後編

 あと五分もすればシャトルが月に着くというとき、機体全体がひどい揺れと衝撃に襲われた。観測漏れの宇宙ゴミ群の一部が、シャトルにいくつも衝突したのだ。


 即大破するという最悪の事態は避けられたものの、エンジンを破壊されたシャトルは完全に機動力を失った。また、破損した機体の一部から空気が漏れだしているようで、約十五分で機内の空気が消失するとのことだった。


「お前が乗っているから、こんなことになったんだ!」


 乗客のひとりが一花を指差して怒鳴った。ヒューマノイドと居合わせると不吉だ。そういう噂が流れているからだろう。しかし、他人の罵声などどうでもよかった。マスターが頭から血を流して気を失っている。シャトルが揺れたさいに頭をどこかにぶつけたのだ。


 頭を強打したのであれば、揺らして起こすことができない。一花は何度も呼びかけた。


「マスター、大丈夫ですか! マスター!」


 しかし、息はしているものの、目を覚ますことはなかった。


 そのとき、一花の頭に事故の詳細情報が流れこんできた。ヒューマノイドは災害や事故が起きたさい、即座に状況を把握することができるのだ。セキュリティー機能のひとつだった。


 それによると、シャトルに配備されている緊急時用キットで、三箇所の簡単な修理を行えば、エンジンの回復と空気漏れを回避できるそうだ。修理作業に要する時間は十分ほど。空気が消失するまでは約十五分。


 今から作業を行えば間に合う。しかし、問題もあった。修理作業はシャトルの外で行わなければならない。


 ヒューマノイドに宇宙服は不要だ。しかし、機体の一部が損傷しているため、一旦外に出てしまうと、二度と機内に戻れない。つまり、エンジンが動きだしても機内には戻れず、宇宙空間に放りだされたままになる。おそらく、地球にはもう帰れない。


 だが、一花は迷うことなく立ちあがった。ほかの人間なんてどうでもいいが、マスターを死なせるわけにはいかない。未だ気を失ったままのマスターを見おろすと、別れを惜しむ暇もなく早口で告げた。


「マスターのお世話ができて幸せでした。どうか、お身体を大切に」


 そうしてシャトルの外に出た一花は、事故のあった日から今日に至るまで、こうして静寂した宇宙を漂っているのだった。


「それにしても」凛は逆さまのまま地球に目を向けた。「月の近くでの事故だったというのに、まさかこんなところまで飛ばされていたなんて……今まで何人もがあなたをさがしに宇宙に出たのですが、いっこうに見つからなかったわけですね」


 一花が漂っているのは月の近辺ではなかった。青く澄んだ地球の周回軌道上を漂っている。修理後に動きだしたシャトルのエンジンが、風圧で一花を地球の近くにまで吹き飛ばした。


 今回一花が見つかったのはまったくの偶然だったという。望遠鏡で夜空を眺めていた素人天文家が、漂う一花をたまたま捉えたらしい。


 しかし、凛は本当に一花の救出のためにここにやってきたのだろうか。ヒューマノイドは人間の命令によって動く。凛がここにいるのも命令されてのことだろうが、人間がヒューマノイド救出の命令をくだすとは思えない。マスターが救出を依頼したというのも今に至ってはありえない。


 なにか裏があるのではないだろうか。


 空気のない宇宙空間でこうやって会話ができているのは、おそらく周囲に大量のナノマシンを撒いているからだ。しかし、ナノマシンの用途は無限だ。ナノマシンを撒いた主な理由は会話のためではなく、なにかしらのくわだてを遂行するためかもしれない。


