第4話 私は死なないわ、実家が太いもの

「桐島くん、私とお付き合いをしていただけないかしら」



 出し抜けに。

 母親が保育園児に言って聞かせるような態度で。


 黒雛アスカはそう言った。



「な……なんだって?」



 つ、付き合うって?

 僕と、黒雛が?



「ふふふ、急にこんなことを言っても信用できないかしら?」


「信用できないっていうか。理解できない。

 意味不明だよ。

 あの黒雛さんが。なんだって僕なんかと」


「あら、ずいぶん謙虚なのね。

 自分の小説に惚れたから、なんて風には思わないのかしら?」


「……そういうわけでは無いんだろう?

 さっきもそう言ってたし。ていうか、僕の小説にそんな力はないだろ」


「ええ。勿論その通りよ。

 私はあなたの小説をとりあえず読んではいるけれど、それほど興味があるわけではないの」



 何回も言わなくていいよ。

 いい気はしないから。



「そして勿論桐島くんの男性的魅力に惚れたと言うわけでもないわ。

 ……誤解しないでね。侮辱したいわけではないの。

 桐島くんに限らず、私はどんな男性に対しても全く魅力を感じていないのよ」


「……?」


「そう、だからこれは取引。

 お互いの利益のために、擬似的な恋愛関係を対外的に偽装するための、うわべの関係。

 名付けるなら、“偽装恋愛関係契約“といったところかしら。


 私はずっと、取引相手として最適な存在を探し続けていた。

 そして見つけた。あなたがそれよ、桐島くん。

 あらゆる意味で、あなた以上に都合の良い物件はそうそう見つからないことでしょう」



 わけが分からない。

 恋愛関係を偽装する?

 そんなことをして、一体何の意味があるって言うんだ。


 大体なんで僕なんだ。

 僕よりマシな相手なんてどこにでもいくらでもいるだろう。

 自分で言うのもなんだけど、こんな……クラスの底辺の陰キャなんかより。



「自己評価が低いのね、桐島くん。

 気持ちはわからなくもないけれど。


 ……そうね、色々と説明したいことはあるけれど、まずは関係構築のためにこれを見てもらおうかしら」



 そう言って黒雛は、自分のカバンからガサゴソと何かを取り出した。


 紙だ。

 というか、テスト用紙だ。

 つい最近受けた、期末テストだな。


 正直思い出したくもないな。ひどい点数だったから。

 まぁ、黒雛ともとなるとそんな悩みとは無縁なんだろうけど。



 —-そう思ったが、僕はそのテストを見て驚愕した。



「これを見せるのは、互いの秘密を共有するのが目的よ。

 取引をする以上、対等な立場に立つ必要があるから。


 核兵器は、複数の国が保有するから意味があるのよ。

 私だけが一方的に秘密を握っていたのでは、強固で安定した関係は築けない。そうは思わない?」



 6点、8点、2点。

 並んでいるのは、目を覆いたくなるような惨状だった。

 赤点とかそういう次元じゃない。


 英語もダメ。数学もダメ。現国も物理も世界史も。


 間違いない。

 名前欄には確かに、黒雛アスカと書いてある。



 う、嘘だろう!?

 だって黒雛は成績優秀なはずだろう! 

 中間テストの時には、廊下に貼り出された成績上位者の掲示で総合トップだったじゃないか!


 確かに期末テストの掲示には名前がなかったけどさ。

 あれは学年の上位5人までしか書かないから気にもしてなかった。

 まさかこんな点数を取っていたとは。

 僕でさえ、もう少しマシだったぞ?



「これ……どういうこと?

 何かあったのか?体調でも悪かったのか?」


「いいえ、健康そのものよ。

 毎晩10時間近く寝ているし、食欲も満点。

 肉体にも精神にも何の問題もないわ」


「じゃあ、どうして」


「仕方がなかったのよ……。

 だって、1問もわからなかったの。問題が。

 本当に、何を出題されているのか、どんな回答が期待されているのかもわからない。

 むしろ、なぜ0点でないのかが私自身にもわからない位なのよ」



 なんだかすごい告白だが、黒雛は照れるでも恥じ入るでもなく、堂々と淡々と語る。



「いや、僕も偉そうなことを言える点数じゃないけどさ。

 わからないって……一応全部、授業でやった範囲だし。

 テスト勉強してればある程度解けるようになるもんだろう?」



 フッ。

 黒雛は遠くを見ながら、気だるげに吐息を漏らす。

 そんな仕草さえ、妙に色っぽい。



「そうね。

 まずは私がどんな人間なのか、少し話しておこうかしら」



 首の角度をシャフトみたいにしながら、黒雛は堂々と語りだした。



 —‐



「桐島くん。

 まず私は、生まれてこの方勉強というものをしたことがないの。

 勉強に限らず、運動も、絵画も、音楽も、書道も、料理も。

 努力という行為を一切したことがない。

 本番に即興で上手そうな人の真似をすれば結果が出たから、あえてその前に何か準備をすると言う事をしたことがない」


「……」



 まじですか。

 この人確か、ピアノとか油絵の何かのコンクールで賞取ってなかったっけ?



