第3話 私とお付き合いしていただけないかしら

 ある日の放課後。

 僕は大変なピンチに陥っていた。



「やばい……。

 ない、ないぞ……」



 カバンにも、机の中にも、ポケットにも。

 ない。どこにもない。



 僕の、スマホが、どこにもない。



 スマホをなくした位で大げさだな、と思うかもしれない。

 または、あーわかるよスマホがないと焦るよね、と思うかもしれない。



 でも、違うんだ。

 いや確かに、スマホがないととても困る。

 と言うと、いやお前友達いないんだから別に携帯がなくても困らないだろう、とか言われちゃうかもね。


 いやそれは否定できないけど。実際スマートフォンのフォンの部分の機能は全くと言ってほど使っていないけど。

 でもあれがないと死活問題に関わると言う位、僕の場合は困るんだ。



 でもね。それだけじゃない。

 スマホがないと困るけど。ないから困るってだけじゃなくて……。



「おい桐島。

 何かあったのか?困ってるみたいだけど」


 我がクラスの桐島くん係こと、大沢くんが話しかけてくる。


「あ、大丈夫。なんでもない、なんでもないから……」



 彼の純粋な親切に対し、安定の塩対応で返してしまう。



「?まぁいいならいいけど」



 ただスマホがないだけなら、大沢くんに電話をかけてもらうことで、解決できるかもしれない。


 でも、それはできない。

 とある事情によって、そうするわけにはいかないんだ。



 しかし、どこでなくしたんだ。

 それから心当たりのある場所を探し回ったが、見つからなかった。



 最後に触ったのはいつだ?

 ……昼休みには確実にあった。


 いつもの場所で、いつもの“日課“をした記憶がある。

 だがいつもの場所—-屋上にいっても、僕のスマホは見つからなかった。


 アニメや漫画では当然のように解放されているが現実の学校では立入禁止になっていることでお馴染みの屋上だが、なぜか我が校ではセキュリティーがガバガバで、普通にいつでも屋上に侵入できる。


