〇それぞれの答え合わせ
3月14日。学年末特別試験が幕を閉じた直後の夕暮れ時。
各クラスの代表者たちは、まだ気持ちの整理もつかぬまま、自身の所属するクラスへと帰される。
いや、気持ちの整理がついていないのは代表者よりも参加者かも知れない。彼らは試験の全容を把握するところから始めなければならないためだ。裏側で何が起こっていて、どのようにして決着したのか。ただの勝った負けただけで終わらせてはいけない、そこで起こった出来事を知る必要がある。そんな参加者たちが待つ教室への帰り道、堀北と洋介がオレと一之瀬の対決について幾つもの疑問、質問を持っているのは明らかだったが、茶柱先生もいたためか、終始無言で教室までの道のりを歩き続けていた。
そんな沈黙に耐えかねたのか最初に口を開いたのは、茶柱先生だった。
「……念のため補足しておくが、今回の特別試験は例年から見ても特異な試験だった。おまえたち代表者と既に教室に戻って待機している参加者たちとでは、大前提として持っている情報が違う。共通して理解しているのはクラスの勝敗と、退学者の存在、その部分だけだ。教室に戻った後、私がこの点について詳しく説明することはしない」
「本当のルール……。正確には代表者に与えられたルール……。ですが、これを私たちが参加者に説明して齟齬の解消をすることは問題ありませんよね?」
「もちろんだ。どうすべきかはおまえたちが判断すればいい。この後はすぐに解散になる予定だが、気になることは話し合って解決しておくべきだろうからな」
教室への扉に手をかける前に茶柱先生は振り返りつつ、堀北たちにそう助言した。
「はい、そのつもりです。それに私たち代表者も、個別にどんな戦いを繰り広げたのかは詳しく知りません。情報を共有する必要があると考えています」
各代表者たちが、各々どんな言動を取ったかを知らない。
と言っても、オレと一之瀬の戦いの詳細を知ることに気持ちが集約されているはずだ。
唯一分かっているのは、一之瀬が倒され、前園が退学に追い込まれたという結果だけ。
「綾小路くんも時間を取ってくれるわよね?」
「もちろんだ。疑問を残して今日一日を終わらせるつもりは最初からない」
こちらが承諾を見せたことで、一度自分を納得させ堀北が頷く。そして洋介も。
教師と、そして代表者3名の帰還が果たされる。
迎え入れた参加者たちは早々と好奇を含む多様な視線をこちらに向けてきた。
回収されていた携帯が先生から生徒たちに返却されたので電源を入れると、間もなくメッセージが届き、オレはそれを軽く読み流してからポケットに携帯を仕舞った。
茶柱先生はまだ動揺が見て取れる生徒たちにゆっくりと声をかける。
「学年末特別試験はおまえたちの勝利で終わった。これで2年Bクラスは、大きなクラスポイントを得て───来月、3年生からは初のAクラスに昇格することがほぼ決まったと言っていいだろう。ただし、今回は前園が退学するという状況にもなった。私から直接この場で大手を振っておめでとう、とは口にし辛いが……それでもまずは、よく戦ったと褒めておきたい」
喜びを爆発させるわけにもいかない状況で、茶柱先生は生徒たちを労いつつその努力を褒める。
しかし、今はまだクラスメイトたちに喜びの色は少ない。
勝ち負けの実感も薄い上に前園が退学してしまっている。
ここでいきなり大はしゃぎすれば、顰蹙を買うことは避けられない空気だ。
いち早く、詳細を知りたくて仕方がない状況にある。
「前園はマジで退学になったのかよ先生」
直接聞くことを躊躇う生徒が多い中、一番に須藤がそう問いかける。
「半分正解で半分は誤りだ。確かに前園は職員室で退学の手続きを行っているが、今ここでおまえたちが必要なプライベートポイントを捻出できれば回避することは可能だ」
本来なら確認の1つくらい入ってもおかしくはないが、茶柱先生は当然クラスの総プライベートポイントくらいは把握しているはず。現時点で2000万に及ばないであろうことを踏まえての処置と考えられる。前園に淡い期待を持たせても、残酷になるだけだ。
実際に無理して救うとしても間に合わないだろう。今ここで、足りないプライベートポイントを他クラスや他学年から集める必要があるが、それは不可能に近い。
退学を阻止することは出来ない。これ以上は黙って受け止めるしかない。
「待っていれば会えます……か?」
と、ここでみーちゃんがそう不安そうに声を出した。
気の強い前園と気の弱いみーちゃん。一見相性が悪そうだが、意外にも2人はよく一緒に遊んだりしており仲が良かった。突然の別れを受け入れられないのも当然だ。
「いや……どうだろうな。少なくとも今すぐには無理だ。本人も退学を宣告されたばかりで激しく動揺している。それが解消されない限りは難しいだろう」
動揺しているという部分に、クラスメイトたちは複雑な顔を見合わせた。
「気になることも沢山あるだろうが、私から詳細は話せない決まりになっている。疑問がある場合はこの後話し合うといいだろう。私からは以上だ」