「正直な話、桐島くんはどうかしら?

 勉強だけの話で構わないわ。

 中学時代、テスト前に特別な勉強はした?授業の前後に予習や復習をした?授業中にノートとか取ってた?」


「……」



 これを言うと嫌な奴だから言いたくないけど。

 正直、あんまりしてなかったな。


 嫌味じゃないよ?

 うちの高校に入るようなやつって、そういう奴が多いんじゃないかな?



「勉強をしたことがないって、どのレベルで言ってるんだ?

 ほら、流石に日々の宿題とかさ、それこそ高校受験のためには勉強しただろう?

 塾とか行ってなかったの?」


「行ってないわ、塾なんて。

 受験勉強も1秒もしていないし、人生で宿題を提出したことがない。

 そもそも自宅で机に向かって教科書やノートを広げると言う行為をやったことがないわ。

 授業だって50分間まともに聞いていたことなんてない。


 板書ってあるじゃない?先生が黒板に書いた内容をそのままノートに書き写すあの行為。

 あれに何の意味があるのか未だに全くわからないの。

 みんな一生懸命やっていて、女子なんか、なんだか色々なマーカーで色分けまでして。

 それほどの労力をかけるのだから、よほどのメリットがある行為なのだと思ったら、それを熱心やっている子に限って平均点も取れなかったりするし。


 勉強に限らないわ。

 スポーツもピアノも絵画も。

 顧問やコーチに厳しく指導されている子よりも、5分間その子のプレイを眺めた私の方がパフォーマンスで勝ってしまう。


 一体みんな何をやっているんだろう。

 不思議で不思議で仕方がないし、とても同じことをしようと言う気にはなれないわ」


「……」



 黒雛の言っていることはあまりに極端ではあるけど。

 部分的にはわからなくもなかった。


 あくまで勉強に関してだけど。

 公立中学校なんて、半分動物園みたいなもんだからな。


 まず日本語の読み書きから怪しい。

 文章を読んでも一部の単語のみに過剰に反応して、SVOCというか、論理的に文意自体が読み取れない奴が大半だ。


 だから定期試験なんかも、日本語で普通に書いてある問題に、日本語で普通に回答すればそれだけで80点から90点位は取れてしまう。

 + αで少しだけ問題演習をすれば満点前後。



 嫌味な言い方になってしまったが、うちの高校に来るようなやつは、大体そんな感覚だったんじゃないかな。

 教室でも、中学時代いかに勉強していなかったか、なんて会話がよくされているし(僕はそれを横で聞いているだけだが)。


 で、高校に上がってから壁にぶち当たるっていうのがお決まりのパターンらしいけど。



「……もしかして、悩んでるのか?

 中学時代までは努力しなくても何でもうまくやれたのに、高校に上がって勉強についていけなくなって。

 黒雛さんの場合、周りが期待してる分プレッシャーもあるだろうしね。


 ……相談に乗ってあげたいけど、僕自身成績落ちてるしなぁ。やっぱりそういうのは先生に聞いたほうがいいんじゃないか?」


「いいえ。全然悩んでないわ。

 私は自分を変えようとも成績を上げようと思う全く思っていないの。


 そもそも勉強するって何?

 それ以前に、勉強したくないときに勉強する方法がわからないわ。

 何をどうやったら自分の体を机の前に持っていくことができるの?仮に万が一使用人に体を運ばせるなりして机に向かったとして、何をどうやったら勉強したことになるの?

 教科書を開くと情報が頭に入ってくるの?ノートに書き移せば点数が上がるの?


 それをやろうと言う気はどうやったら起きるの?

 何かそういうサプリでもあるの?