 とは言え、あんな場所にわざわざ行く物好きはいないのか、いつ行っても貸し切り状態だ。

 みんな知らないんだな。穴場スポットってやつだ。

 僕は昼休みのたびにそこに行って、“日課“を済ませている。



 しかしそこにもない。

 職員室で、落し物を問い合わせても届いていないとの事だった。

 お手上げだ。



 僕は諦めて下校しようと、玄関に向かった。

 ……最悪、スマホがなくなる事は良い。

 親にはめちゃくちゃ怒られるだろうけど、それまでのことだ。

 そろそろ使い始めて2年経つ機種だし、ぼちぼち買い換えてもらう予定だったしね。



 でも。

 もしも万が一、あのスマホを、誰かに見られたら。

 ましてや、それが僕のものだと知られたら。



「桐島くん」


「うわあっ!」



 背後からかけられた静謐な声に、かなりオーバーなリアクションを返してしまった。


 考え事をしている最中に話しかけられると、僕は脳がバグるんだ。

 一度何かに集中すると外部からの情報にまともに対応できなくなるのは昔からの悪い癖だ。

 きっと脳内のワーキングメモリが貧弱なんだろう。



 振り返って再度驚く。

 そこにいたのは、クラスの、いや我が校のアイドル、黒雛アスカだった。


 叫び声を聞かされたと言うのに、まるで動じることなく、いつもの穏やかな微笑みを浮かべながら。

 彼女はただじっと僕を見ていた。



「く、黒雛さん。

 ……。や、やあ。帰るところ?」



 多分僕は今相当キョドっているだろう。

 そもそも黒雛アスカと会話をするのは初めてだ。


 心臓がバクバクする。

 な、なんで黒雛アスカが僕なんかに話しかけてくるんだ。


 いや、挨拶ぐらいはするか。

 同じクラスなんだし。


 こ、こういう時ってどんなセリフを言えばいいんだろうか。

 さよなら、とか。また明日、とか。

 自然に、自然体でいこう。


 いや自然体のやつは、自然体で行こうとかいちいち思わないんだろうけど。

 本物の野原ひろしは自分が本物の野原ひろしだとは言わないのと同じ理屈だ。



「フヒ、ヘヘへ……。

 じゃあ僕はこれで。また明日は、よろしくお願い申し上げます……」


「探し物はこれかしら?」



 カクカクと動きながら挙動不審を通り越した何かのような対応する僕に対し、黒雛アスカは何かを差し出してきた。



 スマホだ。

 間違いない、僕のスマホだ。


 カバーもフィルムもつけてないデフォルト状態だけど、細かい汚れとか傷のつき方から、間違いなく僕のものだと確信できた。



「ひ、拾ってくれたんだ。ありがとう。

 助かったよ。よく、僕のだってわかったね?」



 平静を装いながらも、心臓がバクバクと鳴り響く。

 拾ってくれただけなら良い。


 だが、万が一。

 中を、それでなくても待ち受け画面だけでも、見られてしまっていたら……。



「ええ。

 なにしろ桐島くんがこれを落としたところから見ていたもの」



 ……ん?

 なぜ落としたその場で教えてくれなかったんだ?


 いや、違うか。

 僕が勘違いしていただけで、本当に今さっきスマホを落としたのかもしれない。


 そうだそうだ。

 そうに違いない。

 あの黒雛アスカが、僕なんかのスマホを何時間も持ち歩いてる理由がない。



「初めて見た時には驚いたわ。

 毎日昼休みに屋上に行って、あんなことをしているなんて。

 今日は“アレ“が終わった後、桐島くんがうっかり落としているのを見て、つい拾ってしまったの」



 ……!


 見られて、いたのか。

 アレを。



 いや待て。落ち着け。

 まだ、どこまで知られたかわからない。


 パニックを起こすな。

 核心に迫られたとは限らない。

 自爆して余計な情報を開示する事は避けねばならない。



「黒雛、さん。えっと、その。

 スマホの中とか、見てないよね?」


「ええ。勿論。

 マナーだもの。人の個人情報を覗き見る趣味はないわ」



 ……ほっ。

 思いがけず肩の力が抜ける。


 さて、後はどう誤魔化したものか。

 そんなケチな計算をつい始めてしまった。


 これを油断と言うのだろう。



「大丈夫よ。あなたの秘密が外に漏れる事は無いわ。

 だから、安心して。

 ねえ、“流れ星ヒカル“先生?」



 ……!!!



 そ……そのペンネームは!?

 こいつ、やっぱり!?



 完全に術中に嵌った僕を、黒雛アスカは微笑みながら眺めている。



「よかったらもう少しお話ししましょう。

 こんな所では何ね。

 私の行きつけの良いお店があるの。

 大丈夫。こちらから誘ったのだから、お代は持つわ。

 ねえ、いいでしょう?

“流れ星ヒカル“先生?」



 声優で言えば斎藤千和さんの様な蠱惑的に響く声で、有無を言わせず迫りくる黒雛アスカに対して。


 僕に、逆らうことなどできるはずがなかった。



 ‐ ‐ ‐



 中堅Web小説家、流れ星ヒカル。



 知名度や筆力はイマイチ。


 しかし一線を超えるほど低俗に読者に媚びた作品タイトル。

 誰もが思いつきながらも作品の品格を落とさないために控えていたようなメタネタや他作品ネタ。


 これらを恥ずかしげもなく使いまくることを武器に、一部の読者にそれなりの人気を誇りつつも、書籍化等にはほど遠く、ランキングを適当に賑やかす程度の、いてもいなくてもいいような作家。