そう言って、早々と話を終わらせる。この先に待っている展開を想定しての配慮だ。
堀北は茶柱先生に許可を取り急ぎ教壇に立つ。
「申し訳ないけれど、全員この場にしばらく残ってもらえるかしら」
「前園さんの退学とか、どんなことがあったのかを教えてくれるってことよね?」
この瞬間を待っていた西村が不満そうに堀北へと問いかける。
「ええ。今回の学年末特別試験で、消化不良になっている部分を残すわけにはいかないと判断したの。でも私だけじゃそれは成立しない。全員に協力してもらえないかしら」
このクラスから欠けてしまった前園。
勝利の代償。
不明瞭で、詳細の分からない戦い。
高円寺くらいは席を立ってもおかしくなかったが、そんな様子はない。
視線だけ動かし様子を確認すると、手鏡で自分を見つめていた。
試験の詳細に興味が全くないわけではないのか、あるいは教師や堀北の会話など聞いておらず鏡に映る自分に夢中なだけなのか。
その判断はどちらともつかなかったが、しばらく留まり続けるのは確からしい。
「私も含めて、まず何よりも気になっていると思われることを解消したいと思う」
そう言った後、まず堀北は代表者と参加者の齟齬をなくすための説明を始めた。
お互い何を知っていて、何を知らないのか。
勝敗を決めるためのルールがどんなものであったのか、など。
齟齬をある程度なくしていくことで、初めて状況も鮮明になっていく。
洋介も自身の戦い方が上手くいかなかったことを素直に伝え、堀北も連勝するまでは順調に運んだものの、大将の一之瀬には手も足も出ず完全敗北したことを振り返る。
そして全員の注目は、その先に集まり始める。
大将のオレが、堀北が強敵と評した一之瀬を完封したこと。
その過程で前園の退学が決定したが、堀北や洋介という代表者も事情を知らないこと。
まず、何よりも前園の件は避けて通ることの出来ない話だ。
「私が考えるに……背信者の役職を与えられた生徒には確かに退学のリスクがあったけれど、ルールをちゃんと把握していれば退学する恐れはほぼ0%だった。前園さんも、そして綾小路くんもそのことはよく分かっていたと思っていたのだけれど……」
名前が呼ばれ、クラスメイトのほとんどから視線を向けられる。堀北からの言葉をきっかけにオレは席を立つ。全員に説明するため堀北の近くまで移動することにした。
茶柱先生は立ち去ることも出来たが、ここで話し合いの動向を見守るつもりらしい。
「突然クラスメイトから退学者が出たことについて、まずは謝罪をしたい」
オレはそう言って頭を下げ、謝罪をする。
ここはこれまで通り、順序立てて話していくことが重要だ。
「背信者の役職にはリスクとリターンがあった。背信者だと見抜かれれば退学してしまうが、見抜かれなければ500万プライベートポイントか50クラスポイントが貰える。前園がどちらを選ぶつもりだったかは関係なく、持ち帰りたいと一度は考えるものだ。ただし背信者はその特性上、長く留まり続ければそれだけ相手クラスに情報を流してしまう。だから早めに自白させ処理することが、正攻法で勝つための選択肢になるのは間違いない」
これは代表者になった堀北や洋介も最初に考えること。そして参加者たちも自分が背信者になっていたら、すぐ自白したであろうことは想像に容易いだろう。
「直接代表者として戦った堀北には分かると思うが、今回の特別試験において一之瀬は想像を絶する強さを持った相手だった。その認識は共通だと考えていいな?」
「……ええ、彼女は強かった。勝てるビジョンが全く思い浮かばなかったわ」
迷いのない敗北宣言を改めて引き出し、オレは頷く。
「それはオレも同じだった。対峙するまでは何とかなると考えていたが、実際に1対1で戦いが始まるとすぐに直感した。一之瀬にとって今回の試験は最も能力を発揮できる場で敵も味方も知り尽くしている。真実も嘘も丸裸に出来るだけの洞察力を持っていると」
傍で堀北も目を閉じながら頷く。実際の戦いを思い出しているのだろう。
「正攻法では全く勝ち目が無い。それでも大将を任された以上は勝つためにどうすればいいのかを考えなければならなかった。限られた時間で必死に考えた結果、1つだけ勝つ方法を思いついた」
ここで一度発言を止める。全員がオレの言葉を噛み砕き飲み込んだところで再開する。
「その勝つ方法というのが───早い段階で背信者を退学させることだったんだ」
当然、そう聞かされても全員が思考を止めるだろう。
何を言っているんだ、と混乱するのは当然のことだ。
「……前園さ……背信者を退学させることが勝ちに繋がるというのはどういうこと?」
噴出する当たり前の疑問を、堀北が隣から問いかける。
「正攻法で戦ってもオレの実力では到底一之瀬には勝てない。そんな相手に勝つには意表を突く奇襲しかないと考えた。早い段階で一之瀬に交渉を持ち掛け、背信者の権利をお互いに消費しようと提案した。両者がその権利を失えばハンデは生まれないし、退学者も生まれない。正攻法で勝てると考えている一之瀬には歓迎すべき展開だったはずだ」