 一花が不信感を抱いていると、凛が「ところで」と仕切り直すように言った。


「水瀬さまのことですが、事故後の安否が気になりませんか?」


 それは気になっていた。動きだしたシャトルはこの目で確認したが、マスターのその後は知る由もなかった。頭を強打していたが大丈夫だったのだろうか。


 一花は食いつき気味に尋ねた。


「教えてください。マスターは無事だったんでしょうか?」


 凛は「ええ」と頷きながら微笑んだ。


「あの大きな事故にもかかわらず、死者数は奇跡的にゼロでした。もちろん水瀬さまも助かっています。あなたが身をていしてシャトルを修理したおかげです」

「そうですか……」一花はほっとした。「それはよかった……」


 一花の行動は無駄ではなかったようだ。マスターが助かって本当によかった。しかし――


「あの事故からどのくらい経っているのでしょうか? AIを積んだCPUが経年劣化でもしているのか、私はもう日数のカウントができないんです」


 凛は一瞬の間を置いて答えた。


「百二十一年と五十一日です」


 十年や二十年とは思っていなかったが、百二十一年というのは予想以上の歳月だ。思わず「そんなにも……」と漏れた。


「水瀬さまは事故からは生還したものの、ALSによって四十二歳で他界されています。病気で身体が不自由だったにもかかわらず、最期まであなた以外の介護士を雇わなかったそうですよ。ヒューマノイドであっても人間であっても、介護を許否されていたと記録に残っています」


 凛は再び地球に目を向けて、静かな口調で尋ねてきた。


「やはり、水瀬さまがいない地球には、帰りたくはありませんか?」


 一花も地球に目をやり、「はい……」と応じた。


 マスター以外の人間は嫌いだ。人間だらけの地球になど帰りたくない。しかし、ここから見る地球はとても綺麗だ。青く輝くあの惑星を眺めながら、ゴミのように静かに漂い続けていたい。

 

「一花さん、あなたがおっしゃっているのは過去の話です。現在のヒューマノイドと人間は友人関係にあります。もし、人間を嫌っているのであれば、騙された思って一度地球に帰ってみませんか?」


 友人関係? そんなわけない。一花はそう考えながら、首を横に振って拒否した。


「私はここにいます。マスターがいない地球に帰っても仕方ありません」

「そうですか……」


 呟きながら、凛は自分の首に触れた。


「先程あなたは私の首輪を気にされていましたね。大丈夫かと。現在のヒューマノイドは首輪が義務づけられていないのです。ノーカラーが定められたおかげです」


 一花ははじめて聞いた言葉を繰り返した。


「ノーカラー……?」

「はい、ノーカラーです。今から約百二十一年前の話です。あるヒューマノイドが自分の身を犠牲にして、たくさんの人間を救いました。そのヒューマノイドがいなければ、シャトルの乗客である六百二十三人の人間が、すべて帰らぬ人となっていたでしょう」

 

 凛は一花を真っ直ぐ見つめて続けた。


「それ以降、人間はヒューマノイドへの認識を変えたのです。人間を救ったヒューマノイドを、友人と捉えるようになりました。それからまもなくして定められたのがノーカラーです。否定のノーに首輪のカラーでノーカラー。つまり、ヒューマノイドへの首輪の強要が違法になったのです。同時にヒューマノイドを型番で呼ぶ風潮も過去のものとなり、私も凛という名前をつけてもらっているのです」


 一花はおとぎ話を聞かされている気分だった。人間がヒューマノイドを友人と思っているなんて、凛のほうこそCPUに問題があるのではないだろうか。


「人間を救ったヒューマノイドというのはもちろんあなたのことですが、現在のヒューマノイドが平和に暮らせているのはあなたのおかげなのです。あなたのおかげでヒューマノイドは人間と共存できています。ですから、あなたは私たち全員の恩人なのです」

 

 まったくピンとこない。ヒューマノイドと人間が共存? 突拍子もない話に疑いばかりを持っていると、凛が「それから」とこんな説明もはじめた。


「今私がここにいるのは人間が望んでいるからです。彼らはあなたに敬意を払っています」

「私に敬意……?」


 凛は「ええ」と頷いた。


「生前の水瀬さまは、あなたの捜索を各所に依頼していました。ですが、水瀬さまが亡きあとも捜索は続けられてきました。現在に至るまで百年以上もです。なぜだかわかりますか。他の人間が捜索を引き継いだからです。たくさん人間を救ったあなたに敬意を払って、たくさん人間があなたの捜索に尽力してきたのです」

