虹を見にいこう 第2話『デート日和』

なか

Chap.2-1

 さて、今日の僕はデートである。

 人生初デート。女性とも経験ないのに……お、男の人と急にデートをすることになるなんて――。

 お店のショーウィンドウに映った自分の姿を見て、ポッと顔が赤くなる。服装はこんなもので良かったのだろうか。白いシャツにカーキ色のズボン、ニューバランスのおろしたてのスニーカー。ハーフパンツはこっちの人にウケが良いと聞くけれど、さすがに四月じゃまだ寒いしなあ。

 ズボンのポケットに手をつっこんで、斜に構えてみる。男っぽく見えないかと、チョイ悪の表情を作ってみたが、色気の欠片も感じられない。笑顔を作ってみても、若い子のように天真爛漫ともいかない……何とも中途半端な冴えない三十歳がショーウィンドウに映っていた。

『一平はもっと活発になった方がいいわよ。ゲイなんてちょっと前のめりくらいが丁度良いんだから。一回ぐらいリアルを経験すれば、ああこんなもんかってなるわよ。はじめてのセックスと一緒ね』

 そんな風に同居人のリリコさんから煽られていた。リアルというのはネットやSNSで知り合った人と実際に会ってみること。そもそもデートもしたことがないのに、セックスの感想に例えられたところで共感することもできないが。まあ、今日重い腰を上げる気になれたのは、そんなリリコさんの助言(?)のおかげかもしれない。この歳になって誰ともデートをしたことがないなんて、やはり何とかしなくてはいけないと思うワケで。


 待ち合わせはJR新宿駅、東南口改札の前。電車に乗る距離でもないので、家から歩いてやってきた。

 休日の新宿は人であふれ大賑わいだった。テナントビルの街頭ビジョンが天気予報を映し出し、今日一日快晴になるでしょうとデート日和であることを告げている。春にしとしと降る雨のことを春雨と呼ぶけれど、昨日までまさにそんな天気だったのだ。

 テイッシュ配りのお兄さんに差し出されたティッシュを勢いで受け取ってしまい、軽くため息をつきながら駅のコンコースに通じる階段を上っていく。東南口改札の前は、ひっきりなしに人が行き交っていた。

 僕の故郷である神奈川県の山沿いでは、そもそも電車が一時間に数本しかない。大学も千葉県の郊外だったので、就職のために上京したばかりの頃は、この人ゴミになかなか慣れなかった。よく皆ぶつからずに歩けるものだ……と。

 今日約束をしている人は、スマホの出会いアプリで知り合った人だった。そのアプリは、みんなとルームシェアをするようになってから教えてもらったゲイ同士の出会いをサポートするツールみたいなものだ。顔写真や簡単なプロフィールを掲載し、気に入ればお互いにメッセージのやり取りができる。そんなものがこの世に存在するなんて、僕はこの歳になるまで全く知らなかったし、アプリを使ってみて、身近にこんなに沢山のこっちの人がいるのかと改めてビックリもした。

 最初のうちは眺めているだけで、とてもメッセージを送る勇気なんてなかったのだが、そのうち、ちょくちょくニアミスをしている人物がいることに気がついた。出会いアプリはスマホのGPS機能と連動しているので、近くにいる人ほど表示されやすい。その人は歳下で、プロフィールに書かれた『初心者でアプリの使い方よくわかりません』て言葉に親近感がわいた。デビューしたばかりの僕と似た人なのかもしれない……そう思い恐るおそるメッセージを送ったのだった。

 一週間、音沙汰がなく諦めかけていた頃に返信があった。僕のプロフィールに書いてあった『好きな音楽:H2Oの思い出がいっぱい』に触れてくれて、『ぼくもよくカラオケで歌います!』とフレンドリーな物腰に舞い上がってしまい、勢いで会う約束をしていた。僕の歳だってH2O知らない人が多いのに……趣味が合うかもしれないと勝手な妄想が膨らんでいた。


 フウと深呼吸、時計代わりにスマホ画面を確認した。待ち合わせの時間まで十五分ある。出会いアプリに通知もないし……相手の人はまだ来ていないだろう。辺りを見渡すと、何人か気になる人々が目についた。