一之瀬が誰よりも仲間の犠牲を嫌う。いや、正確には誰の退学も歓迎していない。
それは説明するまでもなく、この2年間で全員が感じていることだ。
「オレの狙いは、その背信者の権利を利用して一之瀬に退学の片棒を担がせること。それがオレに思いついた唯一の方法だ」
ここで教室の中が一瞬騒々しくなる。
今の説明で理解した者、理解できなかった者、その両方に該当する者。
客観的に見ていたであろう茶柱先生だけは冷静だった。
「背信者の権利をお互いに消費し合う……確かに一之瀬さん相手なら成立しやすいし、間接的に前園さんの退学に荷担したことにもなる……。それがあなたの狙いだった……」
代表者だった堀北は参加者たちよりも、当然情景を想像するのが早い。
「自分が前園退学の片棒を知らず知らずのうちに担がされてしまったという現実に直面し、一之瀬は大きく激しく動揺した。そこに強い罪悪感も相まって、その後は本来の力を発揮できず満足な指名が出来なくなった」
それがこの結果である、ということを説明、証明した。
「ちょ、ちょっと待ってほしい」
洋介は我慢ならなかったのか、勢いよく立ち上がった。
「僕も代表者として戦わせてもらった。役に立てなかったし、文句や異議を唱える資格がないことは分かっているつもりだよ。だけど……それでもクラスメイトを犠牲にするだけの価値はあったのかな……? 前園さんを退学させて100%勝てる、という状況だとしても素直に賛同できないのに、もし負けていたら? その可能性も十分にあったとは考えられないかな。いくら代表者でも、越権行為に近いやり方だと僕は思う」
「確かにそう、だよね。一之瀬さんの性格的に前園さんの退学を手伝わされたと知ったら動揺はすると思うけど、そのお陰で絶対勝てるってことにはならない……よね?」
同調する生徒もいるようで、そのうちの1人市橋がそう呟く。
「そうだな。結果論と言われればそれまでだ。ただ、あのまま無策に足掻いて負けるのか、犠牲を払ってでも勝つ可能性に賭けるのか。どちらが正しいかを天秤にかけた結果、オレはクラスの代表者として、大将として後者を選ぶことにした。何故ならここでの敗北は致命傷になりかねないと思ったからだ。仮に下馬評通りにAクラスが勝ち、このクラスが負けていたらクラスポイントが300は開くことになる。あと1年で確実に巻き返せる保証はない。どの試験も基本的に言えることだが、その中でも今回の試験は絶対に負けてはいけない戦いだった」
理由に一部嘘はあれど、前園の退学までに至る背景に偽りは存在しない。
犠牲者を出さずに負けるか、犠牲者を出してでも勝ちを狙いに行くか。
基本的には誰にも100点の回答を示すことは不可能なことだ。
ただし、負ければAクラスへの道から大きく後退してしまう、その事実が背後にある。
「自分を正当化したいわけじゃないがこの場で多数決を取ってもらってもいい。前園を犠牲にするくらいなら試験に負けた方が良かったと考える者の方が多いとは思っていない」
静まり返る教室。顔を見合わせたり背けたりする生徒たち。
そんな多数決など取ってもらいたくない、そういった心情が透けて見える。
もっとも、堀北はそんな多数決を取りはしないだろう。
ただ全員の心を痛める行為にしかならない。答えが分かっているからだ。
辛い現実ではあるが、このクラスが勝利した事実は想像よりも大きい。
坂柳が勝ち堀北が負けていた世界。
それを回避できたことが重要であることを、頭の中で計算せずにはいられない。
また、犠牲になったのは自分ではない、というのも無視できないものなのだ。
ここで否定するということは、佐倉の犠牲について考えを改める必要が生まれてくる。
それでも強く否定できる者がいるとすれば───
「───いくら何でも傲慢……なんじゃないのかな。綾小路くん1人で決断していいことじゃない。前園さんを犠牲にしても良い権利は代表者にもないことだよ」
そう、洋介のように自分よりも他人を守ることの出来る生徒くらいなもの。
このような反論が出てくることは想定済みだ。
「そうだな。だが誰にも相談できない状況だった以上、1人で判断するしかない。そしてオレは少なくとも洋介のようには考えなかった。クラスの命運を託された以上、最優先で成し遂げることはクラスに勝利をもたらすことだと考えた」
反論する洋介に対して真っ向からオレは自分の考えをぶつける。
「で、でも……無作為に選ばれた前園さんのことを思うと───」
「悪いが前園だったことにはちゃんと理由がある」
何故前園だったのか。いずれはその点で不満をぶつけてくる生徒が出ていただろう。
だからオレはここで先回りして相手の言葉を遮った。
ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編 衣笠彰梧/MF文庫J編集部 @mfbunkoj
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