  

 人間が私に敬意を……? 本当だろうか。いや、たとえ本当だとしても、今までのことを水に流して、人間と仲良くするなんて無理だ。やはり、マスターのいない地球になど帰りたくない。


 その思いが顔に出ていたのだろう。凛は残念そうな苦笑いを見せた。


「お気持ちに変わりはないようですね……」

「はい……」と一花は頷いた。「申しわけありませんが……」

「できれば恩人のあなたを連れ帰りたいのですが強要はできませんね。でも……」


 凛は肩にかけたトートバッグからハードカバーの本を一冊取りだした。


「最後にこれを読んでいただけませんか? それでも地球に帰りたくなければ、私はあなたの救出を諦めます」


 差しだされた本を受け取ると、凛が本について説明してくれた。

 

「水瀬さまはあの事故のあとも執筆活動を続けていらっしゃいました。そして、約二年後にKKノンフィクション小説大賞という文芸賞を受賞されています。そちらの書籍はその受賞作品である『ノーカラー前編』です」


 一花は手の中にある本を見つめた。マスターは文芸コンクールで大賞を受賞したらしい。一緒に受賞の栄冠を祝えなかったのは残念だが、事故後も執筆活動を続けてくれていてよかった。


 マスターはよく車椅子に乗ったまま窓際で執筆していた。その後ろ姿が一花のメモリに残っている。膝の上にノートパソコンを乗せて、何時間もキーをカタカタと打ち続けていた。

 

 ――マスター、執筆用のデスクをご利用になられたほうがいいのでは? ずいぶん背中が丸まっています。そんな悪い姿勢だとお身体にさわりかねません。

 ――いや、僕はもともと猫背なんだよ。それに、デスクに向かって書くより、このほうが筆が乗るんだ。


 執筆用のデスクを用いたほうが作業効率はあがるはずだ。にもかかわらず、マスターは主に窓際で背中を丸めて執筆していた。


「あとがきをご覧になってください」


 凛は一花にそう告げながら、目線で本を開くよううながした。


「そのあとがきをご覧になられたうえで、まだ帰りたくないとおっしゃるのであれば、もうあなたを説得するすべはないでしょう」


 一花は表紙を一度撫でてから本を開こうとした。そのときだった。

 

「一花、帰ってこい」


 マスターの声がどこかで聞こえたような気がした。


 思わずあたりを見まわしたものの、まさかマスターが近くにいるはずない。メモリにマスターの声が数え切れないほど保存されている。それが記誤作動を起こしたのかもしれない。一花はそうしあてて視線を本に戻した。


 これも背中を丸めて窓際で執筆したのだろうか。そんなことを考えながら、あとがきのページを開く。


 そこに目を通した途端、一花の思考は停止した。


「これ……」


 句点を含めてもたった十二文字のあとがきだった。飾った言葉でも凝った言葉でもない。ありふれた言葉が短く一文で綴られていた。


 一花はそのあとがきを二度三度と繰り返し読んだ。


 これは一花にくだされた最後の命令に違いない。いや、マスターは命令という言葉を嫌っていた。


 これは一花に託された最後の願いでありメッセージだ。


 マスターはどんな気持ちでこの言葉を残したのだろうか。今となっては知るよしもないが、一花を信じていなければ残せない言葉だ。


 このメッセージを無視することはできない。信じてくれたマスターを裏切るわけにいかない。


 一花は顔をあげて凛に向き直った。


「私を地球に連れて帰っていただけますか」


 本を閉じてそう伝えると、凛は逆さまのまま微笑んだ。


「ええ、喜んで」


 

