、翼くんがその曲を知っている理由もわからなかった。


「……先輩、俺は大須賀蓮の弟なんです」

「おとう、と?」


 そう言えば、父親に引き取られた弟がいるという話を聞いたことがあった。蓮はあまり家族のことを話さなかったから、名前も歳も知らなかった。

 話すのが嫌なんだと思っていたが、もしかすると私に気を遣って話さなかったのかもしれない。

 

 翼くんが蓮の弟。

 この事実は困惑もしたが、翼くんが私に近づいた理由も、あの曲を知っていた理由も腑に落ちた。


「……そういうことだったんだね」

「え?」

「蓮に頼まれたの? 代わりに私のこと面倒を見ろみたいな、そんな風に」

「……違います」


 ぐっと堪えるように、翼くんは言った。


「はっきり言ってくれていいんだよ。私の歌声なんて本当は好きじゃないけど、蓮に頼まれたから、仕方なくあんなこと言ったって。厄介事を押しつけられたんだって」


 違う。私はそんなことを言いたいんじゃない。

 翼くんの意図がどうであれ、『俺の歌を歌ってほしい』という願いは、嘘じゃなかった。真剣な願いだった。

 そんなことは知っている。知っているはずなのに。


 こんな憎まれ口しか叩けなかった。


「違います。あのお願いは、心の底からのものです! 嘘なんかじゃありません!」

「じゃあ、なんで私なんかを見つけたの! 見つけられたの!」


 ちっぽけな臆病者の私を見つけてくれる人なんて、蓮しかいなかった。

 私の歌を聞いて私だとわかってくれる人は、誰ひとりとしていなかった。

 私はここにいるのに。そこにいたのに。

 誰も、私のことを見てくれなかった。


「先輩の声が、好きだからです」

「嘘だよ。だって今まで誰も、見つけてくれなかった」

「それでも俺は見つけました」

「どうせ、蓮から私のこと、聞いてたんでしょ」


 顔も、本名も、どこの高校に通っているかも、全部蓮に聞いて、私を見つけたに決まっている。

 そうでなきゃ、この広い世界で、私なんかを見つけることなんて、できるはずがない。


「確かに兄貴から、和歌月律葉という人物のことは聞いていました」


 翼くんは否定しなかった。そのことに傷ついてる私がいた。


「でも、知っていたのは名前だけです。あとは、少しだけ制服を着た先輩の写真を見たことがあるだけ。

 先輩がこの学校にいると知ったから、この学校を受験しましたが、会うつもりはありませんでした。どこかに先輩が、ネモフィラがいると思うだけで、充分でした」

「……じゃあ、なんで今こうして、私に会ってるの」


 翼くんの顔に戸惑いが浮かぶ。

 何を思っているのかは知らないけど、私に話したくないことがあるんだとはなんとなくわかった。


 でも、私はその理由を知りたかった。

 だから気づかないふりをして、翼くんの瞳をじっと覗いた。


「兄貴の代わりに、この曲を届けないといけないと思ったからです」


 永遠にも感じられる間を置いて、諦めるように翼くんは言った。


「代わりって……。やっぱり、私は蓮に捨てられたの?」

「それは違います」


 私の言葉を遮るように大声で、はっきりと断言した。


「そんなんじゃ、ないです。先輩は兄貴にとって、大切な人でしたよ」

「だったらどうしてっ!」

「………あの日、先輩と待ち合わせをしていた場所に向かう途中で、兄貴は交通事故に遭いました」

「じ、こ」


 どっ、どっ、どっ。心臓の音が大きくなる。


「なんとか一命を取り留めましたが、生きているのが不思議なくらいの怪我だったそうです」


 どっ、どっ、どっ。心臓の音が大きすぎて、話を上手く呑み込めない。

 頭が真っ白になって、今にも意識を失いそうだ。


「兄貴は今も、眠り続けています」


 どっ、どっ、どっ。


「俺があの曲を知っていたのは、母親に見つかる前に他の楽譜も含めて、こっそり回収していたからです」


 どっ、どっ、どっ。


「最初は興味本位で、その曲を弾きました。でも、弾いているうちに、このままにしちゃ駄目だと思ったんです。

 あの曲は、兄貴だけの曲じゃなかった。ネモフィラと瑠璃の、和歌月律葉と大須賀蓮の、ふたりの曲だったから。

 届けないといけない。何故だかそんな風に思って、俺は先輩を探し始めました」


 どっ、どっ、どっ。

