第6話 話が違うじゃないかっ⁉

「おう、おはよう桐島」


「……おはよう、大沢君」



 翌朝。教室。

 席につき、憂鬱な気分で大沢君と挨拶を交わす。


 昨日に引き続き、自由時間の競技について話をする。

 普段ならその程度の事務的な会話でもキョドる僕だが、昨日の出来事の衝撃に比べればこんな事は何でもない。


 適当にバスケがいいなどと答えつつ、この後起こる出来事を思い、再度ため息をつく。



「あ、おはよう黒雛さん!」


「黒雛さん、今日も超きれい!」


「アスカ、今日は遅いじゃん。

 珍しく寝坊?」



 にわかに教室が活気づく。

 クラス1、いや学校1のアイドル、黒雛アスカのお出ましだ。



 適当にクラスメートをいなす黒雛。

 普段ならそのまま自分の席につき、物思いにふけるなり本を読むなりする彼女だが。



「おはよう、桐島君。

 昨日は楽しかったわね。ありがとう。

 ところで、今日のお昼は空いているかしら?

 お弁当を用意したから、よければぜひご一緒してほしいのだけれど」



 一直線に僕のところに向かってきた黒雛アスカが、ノーモーションで爆撃を仕掛ける。



「ちょ、ちょ、ちょ、アスカ!?

 何言ってんのあんた!?なんでこんな奴と?」



 どよめく教室。

 四條さん、クラス1のギャル、四條ミサキが驚くのも無理は無い。


 普段教室で僕に話しかける人なんて、目の前の大沢くんか、もしくはクラス1の聖女、琴寺さんこと琴寺シズクがたまの気まぐれで相手をしてくれるぐらいだ。



 それを、あの黒雛アスカが親しげにランチのお誘いをかけているのだ。

 誰にとっても信じられない出来事だろう。



「あら、四條さん。

 どうしてそんなことを言うの?

 私が桐島くんと親しくしたら、一体何がおかしいと言うのかしら?」


「いや、だってさ。

 こんな、こんな、いや別にいいんだけどさ……」



 こんなクソキモ根暗陰キャオタクと仲良くするなんておかしいよ!

 とまでは流石のギャルさんでも面と向かって口に出すのは憚られますよね。


 関係ないけど、ギャルはオタクに優しくてなんなら軽いノリで童貞までもらってくれるとかいう謎の幻想、ギャルと関わりがなさすぎる限界オタクの脳が崩壊寸前で生み出した、あまりにも悲しい希望と言う名の絶望だよね。



「じゃあよろしくね桐島君。

 お昼休みに、いつもの場所で」



 おい、その言い方!

 屋上のこと言ってるんだろうけど、それじゃまるで、いつもそこで2人で過ごしてるみたいじゃないか。



 しかし、クラス全員の視線が集中するこの状況下。

 あ、う、うん、みたいな曖昧な返事をするしかなかった。

 僕はプレッシャーに弱いのだ。



 チャイムが鳴って皆が席につくが、クラス全員の意識や視線が僕に集まっているのがわかる。

 ……針の筵だ。地獄だ。

 午前中の授業は、人生で一番長く感じた。




 —-




「話が違うじゃないかっ⁉︎」



 昼休みの屋上。

 周囲に誰もいないことを確認の上、僕は黒雛に詰め寄る。



「あら、いけなかったかしら?

 契約は成立したものだと思っていたけれど」


「だからって!いきなりあんなにオープンにする奴があるか!?」



 そう、僕は黒雛の提案を受諾した。

 クラス内地位の向上。

 黒雛という、僕にとっては過ぎた・・・話し相手の獲得。

 なにより、今後毎日例の喫茶店でお茶とケーキを奢ってくれるという魅力的すぎるメリット。


 これらに流される形となった。

 そもそもWeb小説を書いているという恥ずかしい秘密を握られている以上、断る選択肢は初めからないのだ。


 なお、例の喫茶店は黒雛の実家の所有する土地建物な上に、開店の際にも出資しているとかで、かなり融通が利くらしい。

 聞けば、毎日来店して金を落とすことを条件に、黒雛のコーヒー1杯の値段で2杯のコーヒーとケーキ2つを出してくれるとか。そのコーヒー代は黒雛が持つことになっている。


 いくらコーヒーの原価率が低いとはいえ、資本主義の恐ろしさを垣間見た気がした。

 安定的な常連確保が必要な業種と言ってもなぁ……。




「なにを生ぬるいことを言っているの。

 周囲にアピールしないことには、私の人間関係の負担軽減に寄与しないじゃない。

 なんのための偽装恋愛関係契約だと思っているの」


「そりゃあそうだけどさあ。

 もうちょっとやりようってもんがあるだろうがよ。

 黒雛だって、関係は徐々に開示していくようなことを言ってたじゃないか」


「そうでしたっけ?ウフフ」



 現在れいわ新撰組所属の太田和美元衆議院議員かつ元千葉県会議員が民主党時代に当初ガソリン値下げ隊に所属していながらも政権交代後にガソリン税暫定税率の実質的維持を発表した際のインタビュー対応で見せたような顔で微笑みやがって。



