第七話 兄と弟

 備前北部の沼村は、その名の通り沼地にあるから名付けられたものである。辺り一面が湿地に覆われ、夏の蒸気は溜まったものではない。その沼地には、平たく小さな山があった。山から見下ろせば、強い日差しを甲羅で照り返す大亀のように見えることから、亀山、と名付けられている。そこに築城された亀山城こそ、浦上家重臣宇喜多直家の拠点である。

 備中の勇将三村家親を暗殺した又次郎を直家はたいそう気に入り、所領の加増に加えて姓を「浮田」とする旨を伝え、正式に宇喜多家臣として連なることとなった。

 又次郎はその日、夜更けにも関わらず直家から参上せよと命じられたので、眠りこける弟の喜三郎を置いてすぐ亀山城へ登城した。黒の着物の上から藍色に染められた肩衣と袴を身に着ける姿は、先日までの泥臭さがなく、まさに宇喜多軍の鉄砲部隊を率いる将として相応しい装いである。そして腰には脇差でなく、三村家親を撃った祭の小銃を差してあった。

 直家の小姓が「殿は、広間におられます」「皆さま、お集まりです」と伝えるのに頷きながら向かうと、そこは異様な空気に満ちていた。全員座しているが、甲冑を着ている者が数人見られる。よもやどこかと戦になるのか、とすれば自分に一切連絡が無いというのはおかしい。そう思いつつ末席に腰を落とした途端、鼓の音が突如として又次郎の鼓膜を震わせた。

 上座で獣のような物の怪のような、不気味な気配を放ちながら、床のどこかを芒と眺めているのは、宇喜多直家である。薄笑を浮かべてはいるものの、そこに人らしい「表情」といったもは読み取ることができない。例えるならば「口をひん曲げた能面」といった顔である。

「よう参った又次郎」

 と声を張ったのは、直家の弟・忠家である。甲冑も羽織も何もかも黒一色で統一した忠家は、まさしく直家の影といった風体である。対して直家はというと、袴に羽織の平装。

「なるほど、直家様と忠家様の装いが違うから、家臣の者どもの恰好もまちまちなのか」

 と又次郎は喉の奥で納得する。そして頭をぐっと下ろして、宇喜多兄弟に平伏した。

「はっ。火急の知らせと聞いて参りましたが、戦でござるか」

「先ほど、我らのもとに書状が届いた。三村五郎兵衛。又次郎、知っておるか」

「話したことはありませぬが、三村家の長老として家親からの信頼も厚かったようです」

 再び鼓の音がする。直家の隣に控えた男が打っているようである。男は名を岡剛介といって、直家の懐刀である。噂では備前北部に一大勢力を築いていた税所元常を誘惑し暗殺したとも聞いている。噂の真偽はともかく、女のような白肌に手折れてしまいそうな細い体つきは、男の又次郎とて目を奪われてしまいそうになる。神の使いの狐のように、剛介は直家の隣に控えている。そして彼が鼓を打つ時は、決まって直家が何やら話す時である。この時もそうだろう、と皆の視線が能面顔へ向けられる。直家の目玉がぎょろり、又次郎めがけて動いた。

「そいつも殺すか」

 低い声である。心の奥に刃を差し込まれるような気持ちになる。文脈から、三村五郎兵衛を殺す意志を表明していることは、皆わかっている。それでも家臣たちは、その目玉が自分の頸筋を捉えているのではないか、と体中の毛を逆立ててしまう。それは又次郎もそうである。動じていないのは、忠家と剛介のただ二人だけ。忠家は苛立ちながら、剛介は恍惚としながら主君を見据えている。

 直家が気づいたのは、忠家の視線である。

「なんだ七郎(ただいえ)、不服か」

 直家の声色が少し乱れる。しかし忠家は動じない。

「三村はわざわざ夜襲もせず、仇討ちに参った、と書状をよこしております。……その儀に背く無粋な真似は、止した方がよろしいかと。宇喜多の名が廃ります」

「そのために何人殺すつもりだ」

 そう言った直家の言葉は、流石に忠家をぶるりとさせた。しかし忠家は意地でも戦を始めるつもりらしく、口を閉ざしたまま仁王像のようになってしまった。なるほど、宇喜多兄弟の服装が違うのは、三村五郎兵衛を暗殺することで事を収めようとする直家と、五郎兵衛との戦に臨み正々堂々討ち取ろうとする忠家の対立から起きたことであったらしい。

 これ以上忠家を恫喝したとて、意見を変えるようにも見えない、と直家は踏んだのか、目玉を忠家の隣へと転がした。視線の先には、直家に見つめられて生唾を飲む若武者の姿があった。