 その中の人が、僕だ。



 中学時代のある日。

 あまりの友達のいなさに脳が破壊された僕は、「ひょっとしたら小説を書いたら僕の人生も良い方向に行くのではないか?」と言う謎の結論に到達した。


 それ以来、学校での昼休み、および帰宅後の宿題を終えてから寝るまでの時間。

 オリジナルの小説を執筆しては、某有名小説投稿サイトにアップするというのが僕の日課になった。



 最初の内はロクにアクセスを集めることもできず苦労した。

 でも色々と勉強や実践を重ねることで、少しずつ読者が増えてからは、楽しくて楽しくて。

 僕にとってなくてはならないライフワークになった。


 少し前からカクヨムと言うサイトでは、アクセスに応じて報酬がもらえるようになったため、ますます執筆にのめり込んだ。

 今では、もちろんこれで生活できるわけじゃないけど、高校生の小遣いとしては十分な位に広告収入を得ている。



 まぁ。それが母親に知られると、「アンタそれで稼いでるなら、お小遣いはいらないわよね」と言う謎の采配を振るわれる結果にはなったが。



 で、高校に入ってからもその“日課“は続いた。

 ……友達ができれば続けずに済んだのだが、残念ながら続ける運びとなりました。


 毎日昼休みになると音もなく屋上に移動し、スマホの音声入力機能で小説を執筆する日々。

 いや、便利なんだよ音声入力。

 キーボードでタイピングするよりも、多分倍以上早い。

 スマホのフリック入力に比べたら、4倍ぐらい速いかも。



 難点はその姿を他人に見られたら、完全に変質者な点だ。

 だからこそ、誰もいない屋上を執筆場所に選んだんだけれど……。



「そうね。

 あれは2週間位前だったかしら。


 クラスの男子たちがいつものように「桐島くんを探せゲーム」を始めたの。

 私もしつこく誘われて、面倒だったので付き合うふりをして1人になれる場所を探したわ。

 それで、偶然屋上が解放されていることに気付いたの。


 ここで適当に時間をつぶして、昼休みが終わる直前位に教室に戻ればいいか。

 そんなふうに思ったら、そこにあなたがいた。


 最初は音楽でも聴いているのかと思ったわ。

 スマホに繋げたイヤホンをしていたから。

 でも、イヤホンのマイクに向かってブツブツ話しているの。

 カラオケの練習かとも思ったけど、そういう風でもない。


 それから時々、昼休みにあなたの様子をこっそり覗きに行ったの。

 いつ行っても同じことをしている。一体何をしているんだろうって」



 喫茶、“歩恋日(ブレンディ)”。

 学校から歩いて10分弱。

 僕が普段使う東口ではなく、西口側にある喫茶店。


 黒雛アスカに案内されたのは、静謐で瀟洒な雰囲気の漂う、個人経営の喫茶店だった。


 先日おばあちゃんと一緒に行ったLマートの近くだな。

 こんな所にこんな洒落た店があったとは。



「元々、流れ星ヒカルの作品は読んでいたのよ。

 カクヨムで5000フォロー位あるでしょう?

 カクヨムの5000はなろうの50000に相当するから、まあ読む人は読んでいるわよね」


「……それはどうかわからないけど」



 アカギみたいな例えをしやがって。

 っていうか、あの黒雛アスカがWeb小説を読んでいるのが意外すぎる。



「まあ一応読んでいると言う程度で、特別ファンと言う事はなかったけれど。

 フォローもせず応援ポイントも星も入れてなかったし」



 そこは入れろや。

 それだけがモチベなんだから。



「そして今日、桐島くんのスマホを拾って、この待ち受け画面を見て、全ての謎が氷塊したの」



 そう言って、黒雛アスカは僕のスマホを勝手に立ち上げる。


 待ち受け画面に映るのは……カクヨムの月間ランキングのスクリーンショット。

 そう、僕の作品が先月ついに月間1位に輝いた時、記念に取っておいたものだ。


 あまりの嬉しさに、それを待ち受け画面に設定すると言う血迷った凶行に及んでしまった。



 普通に考えて頭おかしい。

 こんな、誰に見られるか分からないようなところに、危険な証拠を残すなんて。


 とっくに一位は陥落したし、危険だからそろそろ待ち受けから外そうと思っていたのに……。

 このタイミングで、他人に見つかるなんて!



 Webで小説を書いてるなんて、人に知られたらお終いだ。

 ヤバイだろ。アウトだろ。


 もはやからかってすらもらえない領域だろう。

 みんな「あいつが?……ははっ」「いやなんかすげえわかる」「やっぱああいう奴が異世界転生とか望んでるんだよな」みたいな深い納得を与えてしまうに違いない。


 もう生きていけない。

 ある意味児童ポルノ所持とかの方がまだイメージが良いまである。



 い、いや!

