思い出と歌

 それから、私は翼くんと屋上で毎日会うようになった。

 他愛ない会話をして、たまにお菓子を食べ、たまに翼くんがギターを弾く。

 ギターで弾くものは、『ネモフィラと瑠璃』の曲が多い。あとは最近人気がある曲なんかだ。

 翼くんは一切、自分が作った曲を弾かなかった。


 どうして自分の曲を弾かないの、と聞いたことがある。

 翼くんはこう答えた。


「俺の曲は先輩が歌うためにあるんですよ」



 ◇



 そんな交流が一週間続いた日のことだった。

 雨が降っていて、屋上には行けそうになかった。


 窓から外を眺めながら、残念、という気持ちが私の中をよぎる。

 翼くんに会えなくて残念、とそういう気持ちを抱いていた。


 まだ出会って一週間だ。それなのに、久保翼という人物が、私の中で大きくなっている。

 彼と話すようになってから、私はヘッドフォンをつける回数が減り、音楽を流す音量も小さくなった。


 それほどまでに、彼は私の中で存在感を増していた。


「……話してもいいのかもしれない」


 私の心を縛っているものを全部、彼に話してしまおうか。

 話したら、彼は解決してくれるかもしれない。また、歌えるようになるかもしれない。


 私は、久保翼の作った歌が歌ってみたかった。



 ◇



 放課後、私は翼くんと空き教室で待ち合わせをした。

 いつもと違う場所で、しかも大事な話をするので、落ち着かなかった。

 首にかけたヘッドフォンを手で握りしめる。


「先輩からお誘いがあるなんて、嬉しいです」


 目の前に座っている翼くんはどこかそわそわしていて、何かを期待しているようだった。


「実は話したことがあって」

「話したいことですか?」


 きっと、翼くんが期待しているような話ではない。

 申し訳ない気持ちになりながらも、それでもこれはこれからの私たちに必要なことであるはずだから、と自分に言い聞かせる。


「うん。話しておかないといけないと思ったんだ。私が、歌えなくなった理由について」

「聞いても、いいんですか」


 翼くんは気を遣って、聞かないでいてくれたのだろう。

 驚きと好奇心、そして不安を瞳ににじませていた。


「聞いてほしいんだ。私はきっと、ずっと誰かに話したかったんだと思う」


 でも、それを言葉にはできなくて。私の秘密を話さなくてはいけなくて。

 不器用で臆病者の私には、到底できることではなかった。


「……聞いてくれるかな」

「勿論です」


 覚悟のこもったその声に安心して、私は話し始める。


 『ネモフィラと瑠璃』の始まりの話を。

 大須賀おおすかれんとの出会いと、別れの話を。



 ◇



 私の家族は、家族ではなかった。

 父も母も、別に好きな人がいて、家になかなか帰ってこない。月に一度か二度帰ってきて、お金を置いてまた出ていく。

 私が通帳の使い方を覚えると、毎月通帳に生活費を送り、家には一切寄りつかなくなった。


 彼らは互いのことが嫌いだが、幸い私のことは嫌っていなかった。でも、可愛がるほど好いてもいなかった。

 私のことを哀れに思い、必要なお金を与えてくれるくらいには、心があった。


 しかし、そんな環境にあったからこそ、私は人との繋がりに疎かった。どうやって人と接すればいいのかわからなかったし、良好な関係の築き方もわからなかった。

 だから、私には友達がいなかった。


 人の繋がりに飢えた私は、SNSを始めた。そこでなら、きっと誰かと繋がれると思ったからだ。


 そこで音楽関係の趣味が合い、意気投合したのが、大須賀蓮。『ネモフィラと瑠璃』のピアノ担当兼作詞作曲の瑠璃だった。



 きっかけは忘れてしまったが、彼とオフ会をすることになったのが、私たちの出会いだった。当時彼は高校二年生で、私は中学三年生だった。


 上手く話せるか不安だったが、そんな不安も一瞬で消え去り、あっという間に親しくなった。

 それから彼とは何回も会うようになり、互いの事情に踏み入った会話をするようにもなった。

 私は家庭環境のことを。彼は将来のことを。


 彼はピアニストになりたい。ピアニストになれなくても、音楽関係の仕事に就きたい。

 そう生半可な熱意じゃない、本物の熱意を込めて彼は言った。

 じゃあ、なればいいんじゃないですか。私は無神経にもそんなことを言った。だって、彼には熱意も覚悟もあった。だったら後は突き進むべきだと、そう思ったのだ。



 ――――無理なんだ。



 彼はこぼすように言った。


 無理なんだ。もう一度繰り返す。

 そして、ぽつりぽつりと事情を話し始める。


 彼の父は作曲家だった。音楽に命をかけていて、母との関係は良好とは言いがたかった。

 母は精神を病み、ある日父の大事な譜面を破り捨てた。ものすごい喧嘩が巻き起こったと言う。

 結局、ふたりは離婚して、音楽を嫌うようになった母に、彼は引き取られた。



 私たちは人との関係に飢えている仲間でもあったのだ。

 だからこそ、なんとなく親近感を覚え、なんとなく仲間だと思っていたのだ。

 彼と親しくなれた理由が本当にわかったのは、その瞬間だった。


 『ネモフィラと瑠璃』は、そんな私たちの歪な欲求から生まれた。


 音楽をやりましょう、と私は言った。

 僕の作った歌を、僕のピアノの伴奏で歌ってくれ、と彼が言った。

 私たちの叫びを歌に込めましょう、と私は言った。

 僕たちの言葉は音楽だ、と彼が言った。


 そんな風に生まれたのが、『ネモフィラと瑠璃』。

 私たちの居場所であり、夢であり、繋がりだった。



 ◇



「私たちはそうやって、繋がっていた。でもあの日、私が初めて書いた詞を、初めて歌う日に、蓮は待ち合わせ場所に来なかった。そしてそこから、一度も会ってない。連絡もとれない。彼は完全に姿を消した」


 だから私は歌えなくなった、そう言って、思い出話を終えた。


「…………なんですか、それ」


 翼くんは体が震えてしまいそうな、怖い声を出した。

 何か気に障ったのだろうか。好き勝手喋りすぎてしまったか。

 不安が私の中に降り積もった。


 翼くん、と恐る恐る彼の名前を呼ぶ。

 翼くんは私の方を見ず、私の声に応えることもなかった。


 ただ、何かにいらつくように不機嫌そうな顔をし、そしてギターを取り出した。

 何をするのだろう、と疑問の声を投げかけるより先に、彼はギターを叩くようにして弾き始めた。


 弾き始めたその曲に、私は震える。

 聞き覚えのある曲。大事にしていた曲。



 ――――そして、私が歌えなかった曲だった。



 翼くんが弾き終えるまで、言葉を発することができなかった。

 驚きで手が震え、懐かしさで視界が歪んだ。


「……どうして、翼くんがその曲を、私が作詞した曲を、知ってるの?」


 その曲は世間に出ずに、私と彼しか楽譜を持っていない曲だった。私と彼しか知り得ない曲だった。

 それを翼くんは完璧に弾いてみせた。


「ごめんなさい、先輩。俺はもっと早く、こうするべきだったんですね」


 翼くんの声は、さっきの怒りの声とは一転して、消え入りそうな悲しそうな声だった。

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