恋愛フラグ:ブレイク=いいの?
「すっかり暗くなっちゃいましたね」
と、私が言う。
「そうだね」
と、瀬野先輩が言う。
『生存フラグ』を反転させて、『死亡フラグ』と合算し、
それらをまとめてブレイクすることで、田中くんを死地から救った、その夜。
瀬野先輩は、疲れの残る私を、私の家まで送ってくれた。
東京神楽坂。
私の母親がやっている、こじんまりしたお店。
パン屋兼、隠れ家喫茶の「ルー・クトゥ」。
神楽坂の上の、路地の奥にあるから、お店はなかなか見つけてもらえない。
でも、焼き立てパンの味は絶品だと評判で、常連さんがよく来てくれるから、この不況なご時世でも、なんとか生き延びてこられた。
暗い路地を、店の明かりが照らしていた。
カランとドアのベルが鳴り、店の扉が開く。
焼きたてのパンの、いい香りと共に。
「いらっしゃいま……あ」
と、かわいい女の子の声がする。
あたしは自然と、ニンマリとする。
「なんだ。姉ちゃんか。おかえりなさい?」
私の妹で中学生の、
史絵は、いつ見ても、本当に可愛い。
丸いボブな感じで柔らかい髪に、あどけない、ほわんとした大きな目。
ちょんと小さくついた鼻に、口角の上がった口。
なんだかいい匂いを振りまきながら、快活に軽やかに、お店の中を、跳ねるように移動する。トングや、パンを取る木のプレートを持って。
朝は私、いつも寝坊で、愛でる時間を取れないでいた。
悔しいのだけれど、睡魔という敵は本当に強い。魔俗よりも。
史絵が店番をすると、パンの1日の売上が1.5倍になる。
史絵がペコリとお辞儀をすると、パンが1個、追加で売れる。
まさに看板娘。
私の後ろで、「あっ」と、声がした。
それは低い、イケボだった。
「どうしたんです? 瀬野先輩?」
「いや、なんでもないよ」
「姉ちゃん、ずいぶんとカッコいい人を連れてきたね。彼氏さん?」
「ち、違うよ史絵。あの……先輩? この子、私の妹の、史絵って言います」
「史絵です。姉ちゃんがお世話になってます」
天使すら萌え殺せそうな笑顔で、史絵は瀬野先輩に、おじぎをした。
「どうも」
先輩は会釈で返した。そして
(わかります。先輩も、史絵の可愛さには、ため息が出ちゃうよね)
姉として、なんだかわからないけど、誇らしい。
史絵は、何かに気づいたような顔をして、こう言った。
「姉ちゃん、お酒でも飲んできた? 顔が真っ赤だけど」
「飲んでないよ。未成年だし」
史絵が瀬野先輩を、「彼氏」とか言うからでしょ?
「いやいや、姉ちゃん、絶対に酔ってるよ。ね? 瀬野お兄ちゃん?」
「そ、そうかな……」
瀬野先輩は、クールな美形に似合わず、珍しくどもった。
(ほんと、さすがだなぁ、うちの妹は)
「瀬野お兄ちゃん。うちの姉ちゃん、夜風にでも当たって、酔いを覚ました方がいいと思うんですよ」
と、ちょっとよくわからないことを、史絵は言った。
お酒は飲んでないと言っているのに。
「ん? あ、ああ。そうだね」
瀬野先輩は、なぜか、納得をしていた。
なんだろう?
私には見えない何かが、見えてでもいるのかな?
瀬野先輩にも、史絵にも。
◆
赤城神社は、神楽坂の側にある。
夜の境内には人が居なかった。
ちゃりん。
お賽銭を投げ入れて、二礼二拍一礼。
境内の横には、
月の出た夜空と、
崖から落ちないようにする柵と、
その下の、家々の光と、ビルの光と。
そして、柵の手前に、木製の、大きな看板みたいなものがあった。
それは、願いをかける場所。
木の小板が、たくさん並んでぶら下がっている。
いわゆる、絵馬というやつだ。
崖上の風に揺られて、小さく揺れている。
「映画『モケットポンスター』、大ヒット祈願」
「連続テレビドラマ『朝日も来る』、ヒット祈願」
「第48回劇団公演『ゼウスの船と手薄の船』、動員数1000人祈願」
なんて文字が、絵馬には書かれていた。
クリエイター業界の方々が、こぞってお参りしに来る神社なんだ、赤城神社は。
ここは、願いのかなう場所。
「フラグは、人の願いなんだよね」
絵馬を見ながら、瀬野先輩が、そう言った。
「願い、ですか」
「うん。人は未来を知ることは出来ない。だから、予測したくなる。自分の願う方向に進む未来を。それが、フラグというモノの正体なんじゃないかって」
「難しいことは、よくわからないですよ? 私」
「そうか……じゃあ、もう少しストレートに。俺は、このフラグをブレイクしていいのか、今もよくわからないんだ」
(?)
「『妹フラグ』のことですか?」
「いや、そっちはね。君の妹さんがついさっき、ブレイクしてくれたよ」
(??)
「どういうことです?」
「君は、史絵ちゃんの姉だから。妹じゃないと分かったから、フラグブレイク」
「ええっと」
周りを見渡して、頭を回転させる時間をかせぐ。理解が追い付いていない。
赤城神社は、デザイナーズな神社で、隣にマンションがくっついている。
(不思議な景色だなぁ。神社と、マンションか)
そんな、『思考の寄り道』をした後に、私の頭は、ようやく追いついた。
「私が妹じゃないと分かったから、妹フラグがブレイクされたんですね?」
「そういうこと」
先輩は苦笑しながらうなずいた。
「え、なら、先輩がブレイクしたくないフラグっていうのは、何のフラグのことですか?」
そうしたら瀬野先輩は。
右手を2、3回、握って、開いてを繰り返し、そして言った。
「『恋愛フラグ』だよ。曲がり角で君とぶつかったときに立った、君の頭上の、そのフラグ」
「へ?」
きっとこの恋は、すぐに成就したはずなんだ。
瀬野先輩が、フラグブレイカーじゃ、なかったならば。
<了>
出逢ったかな、と思ったら、フラグブレイカー先輩でした。 にぽっくめいきんぐ @nipockmaking
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