第四話 のちに当主となる男

 政親は、次期当主となることが決まっている千竹丸と碁を打っていた。元来千竹丸は政親を師と仰いでいたため、三日に一度は彼の屋敷を訪れて碁や剣術、兵法を習いに来ていたのだが、千竹丸の父・家親の死からは毎日来るようになった。

「なあ千竹、お主はほんに碁が好きだなあ」

 思えば、兄の家親もよく五郎兵衛と碁を打っていた。いつも五郎兵衛が勝ち、兄は毎度「次は負けませぬぞ」と笑っていた。政親と親成はそれを横から覗き見ては「兄上、そこに置けば……」など口走り、五郎兵衛に叱られていたことを思い出す。

 さて、声をかけても十三になる当主は何も言わない。ただ盤面を見つめている。盤上では政親の白石と千竹丸の黒石とが乱れているが、やはり師たる政親の方に分があるらしい。

「父が亡くなってから、毎日ここへ来ておるではないか。どうだ、俺はそんなに家親兄者に似ているかな? むわっはっはっは」

「打ちました。御師匠の番です」

「げ、厳しいことしてくれるなあ……このような打ち方、誰に教わったのだ。って、俺か、わはは!」

 お道化てみても千竹丸が笑う様子はなかった。政親も弟子である前に甥っ子である千竹丸の孤独な境遇を思えば、それ以上なにか言える気にはなれなかった。母を亡くし、兄と別れ、そして父も殺された。あれよあれよと言う間に三村家当主となり、家臣たちの期待を一身に注がれている。いつしか千竹丸が笑う姿を見る者は、誰もいなくなった。

 最も親しい政親とであっても、会話は碁石を一つ置くごとに、雨垂れのような間を置きながら話す程度である。

「なあ、千竹。俺の養子にならんか」

「なりません。私は三村の家を継ぐ立場です」

「なに、家親兄者の御嫡男・蘭太郎様を呼び戻せば良い」

「無理ですよ」

「さて、それはどうかな」

「……叔父上ちかしげ殿が許さぬでしょう」

 千竹丸は親成を好いていない。というのは、この子の運命を全てあの男が握っているからに他ならない。家親に身分の高い武家の娘を娶るよう取り計らったのが親成、そして生まれたのが自分。兄の蘭太郎を他家の養子に出すよう仕向けたのも、父を戦に焚きつけたのも、自分を無理やり当主にしたのも、全てはあの男。……と、千竹丸は思っていた。

「むわっはっは、親成兄者がなんだ! この俺が説き伏せてやろう」

 碁石を置く政親の目は、あながち嘘や方便というわけでもなさそうだった。碁石を置いては、一言呟く。二人の対話は常日頃からこうであった。

「……お気持ちだけで十分です、お師様」「む、欲が無いなぁ、お前は」「然様なことはありません」「ほう」「この千竹にも欲はございます」「ほう! それは良いことを聞いた。聞かせてみろ」

 兄の親成と比べて人当たりも良く、口も達者な政親である。この頃はその能を買われて外交役として安芸国の毛利家を訪れることもままあった。大国なだけあってその街並みは活気に溢れ、港にも城下にも市場が溢れかえっている。千竹が望むものも、そこにあるやもしれぬ、と考えたのだ。子供のように返事を待つ政親に、千竹の言葉が響いた。

「宇喜多直家の頸」

 ピシ。千竹丸はそう言って碁石を置いた。怖いほど透き通った眼をしていた。思わず手で口元を隠した。決して、千竹丸に今の自分の表情を見せてはならない、と思った。

元服もまだだというのに、既にこの子は復讐に憑かれている。政親もこうした時代に産まれた男であるから、似たような人間は何人も目にしてきた。そしてそうした者たちの最期は大抵、惨めな物だった。果たせなかった者は悔やみながら床に伏し、その感情を後の者に託し、連鎖が続く。だが果たしたとて、導を失った人という者は往々にして花が二度と実らぬ植物のようになり、生涯を終える。千竹丸をそのようにはさせたくない、と考えていると女中の一人が襖を開き、来客の存在を伝えた。

