第五話 揺れる家臣団
禅寺には既に法名を授かった三村の者たちが、今や遅しと出陣の時を待っていた。五郎兵衛は仏像と対座し黙想したまま、岩のように動かなかった。雨脚が強くなってくる。寺の屋根瓦を雨水が流れていく音すら聞こえてきた。それでも彼らは、弔い合戦を取止めにするつもりは毛ほども無かった。
家臣の一人が慌ただしく仏間へ入り、三村政親の来訪を伝える。それと同時に、上田阿西の大きな怒鳴り声が雨音の中強く響いた。
「
「おーこれはこれは上田殿。ん、髭伸ばした?」
「黙れ!
「こっちの言葉だわ。全員とっとと自分の城や屋敷へ帰れ」
「な、な、何をぉ~?」
五郎兵衛は立ち上がり「政親」と声を張る。儂に用事があるのだろう、という五郎兵衛に政親はにやり、とした。甲冑は濡れ、後ろで結った長い髪には雫が纏っていた。その隣にいる笠を深く被った少年のことは、誰も気に留める様子はなかった。ほどなくして政親は仏間へ案内された。正面には仏を背後に構えた五郎兵衛、そしてその部屋には上田阿西はじめ、彼と共に弔い合戦を主張する家来たちが取り囲んでいる。
まず口を開いたのは、五郎兵衛であった。
「政親、久しいの」
「はっ」
「見たところ具足姿のようじゃが、よもや加勢に来たわけではあるまい?」
「ええ。千竹に頼まれましてね。どうか爺様を止めて欲しいと」
政親が恭しく頭を下げるのは、家中では五郎兵衛の他にそう多くない。それにつけても五郎兵衛の口調や表情はまるで孫を見るような優しいものであった。
「どんな様子じゃ、安芸の毛利は」
「嫡男・隆元殿が急死されてからは、元就公のお孫にあたる輝元殿が家督を継承されており、つい先だって出雲の月山冨田にて初陣を果たされたそうにございます」
月山冨田には、かつて中国に覇を唱えていた尼子家が虫の息となって籠城していた。三村家は尼子や毛利、浦上といった大名と比べると力のない小さな国衆であるため、力のある大名に従うことで生き延びることを余儀なくされている立場である。その中でも尼子と毛利とは、家親の代から何かともめていた。家親の嫡男・蘭太郎が養子に行ったことも、これが絡んでくる。五郎兵衛にとっては、宇喜多と並び尼子もまた生涯の敵であった。
「カッカッカ、あの尼子が最早虫の息とは、愉快じゃのう。滅亡するまで見届けてやりたかったわ」
「当主・義久殿は疑心暗鬼に陥り、孤立した城の中で家臣を次々と誅殺されておるのだとか。いやはや、お味方の足並みが揃わぬとは、嘆かわしいことですな」
わざと含みのある言い方をした政親に、柔らかだった五郎兵衛の顔が険しくなる。
「断っておくが政親。『皆で生き延び、千竹丸の元服を待ち』などと、親成のようなことを言うてくれるなよ。そのようなことは分かった上で、我らはここに居る」
家来たちの賛同の声が大きく響く。なるほど、親成は余ほど人望というものが無いらしい。
「然様なことを言うつもりは毛頭御座いませぬ」
「ほう、ならば何故ここへ来た?」
「先日安芸へ参った折、手土産を持たされまして」
「手土産だと」
「ええ。元就公の御三男、小早川隆景殿からの手土産にござる」
政親が取り出したのは、黒い硯箱であった。開くとそこには、親成から手渡された一通の書状があった。政親はやかましいほどの大声で、それを読み上げた。
去る二月二十四日、明善寺の陣中にて、三村家長
三月十五日
小早川
部屋中に動揺が走った。即ち、主家毛利から「宇喜多を攻めず、おとなしくせよ」と通達があったのである。大国の毛利と結ぶ事で生き永らえている三村にとって、これを反故に宇喜多へ攻めかかることは、毛利勢からの離反を意味する。家親の死が「病死」とされているのは、三村家の皆が暗殺に感づいているとしても、公に「病死」として発表したことへの忖度であろう。父元就譲りの知略を受け継ぐ小早川隆景らしい文面である。それにしてもこの政親のやり方である。理屈で相手の道を塞ぐ、あの愛想のない仏頂面を思い出さずにはいられない。「この青柿めが」と五郎兵衛は笑った。