 この待ち受けだけならまだ言い逃れできる!

 ファンだから、応援してたから、つい嬉しくてスクショ取っちゃったとかで!



「無駄よ。

 もうスマホの中まで見ちゃったんだから。

 作者のホーム画面って、ああいうふうになっているのね。

 リワードもなかなかの金額が溜まっているようで、大したものよね」


「な、どうやって!

 パスワードがかかってるだろう!?」


「……桐島くん、もう少しセキュリティー意識を向上させることをお勧めするわ。

 いえ、パスワードに5963を設定するのはまあいいの。

 でも、スマホを立ち上げるたびにゴ、ク、ロー、サンと呟くのは頂けないわね。

 搾精病棟のアマミヤ先生じゃないんだから」



 そんな!

 僕、そんなことしてたの!?


 ていうか、搾精病棟とかわかんのかよ!

 僕も話題になったときには公開停止してて、ネットに転がってる画像でしか知らないのに!



「まあ、流石に人のいるところでは言っていなかったわね。

 でも、開放された屋上だと油断するのかしら。

 毎回言っていたわ」


「マジかよ!

 てゆうか、そんな呟きが聞こえる距離まで近づいてたの!?

 なんで僕はその距離で気づかなかったんだよ!」


「いえ、私は入り口のあたりからドアに隠れて見ていたわ。

 読唇術で口の動きを見破ったのよ」


「読唇術って!!!」



 唐突にそんな技を繰り出すのはやめて欲しい。

 彼岸島じゃないんだから。



「距離にして20メートルぐらいはあったかしら。

 ちなみに私の視力は6.0よ」


「幻海師範かよ……」



 もうこれ僕悪くなくない?

 こいつが異常すぎるんだよ。



 がっくり項垂れながら、黒雛がおごってくれたブレンドコーヒーをすする。

 清涼な香りが鼻腔を駆け抜ける。


 味オンチの僕でもこれはわかる。

 いつも飲むインスタントとはまるで違う。

 流石一杯720円も取るだけある。

 小説で稼いでいるとはいえ、所詮平凡な高校生である僕では、とても自力で入ろうとは思えないお店だ。



「まあ、どうでもいいのよそんなことは。

 あなたの趣味に口を出す気はないし、それを人に言う気もない」



 そう言って黒雛もカップに口を付ける。

 静かで、優雅な手つきだな。音一つ立たない。


 何をやっても様になる奴だ。



「ほ、本当か?」


「ええ。

 本当のことを言うと、あなたの作品にさえ、それほど興味は無いのよ」


 それは言わなくていいことだな!


「でも、これでまた1つ条件が揃ったわ。

 前々から目をつけていたけど、これで決まりね。

 これ以上の物件は期待できないでしょうね」


「物件……?」



 なんだか不穏な単語が出てきた。

 というか、黒雛の態度が変わった。


 熱っぽい視線で僕の目を射抜く。

 姿勢も僕に向かって前のめりになる。


 さらには、唐突に両手で僕の手をぎゅっと握りしめた。



 ひゃあっ!

 緊急事態だ!


 黒雛の手から伝わる体温が僕の脳を打ち抜き、心臓が破裂しそうなくらい暴れ出す。



 す、スベスベだ。

 女子の手ってこんなにスベスベなの!?

 それとも黒雛が特別なのか!?


 童貞野郎には刺激が強すぎる。

 頭がフットーしそうだよぅ。



 というか普通に勃起していた。

 性欲を持て余す、大塚明夫の声で言いそうになる。やれやれ、いつ村上春樹のように射精してもおかしくない。

 心の中のコナン江戸川が「あれれー?どうしてこのお兄ちゃん、手を握られただけで勃起してるのー?」と言葉攻めしてくるが、城島茂の表情で「素人は黙っとれ」と一閃したい。



 ニヤリ。

 黒雛はそんな僕を見て、とても悪い笑みを浮かべる。

 夜神月かな?



 そして、僕の目をじっとりと見つめながら言った。



「桐島くん。

 私とお付き合いしていただけないかしら」

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