備中PERESTROIKA
備成幸
第一話 興善寺から西へ
時が経つと雪は雨を含みぼたぼたと地面を濡らし始めた。軍勢はひたすらに西へ進んでいる。先導する男は下唇を噛み締め、ただ雨が己の甲冑や烏帽子をしおしおと濡らしていくのにまかせていた。その背後では兵士八人が担ぐ御輿が揺れている。仕えて間もない近習たちは口々に、御輿の中でうずくまる主君を気に掛け、言葉を交わしていた。今まで一度も御輿を使うようなことが無かったお人であるから、さもあろう。御輿は寺の戸板で四方を囲まれ、その周囲を茣蓙でくるんである。急病とはいえ一国の主を運ぶにしては、随分と粗末なものであった。
先導する男の下に、老兵が一騎歩み寄り、目で合図する。彼は六十を過ぎているが、背筋は金物を仕込んだように伸びており、腰には鹿毛を誂えた太刀が堂々と差されている。三村一族の重鎮・
「輿を下ろせ」
稲穂のように雪を乗せた松の木陰に御輿を下ろさせると、五郎兵衛が兵たちの前へ進み出た。
「皆の衆、しばし休んでおれ。
「五郎様、殿の御容態は……」
「カッカッカ。あやつ、病で青白くなった顔を皆に見せたくないと言うておる。そのような口が利けるのならば、すぐにでも元気になろう」
やはり五郎兵衛は口が巧い。三村
「……家親め。親爺殿の遺言も果たさぬうちに死におって」
五郎兵衛にとって家親は、三村家の先代・宗親の代からの知己。野山での狩猟を教えたことや小川で魚を獲ったこと、碁を教えたこともあった。声が震えているように感じるのは、寒さのせいだけではないだろう。
「家臣らの様子は」
「
末端の兵にまでこのことが知れ渡れば、この軍は大混乱に陥ることは目に見えている。寄せ集めの軍の中には、つい先日まで敵だった輩もおり、何をするかわかったものではない。当主がいなくなった今、親成にできることはただ黙って故郷へ帰ることだけであった。
「これから如何にする」
「このまま城まで兄上を運びます。その後に皆にこのことを伝えまする」
「それは良いが、それ以上に今後の三村のことを考えねばなるまい。頭を失った我らを率いるのが誰か」
「兄上の子らがおります」
「この青柿め、何を申す。家親の子らはまだ幼い。嫡男の蘭太郎も他家の養子に出したばかりではないか。血筋でも力量でも、お主が率いるが良かろう」
「私はあくまで後見役。さもなくば三村が二つに割れることも考えられましょう」
「何、そのような動きがあるのか?」
「いえ、しかし分かるのです。……私は敵を作り易い」
「カカ。儂は老い耄れただけの爺、お主の判断に任せるぞ。だがとにもかくにも、先ずは家親の死を知られずに帰らねばなるまい」
「はい」
「それにしても宇喜多め、姑息な手を使いおって――――……許せん」
親成の視線は、兄に向けられたままだった。肩を五郎兵衛に叩かれた感触があり、その後彼は腰をかがめて戸板を覗きこむ。やはり兄は息もしていない。
「出立」
風に交じって親成の感情の無い声が響いた。
「なんじゃ家親。山道で御輿酔いしたのか? カッカッカ、館に帰ればまず酒を呑もう。気分も晴れるだろうからな。憎き宇喜多討伐はその後にお預けじゃのう」
五郎兵衛の芝居が山河に虚しく響いていてゆく。酷く切ない光景だった。一行は再び故郷めがけて歩を進め、その足跡にもまた降雪が覆いかぶさっていく。
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