〔書籍化〕ひとつの花に託す。

烏目浩輔

前編

 KKノンフィクション小説大賞。午後二時からり行なわれている授賞式の壇上に、水瀬基行みなせもとゆきは車椅子であがっていた。


 水瀬は鳴かず飛ばずのまま三十代後半を迎えた三流作家だ。また、KKノンフィクション小説大賞も、ほぼ無名の小さな文芸コンクールにすぎない。にもかかわらず、駆けつけたマスコミ関係者の人数は百を超える。本のタイトルにもなったノーカラーが、世間に浸透して注目も浴びているからだろう。


 授賞式の進行役を担っているのは二十代半ばと思われる女性だった。女性はスタンドマイクの前に立ち、水瀬の作品を紹介している。


「水瀬先生の書く作品の特徴はやはりその文体ではないでしょうか。研ぎ澄まされた美しさがあります。しかし、今回大賞を受賞された作品の最たる特徴は文体ではありません。みなさんもご存じかと思いますが、前編だけで物語を終結しているところです」


 水瀬はその饒舌じょうぜつな書評をどこか他人事のように聞いていた。一花いちかとの暮らしをありのままにつづった『ノーカラー前編』。大賞に選ばれたという実感がいまいち湧かないのだ。


「かつて前編だけの作品が大賞を受賞したことは一度もありません。しかし、水瀬先生はそれをなし遂げました。私としてもとても嬉しく思います」


 ぼんやりと聞いていた水瀬は、ん? と思って女性に目をやった。


 今の「私としても」という言いまわしは人間だとすると不自然だ。背の高いスラリとした女性。勝手にそうとばかり思いこんでいたが、もしや人間ではなくヒューマノイドだろうか。


 こんな疑問を抱けるようになったのも、ノーカラーが浸透したおかげにほかならない。いや、正解には一花のおかげだ。


 彼女は今頃どうしているだろうか。


 水瀬は一花を案じながら視線を頭上に向けた。そこにあるのは授賞式会場のひどく殺風景な天井だった。


 ノーカラーを定めるまで人の心は変化した。人が変わってきっと世界もよくなった。だが、世界を変えた彼女は――。


 天井に目を向けたまま心の中で呟く。


 一花、帰ってこい。


 いつかこの思いは彼女に届くだろうか。



     ◇



 ――ピッ


 頭の中で小さな起動音が鳴った。


「…………………ん……………花…………さん………」


 誰かの声が聞こえる――


 一花の擬似意識ぎじいしきは徐々に目覚めていく。


「………さん………花さん……一花いちかさん……一花さん」


 誰だろう――


 なぜ、型番ではなく名前で呼ぶのだろう――


 一花は不思議に思いながら重いまぶたを持ちあげた。すると、逆さまになった女性と目が合った。


「ああ、よかった。目が覚めましたね」


 目覚めたばかりの頭はひどくぼんやりしていた。だが、女性と面識がないことくらいはすぐにわかった。


「……誰……ですか?」


 一花が掠れた声で尋ねると、女性は「りんといいます」と微笑んだ。それから、スローモーションのようにゆっくりと回転する一花に、白い手を差し伸べてきた。


「私もあなたと同様にヒューマノイドです。ようやくあなたを見つけることができました。さあ、一緒に帰りましょう」


 帰る? なぜ? そう思った途端に一花の意識ははっきりした。


 凛にきっぱりと告げる。


「いやです。ここにいます」

「え……」


 拒否されたのが想定外だったのだろう。凛は困惑したようすで手を引っこめた。


 一花は明瞭な意識のもとで改めて凛を見た。一花の設定年齢より五つほど上、二十代後半のように見える。細い身体を真っ白なワンピースに包み、長い髪はほのかに茶を帯びている。中になにが入っているのだろうか。華奢な肩には生成色きなりいろのトートーバッグをかけていた。