「まあいいじゃない。

 桐島君にとってもいい状況ではないかしら?

 早くも、クラスメートもあなたに一目置き始めたように見えたわよ?」


「それは、まあ、そうかもしれないけど」



 そうなのだ。

 午前中の休み時間。

 大沢君を初め、何人かの男子が僕に話しかけてきた。


 露骨に嫉妬を見せる奴もいたけれど、総じて概ね好意的というか、やるなあお前的な、持ち上げオーラの漂う会話だったよ。

 話しかけてくるのは主にクラスの中間層くらいの人達で、上位層の一部はガチで黒雛を狙ってたのか、遠巻きにプレッシャーかけてくるぐらいだったけど。



 色々と問い詰められたけど、「いや、まあなんでもないよ」とか「ちょっと話しただけだよ」とか誤魔化しつつも。

 ちょいちょい、「それはまだ言えない」だの「黒雛さんの合意得てからじゃないとその辺はちょっと……」とか思わせぶりな発言も交えて周囲の関心を維持しつつはぐらかしている。


 全ては黒雛の指示によるものだけど、こうして言語化してみるとクソほどウザいな僕。



 なお、女子は総じて”理解不能”という気持ちなのか、一切僕に絡もうとはしてこなかった。

 泣ける。


 唯一、クラス1の聖女、琴寺さんだけは声をかけてくれたけどね。

 しかも内容が、「よかった!黒雛さんもようやく心を開く相手ができたんだね!すごいじゃない桐島君!」と、僕より黒雛を祝福する視点だったのが、やっぱ他の連中とは目の付け所が違うよなあ。

 ぼ、僕はむしろ貴方と仲良くしたいです!



「そういえば、黒雛の方はどんな感じなんだ?

 自分のことに精一杯でよく見てなかったけど、色々な人と忙しそうに話して回ってたじゃないか」


「ええ。こちらも色々と政治があるのよ。

 学内ヒエラルキー頂点の座なんていつでもくれてやるけれど、かといって露骨な負け組に叩き落とされるのも不要な生活コストを抱えることになるから。


 様々なポジションの人に、『特別に信頼している貴方にだけ、相談しておきたいことがあるの。絶対に他の人に話さないでね。貴方だから話すのよ』と前置きして、私と桐山君のこと、虚偽や粉飾を交えて、うまく印象や行動を誘導するように情報開示をしておいたわ。

 勿論、相手によって内容や深度を調整しつつね。


 もう2,3日はかかる作業になるけど、基本的には皆が緩やかに私たちを応援するムードを醸成できるかと思うわ」


「……その労力と調整力を普段から活かせば、僕なんかと付き合わなくても快適な学校生活を送れるんじゃないか?」


「嫌よ。絶対。

 こんな努力いつまでも続けられるものですか。

 短期決戦で工作完了して楽になれると思えばこそ、面倒なことをやってられるのよ」



 その気持ちはわからんでもないけどな。

 いつか完結できる見通しがあればこそWeb小説を更新していられるのと同じ理屈だ。



「でもまあ、よくやるよなあ。

 みんなの心理を誘導するなんて可能なのか?

 想像がつかないぜ」


「言うほどのことはないわ。

 重要なのは支配者アルファ層。クラスや学校の空気を作る側の認識さえ抑えれば、あとは同調圧力で如何様にもできるもの。


 うちのクラスで言えば、四條さんと琴寺さんね」


 クラス1のギャル、四條ミサキ。

 クラス1の聖女、琴寺シズク。


 黒雛が午前中に特に熱心に話していた2人だ。

 クラス内ヒエラルキーという点でも、なるほど、黒雛とともにトップの位置に立つ。



「確かにあの2人が応援するムードを出してくれれば、他の皆は追随するだろうな」


「ええ、なにしろウチのクラスで2番目と3番目に美人の2人だもの」


「……」



 やっぱいい根性してるよなー、こいつ。

 誰が1番とか議論する気さえないんだろう。



「まあ、了解したよ。

 それで、昼休みも一緒に過ごすことにするのか?

