Chap.2-3

 新宿御苑、入口の発券機でQRコードの印刷されたチケットを購入する。チケットをかざし「ピンポーン」と音を立てて開くゲートを背にしばらく歩くと、木立に覆われていた視界がパッと開けた。

 昼下がりの新宿御苑には、ゴールデンウィークを前に穏やかな光景が広がっていた。有料の公園だから花見や紅葉の季節でもないかぎり、人が大挙して押し寄せる場所でもない。家族連れや恋人達が思いおもいの時間を過ごしている。

 桜もすっかり散ってしまい、葉桜と呼ぶにはもう葉の方が目立つ。新緑に覆われた広大な園内は、新しい季節の喜びにあふれていた。昨日降った雨の水たまりを飛び越え、青々としげる芝生に立った。

「わー、広いねえ!」

 ユウキが声をあげる。広大な園内のずっと奥まで、日差しに光る芝生が続いている。途中にそびえる大きなヒマラヤシーダーが青空をバックに黒いシルエットを投げかけていた。枝葉の合間から見えるビル影で、ここが新宿だってことを思い出す。タイムズスクエアの方向に立つ時計台が午後の時を刻んでいた。

 空に胸をむけて深呼吸をするユウキ。

「都会の真ん中なのに、空気がオイシイって感じ?」

「ユウキ、単純」と声を出して笑ってしまう。

 新宿御苑は、洋風庭園と日本庭園に大きくエリアが分かれている。森の中を散策するコースがあったり、立派な温室もあって結構見るところが多い。

 興味がないと言っていた割りにはユウキも、楽しそうにあちらこちら駆け寄って、驚きの声をあげていた。

「へえ、バラにもいろんな種類と名前があるんだねえ」

 ロミオ、芳醇、ブラックティー、ジャストジョーイ、そんなバラの名前を口に出して読みあげる。今はバラの季節ではないので、花のない殺風景な景色がちょっと残念だった。

 さあ、競争だ! と白樺の並木の合間を走っていく父子に目を細めるユウキ。

「今度はバラの咲いているときにこようね」

 つぼみの膨らみ始めたバラの枝を前に、ユウキはひとり言のように呟いた。池から羽の水を切る水鳥のはばたきが聞こえた。


「それにしても……こうして見てまわると、御苑てちゃんとした公園だったんだね。花見のときにはビューティパトロールばっかりで気がつかなかったけど」

「ビューティパトロール?」

「イケメン探しをすることだよ。辺りにビューティーがいないかパトロールすんの。うまくいけば、逆にナンパされるかもしれないじゃん?」

「何だよその自意識過剰なパトロール。それでナンパされたことは?」

「ないけどさあ、夢ぐらいみたっていいじゃん」

 春先の新宿御苑は、二丁目が近いこともあって、こっちの人達の花見で賑わう。僕は参加したことがないけれど、花盛り・男盛りといった光景らしい。そんな圧倒的な眺めを前に、ユウキもイケメンウォッチングとか不純な目でしか辺りを見れなかったのだろう。本来の御苑の素晴らしさは、こんな晴れた休日の午後にこそ感じられるのかもしれない。

 自販機で買ったジュースを一本、ユウキに投げて渡した。ベンチに腰を下ろして一休みする。肩を寄せ合った幸せそうなカップルが、側を通り過ぎて行った。

「ねえ。ちょっと聞いてもいい?」

 急にユウキが改まった声を出してこちらへ姿勢を正した。何事かと身構える。

「一平くんは、何であのマンションに越してきたの?」

 3LDKのマンション、僕らがルームシェアをする部屋のことだ。

「あれ、知らなかったっけ? タカさんに誘われたんだよ」

「やー、それは知ってるって。タカさんがスカウトしたのは」

「スカウトねえ」

 苦笑いする。ユウキにしてもリリコさんにしても、チャビにしたって相当変わった面々なので、一緒に生活できる人は限られるだろう。そういう意味では、確かにスカウトなのかもしれない。

「そうじゃなくてさ、普通は一人暮らししたいじゃん。その方が気楽だし。やっぱ家賃が安いから?」

「うーん、もちろんそれもあるよ……ユウキは? 何であのマンションに住もうと思った?」

 ズルイと思ったが、自分の答えを宙吊りにしたまま、ユウキに同じ質問をした。

「ぼく? お帰りなさいって言ってくれる人がいるのホッとするじゃん。それだけ」

 ユウキは前を見たまま続けた。

「誰もいない家には帰りたくないっていうかさー。うちは母さんがずっと働いてたから。ばあちゃんは小学三年のときにもう死んじゃったし。一人で家にいることが多かったんだよね」

「お父さんは?」

「うち母子家庭だったから。離婚だって。物心ついたときには、もう父さんはいなかったよ」

 サバサバした物言いのユウキ。

「そっか、じゃあうちと一緒だ」

「え? 一平くんとこも離婚?」

「や、うちは死んじゃったんだけどね。子供の頃、家に誰もいなかったのは一緒だよ。自分もユウキと似たような理由かもな。みんなとルームシェアをしているのは」

「フーン、一平くんはてっきりタカさん狙いなのかと思った」

「バ、バカ、ちがうよ」

 公園から見えるビルの合間から、茜色に染まりつつある空が見えた。淡い光がビルに並んだ窓ガラスに反射している。新宿御苑の閉園は早い。五時には閉まってしまう。夕暮れどき、子供の頃は五時のチャイムを聞いて家路についた。友達とバイバイして、近所の軒下から夕飯の匂いがしても、しばらくひとりぶらぶらと過ごしていた。働く母の帰りはいつも遅かった。

「今日の夕飯なんだろうね?」

 ユウキが夕焼けを見ながらポツリと言う。デートのシメと言えば外食でディナーだが、無性にタカさんの作るご飯が恋しくなった。

「今日は夕飯いらないって言ってきちゃったな」

「まだ、間に合うかな?」

 二人してスマホを取り出す。タカさんに『夕飯お願いします!』とメッセージを送った。すぐにOKというスタンプが、僕にもユウキにも返信されてきた。『任せとけ!』と力こぶを作ったキャラクターのスタンプだった。ユウキと顔を見合わせ、笑顔になる。

「さあ、帰ろっか」

「うん。ちょっと寒くなってきちゃったね」

 ユウキが両腕を抱えるようにして、自分の腕をさすった。

 オレンジ色の空の下、いつか聞いた五時のチャイムを思う。

「一平くん、今日はありがとう。楽しかった」

 突然、ユウキがそんなことを言うので、気恥ずかしさを誤魔化そうと「先に家に着いた方が勝ちな」と前へ出た。

「ちょっと、待って。いったい何の勝負これ?」

 タカさんの待つ僕らの家へ、ユウキと二人、走り出した。


第2話 完

第3話へ続く(近日公開)

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虹を見にいこう 第2話『デート日和』 なか @nakaba995

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