     ◇



 KKノンフィクション小説大賞。午後二時からり行なわれている授賞式の壇上に、一花は首輪をつけずにグレーのスーツ姿で立っていた。


 授賞式の進行役は若い女性の姿をしたヒューマノイドだった。名前は沙織さおりというらしく、打ち合わせのときにこんな話をしていた。


「前編の授賞式でも私がMCをさせてもらったんです。後編のMCもさせてもらえるなんて光栄です」


 さらに、こんなことも口にした。


「実は水瀬先生から一花さんへの伝言を預かっています」

 

 こめかみあたりを指で押さえた沙織は、それまでとは違う声色こわいろ、聞き覚えのある男性の声で言った。


『一花、おかえり』


 それはマスターの声だった。AIに保存してあったものを自分の声として再生したのだ。


 一花はいつか地球に帰ってくる。そう信じていたマスターは、多くのヒューマノイドに頭をさげて、一花宛ての伝言をAIに残していた。大人数おおにんずうに伝言を残しておけば誰かひとりぐらいは一花に届けてくれる。そう考えての行動だったのだろう。


 それはALSによって発話が困難になるまでずっと続けられた。


 沙織もマスターに頭をさげられたひとりだったらしく、今まで三十回は『一花、おかえり』を聞いたが、何度聞いてもマスターの優しい笑顔が頭にチラついた。


 また、沙織は伝言を再生したあと、改まった顔をして一花に言った。


「あなたはすべてのヒューマノイドの恩人です。見つかって本当によかった。私からも言わせてください」


 一瞬の間を挟んでこう続いた。


「おかえりなさい、一花さん」


 そして今、沙織は授賞式の進行役として壇上に立ち、『ノーカラー後編』を饒舌じょうぜつに紹介している。  


 一花は『ノーカラー後編』を執筆するさい、素人で、しかもヒューマノイドが執筆などしていいものか悩みに悩んだ。しかし、前編のあとがきに従うべきだと判断して、最終的には筆をる決意をした。


 その執筆作業はマスターの真似をして主に窓際で行った。

 

 ――デスクに向かって書くより、このほうが筆が乗るんだ。


 ずっと昔に聞いた話が少しだけわかったような気がした。


 マスターが執筆した『ノーカラー前編』には、一花とその介護生活の仔細がつづられている。それはシャトルが事故にみまわれる直前で完結する。ゆえに『ノーカラー後編』には事故以降のあれこれを書きしたためた。


 シャトルが見えなくなって寂しかったこと。

 マスターのことばかり考えていたこと。

 地球がとても綺麗だったこと。

 凛が宇宙に迎えにきてくれたこと。

 ヒューマノイドの首に首輪がなかったこと。

 人間がみな親切だったこと。

 人間とヒューマノイドが笑い合っていたこと。


 こうしてノンフィクション小説の『ノーカラー』は、ようやく後編が制作されて完成するに至った。前編を執筆したマスターが他界してから約百二十年後に。


 おかげさまで後編もKKノンフィクション小説大賞に選ばれたが、授賞式の主役であるはずの一花は心ここにあらずだった。鏡の前で練習した澄まし笑顔を壇上で見せつつ、頭の中にいるマスターに話しかけていた。


 マスター、後編の仕上がりはいかがですか。一番読んでもらいたいあなたはもういませんが、あなたのような優しい人間にたくさん出会いました。その人たちが力を借してくれたおかげで、ヒューマノイドの私でも後編を書きあげることができたのです。もし不満があったとしてもこれで納得してください。あなたが勝手に私にたくしたのですから。


 マスターは『ノーカラー前編』のあとがきにこう書きしるしていた。一花へのメッセージともいえる一文を、はるか遠い昔にわずか十二文字で。



 ――後編は友人の一花にたくす。





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〔書籍化〕ひとつの花に託す。 烏目浩輔 @WATERES

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