 心臓の音から漏れるように、私は疑問を吐き出しす。


「だったら、どうして、『俺の歌を歌ってください』だなんて言ったの? 最初から、言ってくれればよかったのに」

「俺の歌を歌ってほしいのも、嘘じゃないからですよ。最初に事情を話して、あの曲を歌ってしまったら、先輩と俺の関係はそこで終わってしまう。意地ってやつです」


 兄貴とふたりで作った曲を歌ってほしかった。

 でもそれと同じくらいに、自分の作った歌も歌ってほしかった。


 翼くんはそう言って、息を吐く。

 今までため込んできたものを、全て吐き出すように、息を吐く。


 そして、私の瞳ただ一点をじっと見つめてくる。


「先輩は、俺の歌を歌ってくれますか」

「……歌いたい」

「先輩は、兄貴と作った曲を歌ってくれますか」

「……歌いたい」


 歌いたい。歌いたい。歌いたい。

 思いっきり、ぶちまけるように歌いたい。


 でも。


「それでも、歌えないの。私には歌えないのっ!」


 歌おうとすると体が重い。怖くなる。空っぽになる。

 私が私じゃなくなる。

 全部全部、どこかに消えてしまいそうになる。


「…………いつまで逃げているつもりですか」


 どす、としたものが私の中に落ちる。


「先輩には、歌がないと駄目なんです。俺にも、歌がないと駄目なんです。兄貴だって、歌がないと駄目なんです」


 翼くんの瞳に、吸い込まれる。


「何をしたって結局、俺たちは音楽でしか、わかりあえないんです。伝えられないんです」


 ひゅ、と息が漏れる。


「先輩。先輩がもう一度歌いたいなら、明日屋上で、この曲をふたりで歌いましょう」


 そう言って、翼くんは教室を出て行った。


 残されたのは、私と耳に残ったあの曲とまだ降り続けている雨の音だけだった。



 ◇



 怖くても、消えそうでも、私は歌いたかった。

 だって、本当の私は歌だったから。歌で見つけた私だったから。


「来ると思ってました」


 私が屋上に行くと、翼くんはもう準備を終えていた。


 そして、屋上のドアを閉める音と同時に、翼くんは思いっきりギターを弾き始めた。



 ――――前奏。



 ただの前奏なのに、経験をしたことがないくらいドキドキして、わくわくして、ふわふわしていた。



 ――――そして、歌が始まる。



 最初は躊躇って、声が出なかった。でも、歌っているとだんだんと心地良くなってきて、境界線が曖昧になって、普通に歌っていた。


 全部、消えた。

 心の傷も、ネモフィラだった私も、抱えていた不安も、今の自分も。

 何もかもが歌となって、音楽となって消えていった。


 無我夢中だった。

 消化したかった何かを、思いっきりぶちまけた。

 何も考えずに、ただただ叫ぶようにして歌った。



 ――――これは、私と蓮の曲。そして、私と翼くんの音楽だ。



 ひどく不器用な私たちは、言葉にすることなんてできなかった。

 形のあるものに、できるはずもなかった。


 だって、いつだって私たちの中にあるものは、繊細で曖昧で歪だった。

 型にはめることなんてできなかった。


 だから、私は思うがままに歌う。私の何かを奏でる。

 そうやって、生きていくしかないのだ。

 言葉じゃない。音楽にして、伝えるしかないのだ。

 そうやって、私は、私たちは、生きていくしかない。



 ――――曲が終わる。



 久しぶりに全力で歌ったから、息切れが激しかった。でも、不思議と苦しくなんてなかった。


「うた、えた。やっと、歌えたよ、蓮」


 目にたまった涙を誤魔化すように、空を見る。

 昨日のどんよりとした雨が嘘だったかのように、今日は真っ青な空だった。

 翼くんと出会ったあの日のような空だった。


 そんな空に、一羽の鳥が舞っていた。色はよく見えないけど、真っ白な羽を持っているのだろう、となんとなく思った。

 自由に羽ばたくそんな鳥を見て、何故だか涙が溢れてきた。




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音楽でしか生きていけない。 聖願心理 @sinri4949

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