 僕はてっきり放課後の喫茶店だけが契約の対象だと思っていたぜ」



 そう。

 僕らの偽装恋愛関係契約の内容は、毎日放課後の2時間を例の喫茶店で過ごすこと。

 丁度、多くの生徒にとっての通学路にあるあの店。

 窓際での指定席でデートする姿を見せつけることで、「私は彼氏がいます」という状態を対外的にアピールする意図らしい。


 また絶妙に高校生が入って来れないような値段設定の店だからね。

 乱入される恐れもない。

 入店するだけして注文しない客とか、例の真壁刀義、じゃない、店長が追っ払ってくれるだろうし。



「その辺は日によりけりね。

 しばらくはクラス外を含めた政治に忙しいけれど、落ち着いたら週に2回以上はご一緒できるようにしたいわね。

 クラスメートとの付き合いもある程度必要とはいえ」


「あ、ああ」



 あの黒雛が、僕と一緒の時間を過ごしたい、と。


 やば。

 イカレた女だとわかっているけど、この美貌を前にして、心が浮き立っちゃうぜ。



「ええ。

 本当はクラスメートには貴方と過ごすと言って、貴方にはクラスメートと過ごすと言って、誰もいない落ち着いた空間で1人で過ごすのが最高だけれど。

 完全に人目に付かない場所なんてこの学校ではこの屋上ぐらいだものね。


 それなら、貴方とここにいるほうがいいわ。

 貴方も小説執筆で忙しいだろうから、お互いいないものとして自由に過ごしましょう」



 ……はーい。

 一応、僕は彼氏なんだよなあ。



「そんな顔をしないで頂戴。

 お弁当を用意しているのは本当よ。一緒に頂きましょう。

 ウチの家政婦の斎藤さん、お料理の名人なんだから」



 そう言って、黒雛は立派な重箱を取り出す。

 すごい、たしかに相当旨そうだ。

 さりげなく黒雛自身の手作り弁当ではないことを明示するところも、実に彼女らしい。



 茸の炊き込みご飯に、鶏ささみの梅じそ巻き、きんぴらごぼうにだし巻き卵に春菊のおひたしに蒸し野菜。

 彩豊富な品々はどれも品の良い味付けで、素材の味を楽しませてくれる。

 栄養的にもボリューム的にも大満足だ。


 本当に物凄く美味しかったな。いい体験をした。



「気に入ってもらえて嬉しいわ。

 桐島君はいつもパンとかで済ませているわよね?

 一応、これからお弁当を用意するときは前日までに連絡するけれど」


「えっ!?これからも持ってきてくれるのか?

 流石に悪いって」


「今更遠慮しないで頂戴。

 これでも、付き合ってくれていること、感謝しているのよ?」



 何往復かのやり取りを経て、結局お言葉に甘えることになった。

 まあ、黒雛家の財力を鑑みれば材料費なんて屁でもないんだろうけど。

 実のところあの弁当の美味しさに抵抗できなかったってところは大きい。



 流されっぱなしだな、僕。

 人間としての根が軽薄なのか。



 黒雛がくれたお茶、これは黒雛自身が淹れたという、水出しの冷たい煎茶が喉を優しく潤す。

 これも物凄く美味しいなあ。

 食事でこんなに満たされるの、本当に初めてかもしれない。



「さて、では私はゆっくり過ごさせてもらうから、桐島君も小説執筆でもなんでも自由にしていて。

 音声入力を使っているのだったかしら。少し離れているから、遠慮せずに声を出して頂戴。

 こちらから話しかけたりはしないから、安心して集中してもらっていいわ。


 お話の続きは放課後の喫茶店で。よろしくお願いね」



 そう言って黒雛は少し離れた日陰の場所にレジャーシートを敷き直し、靴と靴下を脱ぎ、腕時計とネクタイまで外してごろりと横になった。

 お、おう。


 目の前でこうもおもむろにリラックスされるとなかなかビビるわい。



 ブッダが涅槃に入る時のような力の抜けた寝姿で、電子書籍デバイスを操作しだした。

 つい気になって画面を覗き込んだら、こいつ、楽しそうな顔で『テコンダー朴』を読んでやがる。


 女子高生の読むものかいな。


 大丈夫かな。軽率だったかな、

 こいつと関わって本当に良かったのだろうか。


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