「良かろう。主家たる毛利にそうせがまれては、否とは言えぬ」
家来衆が少々騒いだが、それよりもはっきりとした口調で老将は続けた。
「この中には毛利家と繋がりのある者も多い。我らにとって、隣国であり大国の毛利との繋がりは、濁流に飲まれぬよう掴んだ綱。それにこの弔い合戦にて我らが死んだとて、残された妻子らは主家に背いたと誅殺されるであろう。誠に家を思うならば、弔い合戦などせぬ方が良かろう」
五郎兵衛は皆を見渡した。目の泳ぐ者、必死に視線を合わせまいとする者、それでも尚自分を見つめる者、その景色を一望した後、再び口を開いた。
「帰りたい者は、帰るが良い」
この場で安堵の息を漏らしたのは、政親だけではなかった。ある男が一人、逃げるようにその場を去った。三村家とは縁戚関係にあたる石川久智である。その背後を、聡明な顔立ちをした若い家臣が追っていった。
人気のない寺の廊下で、久智は壁に縋りつくようにして震えていた。長く続く廊下に灯りは無く、闇が忍び寄ってくるようだ。
「儂は、儂は」
久智の嫡男源右衛門は、三村家の娘を娶ることが決まっている。その手引きをしたのは五郎兵衛であった。それを以て石川家は三村家の縁戚となり、松山城を大要塞とする一角の山城・幸山城を守っていた。上田阿西と並んで備中の要所を任される忠臣である。こういったこともあり、久智は五郎兵衛に多大な恩義を感じていた。また温厚だが義理堅い性格であったので、此度の五郎兵衛の弔い合戦にも加わっていた。その久智が、真っ先に席を立った。
「儂は、五郎様を裏切ってしまった」
若い家臣は跪いて人の道を誤ったことに怯える主人を見上げている。死人のような顔をして、薄い脣を震えさせている主人を前に、家臣は落ち着いて、しかしハッキリとした口調で告げた。
「殿は見事にご決断なされました。嫡男の源右衛門様は未だ十歳、そしてあの書状が来た以上、毛利を敵に回すのは得策ではございませぬ。お家にとっては最上の策かと」
この言葉で主人が救われるなど、思っていなかった。男は「何故なら我が殿はお優しいのだから」と、神仏の影に怯える主人を冷淡に見つめていた。生まれたからには、人は生きねばならぬ。そして泰平には泰平の、戦国には戦国の生き方というものがあり、時には恩義や忠孝を捨て去り強い波に乗らねばならないこともある。それが出来ぬものは喰われて死ぬ。だというのに、何故このお方はここまで情に執着されるのか。
「これから、如何されるのです」
「……幸山へ戻る」
「賢明なご判断と存じます。お供仕ります」
久智は力強く袖で顔を拭うと、雨の降る闇夜を見つめながら、宗治、と家臣の名を呼んだ。縋るような声と目でもって、宗治に問う。
「もし、もし石川も斯様なことになったら、お主は行ってしまうのか……?」
宗治の眉がぴくり、とした。宗治の妻は、石川一族の娘。三村家にとっての久智と、石川家にとっての宗治はよく似た立場にある。いや、それが今の世では珍しい話でもない、というだけだろう。しかしだからこそ、久智は宗治に問うた。宗治の中の答えが残酷であることも、久智は知っていた。
宗治は雨粒に覆い隠された世界を見つめ、一文字に閉ざしていた口を開く。
「その様な日が来ぬことを、願っております」
しばらく沈黙が続いた。
「しかしその日までは、この清水宗治身命を賭して、殿にお仕え致します」
久智はこれを聞いて宗治を罰するような男ではなかった。主人に嘘を吐かない宗治の言葉に、彼はただ悲しそうに微笑んだ。自分や石川家の将来を悲観してのことか、それとも諂うことなく素直に答えた宗治に向けて笑んだのかはわからなかった。
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