白衣の君

藤田大腸

白衣の君

 立成10年。当時の星花女子学園は赤字続きで定員割れも当たり前という状況であり、身売り説まで飛び出る程に経営状態がよろしくなかった。その影響の一端が部活予算に現れており、実績の乏しい部はもちろんのこと、実績を残した部までもが例外なく予算削減の憂き目にあった。


 科学部の場合はより深刻であった。ただでさえ部員が少ないために割かれる予算が少ないのに、前年度から半分以上減らされてしまい、飼育しているカエルのエサ代も顧問が実費で賄わなければならない程であった。実験も試薬やガスバーナーの節約をうるさく言われ、試験管を一本でも割ってしまえば大目玉もの。これではまともな活動ができるはずがなく、半分休部状態に陥っていた。


 部長を務めていた永射ながいわかな、科学部のエース的存在である彼女の力をもってしてもどうにもなるものではなかった。県の科学コンクールで賞を取った実績をアピールしたにも関わらず予算をばっさりカットされ、これだから科学に無知な奴らはと心の中で罵ったものだが、それで事態が好転するはずもなかった。


 部長という立場なので部活には顔を出していたが、もはや国立大学受験に向けての勉強しかしていなかった。だが実験をせず勉強ばかりではフラストレーションが溜まる一方であり、その捌け口は部員へと向けられた。暴力や暴言ではなく、もっとタチの悪い形で。


「永射先輩はおられますか!」


 一人の生徒が理科準備室のドアを勢いよく開けて、そして金切り声を上げた。


「なっ、なっ、何やってるんですかあ先輩!!」


 わかなは切れ長の瞳でキッ、と睨みつけた。


「君こそ何だね、ノックもしないで失礼じゃないか」

「失礼とか言える状況ですか!!」


 生徒が怒るのは無理もない。なぜならばわかなは半裸になっていて、その両脇を固めるようにして着衣が乱れた女子たちが恍惚とした表情でわかなにしなだれかかっていたからだ。二人は科学部の後輩たちで、受験勉強で疲れたわかなを体で癒やそうとしていたのであった。


 わかなは後輩たちを退かせると、着衣を整えて椅子から立ち上がった。スラリとした長身に、薄い茶色のショートヘア。輪郭は綺麗な卵型で、肌は白磁のようであり、目鼻口すべてに欠点が見当たらない程整っている。


「何か用かね?」


 口から艶っぽい魔性を帯びた低い声が出た。この美少年然とした部長は乙女の心を容赦なく揺さぶる才能の塊のようなものであり、誰が呼んだか「白衣の君」という二つ名を持つ程に人気があった。


「私は高等部一年で風紀副委員長の刑部誠おさかべせいと申します」


 刑部誠の頬が赤いのは、わかなの魔性に当てられたからに他ならないが、風紀副委員長という厳格な肩書が理性を保たせていた。


「風紀? 私たちを取り締まりにでも来たのかね。言っておくが私たちはちょっとしたスキンシップをしていただけであってね、性行為を働いたわけではない。君も良ければ混ざるかい?」

「けっ、結構です!」


 刑部誠は激高したが、咳払いをして気を取り直した。


「永射先輩に調べて頂きたいものがあります」

「私に? 一体何を?」

「実物を見ていただいた方が早いです」

「わかった」


 わかなは後輩の一人に自分の白衣を持ってこさせた。それを大げさに翻して袖を通すと、たちまち「白衣の君」の姿となった。


「ああっ、なんと凛々しいお姿……!」


 後輩二人が感激のあまり涙を流す。


「帰ってきたら続きだ」


 わかなは二人の頬にキスを落とすと、彼女たちはへなへなとへたり込んだ。刑部誠は大きくため息をついて、


「永射先輩の名は我が風紀委員のブラックリスト上位に記載されています。そのことを心に留めて、節度ある学校生活を送ってください」

「フフン」


 わかなは鼻で笑うと、そいつは光栄だねぇ、と皮肉をたっぷりとこめた口ぶりで言い返した。


 *


 向かった先はフライングディスク部の部室であった。「KEEP OUT」と書かれたバリケードテープが張り巡らされており、さながら事件現場の様相を呈していた。何と大げさな、とわかなは呆れたものだが、中に入ると綺麗な弧を描く眉を歪めた。


「こいつは派手にヤったな」


 床にできた謎の染みを指でつつく。液体が垂れたというよりは勢いよく飛び散ったようであり、色事に長けた白衣の君は一瞬で何が起きたのか看破した。


「汚さないようにビニールとか使い捨てシートとか敷いてヤるもんだが、そんな手間暇すら惜しんでひたすらノリでヤッてしまったという感じかな」

「さすがにその道にお詳しい方ですね。ご明察です」


 刑部誠は皮肉をやり返した。


「フライングディスク部員八名が乱交騒動を起こしました。現在保健室で取調べ中ですが、しゃべってることが要領を得なくてまともな会話ができません」

「ふむ、どうしてかね」

「恐らくそれが原因だと思うのです。その正体を先輩ならご存知かと思いまして」


 部屋の片隅に、ポリ袋をかぶされているアロマポットが置いてあった。わかなは白衣のポケットからゴム手袋を取り出して装着すると、ポリ袋を除いて皿にわずかに残っている液体に指をつけ、少し嗅いでみた。