「平助(まさとし)、儂と七郎、どちらの策が良い」

 戸川肥後守正利。この秋で十六になる、直家の小姓である。気の毒なことよ、と又次郎は思った。というのは、正利は直家の小姓であるが、その母は忠家の乳母である、ということで、直家と忠家の意見が対立しているこの場においては、板挟みの状況にある。

「私が、決めてよいのですか」

 正利は冷や汗で照る顔で、破顔していた。その瞳内で、夜更けの目印となる蝋燭の小さな灯が、赤々と揺れている。

「おそれながら申し上げますが、この戸川平助、七郎兵衛(ただいえ)様の策がよろしいかと存じます」

 又次郎が、皆が息をのんだ。正利は上昇志向の強い男で、成り上がってやろうと野心を胸に灯しているのは皆わかっている。大方、暗殺ならば又次郎か剛介の手柄になるだけだが、合戦となれば自分の目立つ機会が来るだろう、とでも思っているのだろう。

 又次郎とて無償で宇喜多に忠節を尽くし、無位無官のまま生涯を終える気は毛頭ないが、そのために直家の論に歯向かうなどできたものではない。次に鼓が打たれる時、自分の頸も討たれるのだと指の先まで固まってしまう。

「阿呆め」と皆が思った矢先、直家は再び視線を宙ぶらりんにして、吐くように笑った。

「ならば好きにせい」

 一同、思わず直家を凝視した。忠家すら安堵したように震えた息を吐いている。しかしとうの正利は、親に褒められた子のように笑を噛みしめ、反射的に直家に平伏した。

 直家はその後は全く忠家にも正利にも、三村五郎兵衛にも興味を失くしたようで、今一度正利を見て目を細めると、その場を立った。その際、自分も立たんとしていた剛介に「残って、よく奴らを助けよ」と命じた。剛介は少し、拗ねている様であった。

 忠家は正利に咎めるような視線を送り、正利はそれに気づいた。しかし二人は何も言葉を発さず、視線を合わせているだけであった。その後忠家は立ち上がり、残る甲冑姿の家臣一同を見下ろした。

「三村勢は敵の数は百にも満たぬ小勢だが、決して侮るな。三千の兵を以て迎え撃つ」

「千でも多いくらいだと思いますが」

「平助(まさとし)、お前はまだ戦をあまり知らん。恨みを軸に動く者がどれほど強いかを」

 忠家の脳裏にあるのは、兄・直家の顔である。

「そしてこちらも全力で当たることが、三村家に対する礼節となる。忘れるな」

 忠家は正利の他に、岡利勝、長船貞親を連れて戦支度へと向かう。

「忠家様、私は」

 忠家の足元から又次郎が声をかける。

「お主の鉄砲衆も引き連れてゆく」

「先刻の雨の湿気で火縄が使えるかどうかも怪しゅうございますが……」

「撃てと命じるつもりはない。我らが鉄砲衆を率いることが大切なのだ」

「……わかりませぬ」

「先日の三村家親暗殺で、鉄砲の脅威は三村の者たちに知れ渡っておる。とすれば、士気を削ぐにはまたとない道具だ。砲身には藁を巻いておけ。弾は込めるな。鉛が無駄になる」

 一通り命令し終えると、忠家は又次郎の方は見向きもせず、岡、長船、戸川を連れて行ってしまった。

「平助、この戦で死なぬと良いですね」

 柔らかな声に振り向くと、剛介がいた。黒地に赤い蝶が舞っている羽織に袖を通し、又次郎に笑みかけている。

「戦場では功を焦るものから死にます。遠藤殿は、なぜだかお分かりですか?」

「無論。敵の力量を見誤るからだ」

「それもありますが、私に言わせれば、功を焦るような単純な男は、調略にかけやすいのですよ」

 口元に細い指をやって「ふふ」と笑う剛介。目を細めるとその睫毛が長いことがよくわかる。

「遠藤殿、平助をよく守ってあげてください」

「お主が直家様以外の心配をするとはな」

「あら、誤解しないでください。あの子は直家様のお気に入りなのです」

「男が妬くな、みっともない」

「人は皆嫉妬深いものです。私は遠藤殿にも、妬いているのですよ」

 又次郎の背筋が凍った。宇喜多家一の暗殺上手に目を付けられたのだ。剛介はそれもお見通し、といった表情で、また笑う。

「ご安心を。別に殺そうなんて思ってませんから。私は羨ましいのです、同じ暗殺で身を立てたものでありながら、“浮田”を名乗ることを許された貴方が……」

 では、と言ったか言わぬか、背後へ回った剛介を目で追うと、既にどこかへ消えていた。あるのは蝋燭の火と、照らされる床板、そして又次郎。後は闇が忍ぶばかりであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

備中PERESTROIKA 備成幸 @bizen-okayama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