 未だ困り顔の凛に、一花はもう一度きっぱりと告げた。


「私は帰りません。ここにいます」


 人間がいないここは静かでいい。ここが気に入っているのだから放っておいてほしい。そういったことも伝えると、凛は逆さまのまま「んー……」と唸った。


「困りましたね。あなたは私の恩人ですから救い出したいのです。ここに残すというのはちょっと……」

「私を救うつもりであれば、なおさらここにいさせてください。それに私はあなたを知りません。恩人というのは人違いでは?」

「ええ、あなたは私を知らないでしょうね。でも、あなたは私たち全員の恩人なのですよ」


 意味がよくわからない。一花が怪訝に思っていると、凛が「少しお話をしましょう」と微笑んだ。


「……話?」


 面倒くさいが話くらいなら――


「まあ、構いませんが……」

「ありがとうございます。では、あなたのマスター、水瀬さまのお話をしましょう」


 その言葉を聞いた途端、一花の胸はぐっと締めつけられた。

  

「マスター……」


 思わず呟いた一花をよそに、凛はマスターの話をはじめた。


「あなたが水瀬さまのもとに手配されたのは、水瀬さまが二十八歳のときだったそうですね」


 そして、少し神妙な顔をしてこう続けた。


「あなたは介護のために手配されたのだとか。水瀬さまは若くしてALSを患っていらした……」


 ALSは筋肉が急激に萎縮して身体の自由が利かなくなり、最終的には自発呼吸が困難になり死亡する難病だ。以前は病気発症から二、三年で死亡するケースも多かったが、現在は医学の発展により二十年ほどまで伸びている。


 一花は当時を思いだしつつ説明した。


「マスターがALSを発症したのは二十三歳のときだったそうです。私が手配されたときにはすでに歩くのもままならない状態で、杖が手放せないうえに、調子の悪いときには車椅子も必要でした。ですが、パソコンの操作には支障がなかったようで、作家活動は続けておられました」

「なるほど……」少し斜めになった凛が気遣わしげな顔をする。「作家活動に問題がなかったとはいえ、介護は想像以上に大変でしょう。苦労がつきものですから」

「確かに苦労はありました、でも、苦痛を感じたことは一度もありません」


 そう、苦労をしても苦痛はなかった。


「あなたもヒューマノイドであればおわかりでしょう。私たちに対する人間の態度はひどいものです。あたり前のように差別し嫌悪します。でも、マスターはいっさいそんなことをしなかった。私をとても大切にしてくれましたから、苦痛なんて一度も感じたことがありません」


 ヒューマノイドは製品型番の数字で、囚人のように呼ばれることが多い。だが、マスターはそれすらも忍びないと言って、一花という名前をつけてくれた。


きマスターだったのですね」


 そう言って微笑む凛にも名前があるようだ。まだマシな人間に従事しているのかもしれない。


 しかし、マスターほど温かくはないだろう。一花はマスターの人柄がわかるよう、より具体的な話をした。 


「マスターとあるカフェにいったときのことです。私はマスターに肩を貸して店内に入っていきました。通常のマスターであればすぐにヒューマノイドを店の外に追いだし、用が終わるまでそこに待機させるでしょう」


 人間はヒューマノイドと同じ空間にいることを非常に嫌う。人間と見た目が瓜二つだというのに、いや、瓜二つだからこそなのか、人間はヒューマノイドを不気味に思うのだ。


 また、ヒューマノイドを下等な生き物のように思っているふしもあった。おそらく、家畜の相手をするような感覚でヒューマノイドに接しているのだろう。


 ヒューマノイドには首輪着用の義務があるが、これも家畜という意識があるからだ。もともとは人間とそっくりなヒューマノイドを、一見して区別するために首輪が義務化されていた。だが、現在に至っては家畜扱いするための小道具でしかない。


 人間とよく似た不気味な家畜。人間はヒューマノイドと同じ空間にいることを忌み嫌う。


 一花のマスターは首輪に猛反対だったが、取り外すことはできなかった。やわそうな首輪に見えて、どんな工具を用いても取り外せないのだ。かりにそれが叶ったとしても、首輪を外したヒューマノイドは、高温圧プレス機で容赦なく溶かされ潰される。