 わからない。わからない。わからない。

 興味がない。興味がない。興味がない。

 めんどくさい。めんどくさい。めんどくさい。

 まず成績をあげたいと言う気持ち自体がわからない」



 すげーなこいつ。

 腹が据わってるぜ。



「でも黒雛さん。

 中間の時は学年1位だったじゃん」


「あれも1秒も勉強なんかしてないわ。

 ただ流石の私も入学して2週間ぐらいは、授業中に寝るのは気が引けたから。

 授業の内容なんて全然真面目に聞いてなかったけど、試験中になんとなく思い出しつつ、即興で解法を考えたら、ほぼ満点だっただけよ。


 でも、それももう無理。

 授業中に起きているなんて不可能でしょう。

 もはや9割は寝ているわ。興味がなさ過ぎて。


 さすが高校の試験ともなると、情報がないと解けないものね。」


「まじすか」



 どんだけだよ。

 てゆうか授業中寝てたのか。


 黒雛が両肘を机につき、組んだ手の甲の上に顎を乗せ、哲学者のような体勢で瞑目して授業を受けているのは、ウチのクラスのお馴染みの光景だ。


 さすがは黒雛アスカ。

 あの体勢で授業を集中して聞き、深い理解と考察を得ているに違いない、とみんな思ってたんだけどな。

 普通に寝てやがったこいつ。



「勉強だけじゃないわ。

 スポーツも芸術も家庭科も。

 それに何より、人間関係。


 面倒臭い。面倒臭い。面倒臭い。


 私は何もしたくない。

 お友達なんて1人も欲しくないのよ。

 なのに、皆毎日いちいち絡んできて。


 うっとうしいことこの上ないわ。

 どうにかして追い払うものはないか。

 毎日そんなことばかり考えているの。


 もう、どうにかして言い寄ろうとする男子をお断りするのも、それに嫉妬する女子を宥めるのもうんざりなのよ。


 私にはあらゆる情熱が存在しないの。

 一生何もせずに生きて死にたい。


 桐島くんはよく毎日小説なんて書けるわね。

 素直にうらやましいわ。

 何を食べて育ったら、そんな情熱が湧いてくるのかしら」


「……そりゃ、また」



 熱にうかされたように語り続ける黒雛。

 僕は完全に引いていた。


 暗い瞳に狂気が宿っている。

 美人なだけに凄みがある。

 鳥居みゆきのコントみたいな迫力だ。



「気持ちはわからなくもないけどさ。

 僕も大概めんどくさがりだし。

 でもさ、一生何もしないってわけにはいかないだろう。

 何か活動しなきゃ、さすがに生きていけないっていうかさ」


「私は死なないわ、実家が太いもの」



 ……さいですか。

 あまりにも堂々と言われたので、それがエヴァのパロだということに一瞬気づけなかった。


 お金がなければ働かざるをえないけど、黒雛の場合は確かに一生ニートできちゃうのかもな。

 事務次官の息子みたいにならなきゃいいけど。

 ほら、ドラクエ10の人。



「もう勉強も運動もその他諸々も、今後一切努力しないことは決意しているわ。

 でも、一つだけ厄介なことがある。

 それが、人間関係。


 流石に突然周囲と関係を断絶したら軋轢を生むし、トラブルが起きてそれに付き合わされるなんて冗談じゃないわ。

 それで考えたの。そうだ、彼氏を作ればいいんだって。

 彼氏がいるとなれば言い寄ってくる男子も減るし、用事があると言って誘いを断るのも楽になるわ。


 でも誰でもいいわけじゃない。

 その彼氏との付き合い自体が面倒臭いようならば意味がないし、他の女子との恋愛トラブルに発展するのも面倒よ。


 だから、他の女子に好かれているリスクがゼロで、なるべく無口で出不精で、私との関係以外に楽しみを持っていて、私との関係についてベラベラと周囲に話す機会がなく、ダブルデートだのアウトドアだのの余計なイベントを考案することもなく、私に対して彼女として振る舞いを求めることもなく、できるだけ私に興味がなく、私のことが全然好きじゃない、それでいて私との関係を長期にわたって継続できるような。


 つまり桐島くん。

 貴方のような人と、対外的な、表面的な、形式的な恋愛関係を偽装すること。

 それが私の考案した、偽装恋愛関係契約よ。

 わかってくれたかしら」



 ……。

 わかってくれたかしらとか言われてもなあ。


 いや正直頭がついて行ってないところあるけど。

 なんかすげー都合よく使われようとしてないか?

 人をなんだと思ってるんだよ、こいつ。



「もちろんタダでなんて言わないわ。

 見返りに、貴方の元カノになってあげるわ」


「元カノ!?まだ付き合ってもいないのに!?」


「それが貴方にとって最大のメリットになるのよ。

 なぜなら……」

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