Chap.2-2
「何となく怪しいとは思ったんだよなあ。近づいちゃいけないオーラってのがあるんだよね。イケメン過ぎるとか、趣味とか特技からスピリチュアルな匂いがするとかさ」
ユウキがダークモカフラペチーノのストローをズズッと吸い上げた。
東南口のコンコースを下りてすぐのスターバックスで、僕はお説教を受ける生徒のようにして縮こまっていた。どうりでアプリのGPSでちょくちょくニアミスをするわけだ。だって一緒に住んでいるのだから。
「アプリの使い方、よくわからなかったんだよ。自分の顔写真をアップするの怖いだろ?」
「だからって別人の写真アップしてどーすんのさ! 一平くんのプロフィールに載ってたの誰、アイツ? 詐欺以前の問題だよ。だいたいムカイオサムって名前なに? まさかだけど向井理のことじゃないよね?」
図星で声も出ない。
「そこは一平でいいじゃんよ」とため息をつかれた。
ちなみに僕が載せていた顔写真は、お気に入りのスポーツ選手だった。オリンピックにも出たことあるくらいの人物なので、みんなが知っていると思ったのだが、ユウキのようにスポーツに無関心な人もいるわけだ。
「一平も本名だろ。ほんの些細な個人情報からゲイばれして、いづらくなった会社もクビになって、路頭に迷った挙げ句、家族もみんな交通事故で死んじゃって……人生ドロップアウトした人の話を聞いたことあるんだ」
「誰から?」
「誰って、ネットだけど」
「ハァ。一平くん、マジ情弱だよね。後半、それゲイ関係ないし」
「ジョウジャク? 何だそれ?」
「ネットのデマに騙されやすい人のこと。もうちょっと情報機器の扱いになれる必要があるんじゃない、一平くんは」
「何だ、バカにしてんのか?」
「するよ、そりゃ! デートがパアになったんだからさ。怒りにも似た心境だね。てか怒りしかないね」
こちらも、だんだん腹が立ってくる。
「ユウキだってずいぶん顔写真が違うぞ? 現物と」
百歩譲って「ゆうくん」というハンドルネームに可能性を感じなかった自分も悪かったのかもしれない。だがユウキのプロフィールに載せられていた横顔の写真は、本人の面影ゼロ。まさかこれがユウキだとは思えない。何のトリックを使っているのか。ちゃんと本人とわかる写真であれば、こんな事故は起きなかったのだ。お互いさまじゃないか。
「ありゃ盛り過ぎだ」
リリコさんから教わった言葉を使ってみる。盛るとは自分を良く見せようと、写真の角度や照明の加減、ときには画像そのものを加工することを言う。ユウキが顔を真っ赤にした。
「盛り過ぎ……、そんな言葉どこで覚えてきたの?」
「リリコさんが言ってた。ユウキの自撮りはいつも盛り過ぎだって。ようやく理解できたよ」
「そ、そうかなあ。そんなに違うかな……」
ユウキの声が急に弱々しくなる
「まあ何ていうか……原型はあるか。よく見れば。ユウキか、ユウキじゃないかと言えばユウキじゃないけど、人類をユウキ似とそうではない者にわけたら、かろうじてユウキ側の部類に入るかも?」
「もういい!」
ユウキがそっぽを向く。
「お互いさまってことだよ」
僕の言葉にユウキも「そうだよね」と息をついた。これ以上ケンカをしていても惨めになるだけだ。
「まあ、今回はぼくでよかったよね。一平くん、もうちょっと気をつけなって。ホイホイ誘いに乗ってると、変なことに巻きこまれるよ。まだ初心者なんだから、一平くんは」
ユウキだって人のことを言えないと思う。僕の相当怪しいプロフィールにのこのこ出てきたのだから……と思ったが、素直に「わかった」と肯いておく。
気合い入れて準備したデートはキャンセル。アプリでメッセージを送るときに振り絞ったあの今世紀最大の勇気は何だったのか。全身から力が抜ける気分だった。今日一日、暇になってしまった。
ユウキはすまし顔でスマホをいじり始めた。フラペチーノのクリーム部分だけが残ってしまったカップをもてあそんでいる。アプリで代わりのデート相手でも見繕っているのかもしれない。
「これから一緒にデートする?」
「え?」
僕の言葉にユウキが顔を上げて、目を点にした。
「どうせ予定もないし。今日一日遊ぶ気まんまんだったし」
「それってぼくと一平くんがデートするってこと?」
「や、別に嫌ならいいけど」
「す、するする、デート!」
ユウキが大きく首を縦に振った。
「よし、じゃあ行こっか」
僕は水で薄まってしまったアイスコーヒーを、ズズッと最後までストローで吸い上げた。
◇
デートの定番と言えば、映画だ……と書いてあった。雑誌か何かに。
靖国通りに面した映画館、新宿ピカデリーを目指した。東南口から向かうと、ちょうど紀伊国屋書店の裏手の方になる。新宿の映画館というと、バルト9くらいしか行ったことがなかったのだが、ユウキはピカデリーの方が座席スペースが広くて居心地が良いのだと言った。