 例えば、あの人。改札正面の柱にもたれて、スマホをいじっている。短く刈り上げた頭髪でスポーツバックを肩から下げていた。あれはノースフェイスのカバンだ。ワシのマークのジーンズとトミーと書かれたグレーのパーカー。ファッションの色使いは若い印象だが、口ヒゲをはやした顔はオジサンのような気もする。いまいち年齢不詳だ。アゴの周りは無精ヒゲだらけでモノグサな人かと思ったら、眉はきちんと整えられている。僕の待ち人ではないと思うが。ジロジロ見るのも失礼なので目をそらす。

 フラッグスと書かれた商業ビルの入り口付近には、ぽっちゃり肉づきの良い若い子がいた。チャビの横幅をそのままに、身長を縦に伸ばしたような体型だ。もしかしたらまだ十代かもしれない。蛍光オレンジのラインが入ったスニーカーに、尻のポケットにウサギのシルエットがプリントされたジーンズ。黄緑の上着と、キャップをかぶっている。あのキャップは『ニューエラ』てメーカーだったと思う。会社の後輩が花見のときにかぶっていたっけ。店から出てきた人とぶつかりかけて「ヒャ! ゴメンナサイ」と高い声をあげていた。

 まあそんなどこか気になる人達が、そこかしこで目についた。原色のシャツやパーカー、まだ肌寒いのにハーフパンツを履いている人もチラホラ。短髪、髭のガタイの良い人達もいる。共通して言えるのは……僕の気のせいなのか、チラチラ目が合うのだった。

 喉がゴクリと鳴る。

 デートの待ち合わせ場所なんてよくわからないので、相手の言うままにしたけれど……もしかして、ここって待ち合わせの定番だったりするのだろうか?

 ピロン、と音を立てて出会いアプリに通知。慌ててスマホを取り落としそうになった。

『もうすぐつきます。どの辺にいますか?』

『改札から見て左、コインロッカーの一番端にいます。白いシャツ着てます』

 そう返信してドキドキする胸を押さえた。まだ会ってもいないのに、顔が真っ赤になっているのが自分でもわかった。落ち着こう……平常心、平常心。今日、何度したかわからない深呼吸をもう一度する。ほら、猛獣もこっちがびびっていると分かった途端に襲いかかってくると言うし。とにかく平常心だ。スマホを握りしめる手が汗でベタベタに湿っている。というか、スマホをそんなに力強く握りしめる必要もなかった。力を抜こうとするが、心臓のドキドキが最高潮に達して、あわわ、あわわとなってしまう。

 注意をしていると改札を出てきた女性がひとり、きょろきょろと辺りを見渡した。すぐにパッと顔を輝かせて、柱に寄りかかった例の無精ヒゲの男に駆け寄って行った。

「お待たせ!」と言葉を交わして、手をつないで歩き出す。何だ……目がチラチラ合ったように思ったのはやっぱり考え過ぎか。初デートに緊張して、自意識過剰だったかも。フフ、微笑ましい男女のカップルじゃないか、とようやく肩の力が抜ける。

「ねえ、ミナと女子会するの超久しぶりだね~」

 僕のそばを通り過ぎるとき、無精ヒゲの男性がそう言ったのが聞こえて、思わず二度見した。キャッキャと黄色い声が二人の頭上に文字になって見えるようだった。繋いだ手を楽しそうに前後に振りながら、二人は行ってしまった。

 ア、アレってもしかして……オンナ友達同志的なこと?

「おまたせしました、ムカイさんですか……オサムさん?」

 不意打ち。後ろから声をかけられて、口から心臓が飛び出す勢いでのけぞった。振り返った僕の目の前に立っていたのは、ハーフパンツに「うまい棒」と書かれた黒いTシャツを着た見覚えのある姿だった。

 とっさに言葉が出なくて、口をあぐあぐしていると、

「何で! 一平くんじゃん!」

 と黒Tシャツのヤツが声をあげた。

「ユ、ユ、ユ、ユウキが何でここに?」

「それはこっちのセリフだよ……」

 ユウキは辺りをもう一度確認して、自分の待ち人がどうやら僕に間違いないことを悟ると、その場でがっくりと肩を落とした。


Chap.2-2へ続く

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