3 かぎろひ

 十二月の十七日頃、夜明けに、奈良の方向の東の空が真っ赤に焼け、有明の曙光『かぎろひ』が淀川からも見られるというのだ。

 この時期になると、中国から沢山の僧が、奈良にやって来て、『かぎろひ』を拝んでゆくという。


 その当日、私たち夫婦は、夜明け前に堤防に来て見た。

 周囲はまだほの暗い。堤防沿いのマンションの灯がにぶく光っている。妻が叫んだ。


「わあ……お父さん、見て、”かぎろひよ”」


 私は生駒の方角を見た。東の空が真っ赤に染まっている。


 『かぎろひ』だ。


 『かぎろひ』は、南の方、生駒連山の稜線に、赤、黄色の光となってきらめき、有明の空を篝火かがりびのように焦がしている。

 墨絵ぼかしの凍て雲に包まれて燃え立つ『かぎろひ』は、幽玄な薪能の世界を連想させ、息を飲む美しさだ。

 私たちは立ち止まり、自然が織りなす一大ページェントに酔いしれた。


 後に、私は図書館に行き、『かぎろひ』について調べてみた。


『かぎろひ』という言葉は、奈良時代の天武十五年、歌人柿本人磨呂が、奈良県大宇陀町阿騎里で大嘗祭を主題に、


 東の空にかぎろひの立つ見えて、

 かえりみ すれば月かたぶきぬ


 と万葉集に歌った故事に由来した言葉であるそうだ。


 私は毎日歩く淀川に興味を抱き、淀川の歴史、植物、野鳥などの調査にのめり込んだ。やがて、今まで知らなかった淀川が、新しい装いを帯び、私の前に現れてきた。


 *  *


 春になった。河川敷には、真っ白なコデマリが、一斉に咲き、緑の中に菜の花が風にそよぐ。黄梅、紅カナメも色づき始めた。

 川辺の葦の藪から、頭の赤いキジが姿を現し、コンクリートの道の上をトントンと伝い歩き、素早く向かいの藪に隠れた。

 陽光きらめく川の中流には、川船が音を響かせ、のんびりと下ってゆく。


 今朝も私たちは、緑の木々が途絶え、淀川が広がる川端に着いた。

 もやい船が一隻、岸に漂っている。その上空高く、黒サキが二羽、悠々と飛んで行く。川の柵にもたれながら、私はふと、昔の淀川を幻想した。


 三十石船が、のどかに淀川を上ってゆく。それを追う水スマシのようなくらわんか船。下りの夜船には、俳人与謝野蕪村が乗っている。佐太の里付近を通って行く。


 窓の灯の佐太は未だ寝ぬ時雨かな。

 

 これは私が住むS町ゆかりの歌である。


 紫式部、安藤広重、三好達治。

 淀川ゆかりの人々が次々に浮かんでくる。淀川には、時代を越えた様々な人々の哀歓が流れている。

 大阪の人は淀川を「母なる川」と呼ぶ。私たち夫婦も、この母に抱かれた町に住んでいるのだ。


 


 

 



 

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かぎろひ 宗像弘之 @hiroyukiM

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