休日の新宿通りは歩行者天国になっていた。路地には移動販売車が並び、クレープやホットドック、ビールやワインを買う人々の間をすり抜けていく。初夏と呼ぶには早いけれど、汗ばむほど気温も上がっていた。
「こんなおでかけ日和の休日に、急に行って、映画のチケット残ってるもんかな?」
「あ、予約しておいた」
「いつのまに」
「デートの基本だよ。昨日のうちにネット予約しておいたの。お金後払いでもいいし、発券しなかったら一時間前にキャンセルされるだけだから」
そうか……デート初心者にとっては実に見習うことが多い。デートをリードするとはこういう用意周到さのことを言うのかもしれない。ユウキが頼もしく見える。まあ本当に百戦錬磨だったら、こうして僕とデートをするハメにはなっていないか。
発券を済ませ、映画の開始まで近くのゲームセンターで時間をつぶすことにした。ユウキはリズム系のゲームが得意のようだ。店の入口で買ったセブンティーンアイスの棒をくわえたまま、実に見事な手つきでビートを刻んでいく。僕にはリズムセンスとか音楽センスがまったくないので、足を引っ張らないように、ユウキの横でしきりに感心をしていた。
「なあ、さっきから気になってたんだけどさ」
UFOキャッチャーで吊り上げた戦利品のキーホルダーを指先でまわしながら、ユウキに言う。
「何? ぼくのこと好きになっちゃった?」
「バカ、そういうんじゃないよ……そのTシャツのガラどういうことだ?」
「え? これ? いいでしょ」
ユウキはくるりと一回転して、自分の着ているTシャツのイラストを改めて見せてくれた。黒いTシャツの表面には金色の刺繍文字で『うまい棒』と書かれ、裏面はこれまた金色の刺繍で見事な虎が描かれていた。
「これ一点ものなんだ」
「その大阪のおばちゃんが着ているようなジャガーを前面に出したセンスを、東京のどこにいけば買えるんだよ」
「ああ、これ? 原宿のアンダームーンてお店なんだけどね」
まさか本当に店を紹介されるとは思わなかった。
ユウキはTシャツのセンスが独特だ。今日に限った話ではなく、よく「なぜ?」と思うものを着ている。普段はスーツ姿ばかりみているので、こうして休日の私服姿を見るとその横暴なセンスに改めて打ちのめされると言いますか。表面は「うまい棒」で、裏面が「ジャガー」とは……世界観が難解過ぎる。
「一緒にいて恥ずかしい?」
急にユウキがそんなことを聞いてきた。
「え? 別に恥ずかしいことはないよ。ユウキが好きで着てるなら、それでいいんじゃないか」
実害があるわけでもない。
「そっか、よかった。何かこの前リアルした人にさ……恥ずかしいって言われたから」
「初対面で何だ、そいつ。そんな失礼なヤツはこっちからお断りだろ」
「うん、そうだよね」
ユウキが笑顔になった。
ユウキが予約してくれていた映画は、恋愛コメディで、笑いあり涙あり。何も考えずにポップコーンを頬張りながら見るのに丁度良い映画だった。最後は大団円で思わずウルっとしてしまった。
「おもしろかった~!」
と余韻に浸りながらユウキに声をかけたのに、
「そうだね」
と短く返事をして、さっさっと席を立って行ってしまった。トイレでもガマンしてたのかと思ったら、ユウキのヤツ泣き顔を僕に見られたくなかったみたいだ。トイレの個室に駆け込んで、チーン! と鼻をかむ音が聞こえた。
映画を観た勢いで、グッズコーナーに立ち寄った。ボールペンやメモ帳にクリアファイル、フェイスタオルにまでスクリーンで見たキャラクターがでかでかとプリントされていた。僕が勤める会社の製品もちらほらあった。文房具メーカーなので、こういうキャラクター商品も扱っている。Tシャツを広げ、「どうよ?」と尋ねると、ユウキはプリントされたキャラクターを見つめながら「うーん、微妙」と言った。僕には今着ているTシャツとの差がよくわからなかったが、やはりユウキにもこだわりがあるのだろう。
「どうする? 夕飯にはまだちょっと時間早いよね」
空に向かってユウキがぐっと伸びをした。映画の中で使われていた音楽、古いメロディを口ずさんでいる。
「うーん、実は僕にもデートプランあるんだよなあ」
「何それ! いいね、それしよう」
ユウキが手を叩く。
「まだ何も言ってないだろ」
「で、何がしたいの?」
「公園。ここからだと新宿御苑が近いじゃん」
あからさまにユウキが興味をなくしたのがわかった。ポケットからスマホを取り出していじり始めた。
「何だよ、デートの定番て言ったらやっぱり公園だろ」
「は? 公園でキャッチボールでもしろっての?」
「そんなことは言ってないだろ」
フリスビーはちょっとしたい。
「まあ、いいか。花見で行ったばかりだけど。時間つぶしにはいいかもね」
何となく新宿駅に向かっていた僕らは回れ右、御苑のある新宿一丁目へ足を向けた。
Chap.2-3へ続く
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