 客とは兄の親成であった。彼がいつになく厳しい表情で、さらには鎧を着込んで来訪するなど初めての事である。政親もすぐに不穏な空気を察知し、人払いをしたうえで兄と対談した。

「爺様が今宵、決起なされる」

 甲冑の隙間から見える首は、掻き毟られて赤くなっている。昔から不安になると首を掻くのが、親成の癖だった。

「政親、何故爺様は死のうとする。何故皆、わかってくれぬ」

「落ち着かれよ。兄者までもが慌てておると、三村が滅びかねません」

「今まさに滅びようとしておるのだ!」

 声を張り上げてしばらく後、目を合わせるでもなく「すまぬ」と吐かれた声は、線香の煙のようにか細い。兄がここまで弱り果てた姿は初めて見る。家親が死んでから、親成にはその死を嘆き、不甲斐ない自分を恨む暇などなかったのだ。

「まあ兄上、酒でも飲んでくださいよ。兄上の事です、昼からずっと気を張っていらっしゃったのでしょう。後はこの私、政親にお任せあれ」

「……すまぬ」

「で、俺は何をすれば?」

「皆を説得するのだ。お前しかおらぬ」

「御意。しかし、何か餌がありませんと、魚は連れませぬ」

 親成はその言葉を待っていたと言わんばかりに、折りたたまれた一通の書状を政親に手渡した。それを広げた政親は「ほお」と笑う。

「多少は爺様たちを説得し易かろう。頼む、くれぐれも頼む」

「大事在りませぬ、政親にお任せくだされ。まあ、少々骨は折れますが」

「折れても良い、頼む」

「ぷ、わはは! 御意。粉骨砕身、行って参ります」

 親成は念を押すことも、細かい算段を伝えることもなく、ただ五郎兵衛たちが城下の禅寺にいることだけを伝えて去っていった。それがそのまま、政親への信頼の証であった。

 屋敷の門から馬で出立しようとした政親は、馬の足元に獣のような影が、土を蹴る音とともに駆けてきたのを見た。千竹丸だった。

「千竹、屋敷にいろ。さては親成兄者との話、聞いてたな?」

「五郎爺様の説得に参るのでしょう」

 よく見ると千竹丸は、兄・家親の遺品である短刀を握りしめている。闇の中、千竹丸の目が政親を捉えている。その姿は、亡き兄がかつて「備中の赤鬼」と恐れられていたことを思い出させた。下馬した政親は小さな鬼と向かい合った。

「だったらどうする」

 ぶ厚い雲がおぼろ月を覆い隠す。闇の中で政親は千竹丸に問いかけている。千竹丸はその場にひれ伏し、地べたに頭をつけた。

「私からもお願いします。爺様の決起を止めてください」

「なに」と思わず口をついて出た。てっきり「爺様と共に宇喜多めがけて玉砕する」とでも言うかと思っていたのである。

「ただ戦うだけでは、あの男を殺せませぬ。直家は、あの男は確実に殺さなくてはならぬのです。確実に、確実にこの手で殺し、その頸を見届けねばなりませぬ。このような時に事を急ぐべきではありません」

「ほお」と品定めするような目で、政親は千竹を見下ろしている。この夜叉は復讐を望みこそすれ、大局を見失うことはしていないらしい。そして知ってか知らずか、親成と同じことを申している。千竹丸には政親から学んだ知識、そして亡き父に磨き上げられた武芸の他に、政親はもう一つ、この少年が宿したものを目の当たりにした。戦国を生き抜くための「狂気」が、その瞳にはある。

「宇喜多を討つ、か」

「はい」

 雨のかおりが鼻を突き刺す。備中の山の向こうで稲妻が轟いた。

「お前がか、千竹丸」

「はい」

「……ぷ、わはは、むわっはっはっはっは! 良い良い、そのくらい言えねば、この穢れた世など生きていけまい! 俺に任せよ、必ず爺様を止めてくる」

 政親はもう一度千竹丸の目を見据えた。小さな夜叉は小さく頷く。その腕の中では、鞘に納められている刃が鈍い輝きを放っていた。

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