 嫌な気分で自分の首輪に触れたとき、一花はあることに気がついた。


「あなたは……」凛に尋ねる。「首輪をつけていませんね。大丈夫なのですか?」

「ええ、大丈夫です。理由はのちほど説明いたしますので、水瀬さまのお話を続けてください。カフェでのお話でしたね」


 なぜ、大丈夫なのだろう。一花は不思議に思いながらも続けた。


「マスターは私を店の外にだそうとしませんでした。それどころか、向かいの席に座らせようとするんです。店員が露骨に嫌な顔をしてもマスターは無視しました」

「それはそれは」凛は楽しげに目を細めた。「なかなか気のお強い方だったのですね」

「いえ、気が強いのではありません。意志が強いんです。マスターは身体が弱くても意志の強い人でした」

「意志ですか……」


 そう呟いた凛はまた逆さまに戻っていた。一花もゆっくりと回転しているが、凛も完全には停止していないようだ。


「しばらくすると、店員が抗議してきました。『ヒューマノイドを外にだせ』と、凄い剣幕で怒鳴ってきたんです。でも、マスターは決してそうしようしなかった。そればかりか、身体が不自由だというのに、杖を振りまわして店員に突っかかっていったんです」

「やはり」凛は口もとに手を添えて微笑んだ。「気がお強い」


 確かに気も強いかもしれない。一花はふっと笑って話をもとに戻した。


「カフェにいったときだけではありません。ほかにもよく似たことがたくさんありました。いつもマスターは私を守ってくれていたんです。本当は私がマスターの力になるべきだというのに……」


 一花がバスに乗車拒否されたとき、マスターは杖で車体を叩き続け、警察がやってくるほどの大事おおごとになった。映画館で入館拒否されたときは、入り口のところで喚き散らし、以後は出入ではいり禁止になってしまった。それだけではない――


「マスターはいろんなところに私を連れていってくれました。夜景を見にいったこともありますし、海にいったことだってあります。旅行に連れていってもらったことも一度や二度ではありません。私は他のヒューマノイドでは経験できないようなことを、マスターのおかげでたくさんさせてもらいました」

「そうですか。水瀬さまはあなたのことを大切なパートナーと思っていたのでしょうね。それが、あの月旅行で……」


 そう、あの月旅行だ。


 あの月旅行でマスターと離ればなれになってしまった。あの月旅行にさえいかなければ、あるいはもっとマスターと――


「僕はいつまで生きられるかわからないからね、興味のあることはすぐに実行したいんだよ」


 口癖のようによくそんなことを言っていたマスターが、あるときすべての発端になるあの月旅行に言及した。


「今度、月にいこうと思っているんだ。そこでお願いがあるんだけどね、一花もついてきてくれないか。僕の身体はこんなにポンコツだから、きっと一花に迷惑をかけてしまうと思う。でも、できれば君と一緒にいきたい」


 今になれば後悔しかないが、そのときの一花は喜々として伝えた。


「マスターさえよければ、私も月にいってみたいです」


 しかし、心配事もあるにはあった。コスモシャトルの乗車にかんする懸念だ。


 コスモシャトルは大型航空機のような外観をしているが、六百以上の座席を備えた民間経営の宇宙船だ。月に建設された宿泊用ステーションに一泊する月旅行は、そのシャトルを使って月に向かうのが定番になっている。


 ヒューマノイドがシャトルに乗車するさいは、客室ではなく荷物室を利用するのが一般的だ。ヒューマノイドは荷物と同等かそれ以下だった。しかし、マスターのことだから一花のために座席を確保するだろう。客室乗務員や他の乗客の白い目を容易に想像できる。マスターまで差別され嫌悪されるのはなんとしても避けたい。


「月旅行のシャトルのことなんですが、私の座席は確保していただかなくて結構です」

「いや、座席を確保しないと月にいけないだろう?」

「他のヒューマノイドと同じように荷物扱いでお願いします」

「ああ、そういうことか。なにを言いだすかと思えば……」


 マスターは呆れたようにため息をついて、一花のために窓際の席を予約した。


 案の定、旅行当日は一花とマスターに、奇異な視線が多数突き刺さった。客室乗務員は怪訝な顔をし、乗客たちは侮蔑の顔をした。


 事故が起きたのはそんなときだった。





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