「ふむ。この甘い香りの中に脳にビリッとくるような刺激、間違いない。アスモデウスだな」

「あ、アスモデウス? 七つの大罪のうち色欲を司る悪魔というあの……」

「そうだ。よく知っているね」


 わかなはおもむろに黒板に向かい、チョークで何やら図形を書きなぐった。六角形に五角形、ジグザグの線に二重線にO、Nといった記号。それらの組み合わせは、まだ高校一年生で化学の知識が万全でない刑部誠にもおぼろげにわかったらしい。


「それがアスモデウスですか?」

「そうだ。正式名は2-エトキシ……いや長ったらしいから省略しよう。簡単に言ってしまえば、催淫作用をもたらす成分だ。香りが刺激的で独特だから、香りのいいアロマに混ぜて炊いて吸引するのが普通だ」

「具体的に流暢に説明されてますけど、まさか使ったことが……」

「興味本位で嗅いだことはあるが、他人に使ったことはない。私は雰囲気作りをするのに道具の力は借りんのだよ」


 科学部員のほぼ全員と関係を持ち、科学部以外でも関係した人間は両手両足の指を使っても足りず、教職員とも関係していると噂されている白衣の君だからこそ、説得力があった。


「アスモデウスには大脳新皮質を麻痺させる副作用があってね。要するに

酔っぱらいのようになってしまう。一説では某国のスパイがハニートラップを仕掛ける折にアスモデウスを使って、酩酊状態になった要人から情報を聞き出したそうだ。媚薬入り自白剤と言ったところかな」

「そうか。道理で部員たちとろくに会話できないはずだ」

「うむ。だが使いすぎると脳に悪影響が出て最悪の場合廃人になってしまうのでね、現在はどの国も法律で取り締まりの対象になっている」

「ちょっと待って下さい。さっき興味本位で嗅いだことがある、って言いましたよね。どうやって手に入れたんですか?」

「作ったんだよ、自分で」

「作った!?」


 刑部誠は素っ頓狂な声を上げた。わかなは黒板に描かれたアスモデウスの構造式を指差して、話を続ける。


「アスモデウスは一見複雑なように見えるが、材料と高校の実験室レベルの器具を揃えれば誰だって簡単に作れてしまうんだ。だから密造が横行して完全に取り締まりができていない」

「よくわかりました。どうやらこの事件、あなたも一枚噛んでいるようですね」


 わかながアスモデウスを密造してフライングディスク部に渡した。誰でもそう思うに違いない。


 白衣の君は静かに笑みを湛えた。


「一つ言っておこう」

「何でしょう」

「永射わかなは人の道を踏み外してはいるが、科学者としての道を踏み外すことはない」


 わかなは白衣を翻して、部室から出ていった。


「永射先輩!」


 後を追ってきた刑部誠に、振り向きざまに言った。


「フライングディスク部員たちにはイエスかノーかで答えられる簡単な質問をしてみたまえ。自白剤を使った折の尋問ではそうするんだ、頭がまともに働いてないからな。それで全てがわかるはずだ。あと、生徒会にもちゃんと報告することだな」


 わかなはウインクをすると、刑部誠は頬を赤らめて足を止めてしまった。その隙に足早に立ち去っていった。好色な彼女の頭の中はすでに、自分の後輩たちとの情事の続きのことで一杯になっていた。


 *


 結局、部員の一人がモモアワセとかいう女性専用のアングラ掲示板でアスモデウス入りのアロマを入手したと自白し、わかなの容疑はいとも簡単に晴れた。心酔していた部長と部室で二人きりにして事に及ぶために使用したが、他の部員が乱入してきたためにたちまち乱交状態になってしまったという。八人全員が処分を受けて、特にアロマを入手した部員は提携校への転校という、実質的な退学処分を受けた。フライングディスク部は当然、廃部となった。


 事件の翌年には学校法人星花女子学園の理事長が変わったが、今までの同族経営とは違って新たに星花OGの伊ヶ崎波奈が新理事長に迎えられた。新興企業、天寿の若き社長である彼女は赤字続きの母校の行く末を憂いて経営に参入したと言われているが、一説ではフライングディスク部事件のことを知っており、天寿の力で公になるのを防いでやる見返りとして理事長の椅子を要求したという。


 政治劇の真相は、永射わかなにとってどうでも良いことであった。新体制になった立成11年には学び舎を卒業し、第一志望の国立大学、それも旧帝国大学の理学部に合格して進学した。大学生になった後も後輩の様子を見に行っていたが、試薬や器具が整えられ、外部顧問に学者を迎え入れて部員に指導を行うなどしており、自分が在籍していた頃と待遇がガラッと一変していた。天寿マネー恐るべし、と畏怖したものである。


 そして時は流れて立成18年。わかなは天寿で研究職に携わっており、昨年から科学部外部顧問となって月に一度か二度指導のために学園に訪れている。部員数は自分の現役時代は常に一桁だったのが、今では二桁になり、潤沢な予算のおかげでさまざまな実験観察ができるようになった。


 わかな自身はというと美貌に磨きがかかって、学校を訪れた際は名前を知らぬ生徒たちに騒がれて時にはお土産を貰ったりもする。そのたびにお礼として自宅の寝所にご招待したい気分に駆られるが、県の青少年健全育成条例の文言が歯止めをかけてきた。法を犯して失職するのはまっぴらごめんであった。


 いち学者にして教育者である永射わかな。この地位にたどり着くまでにいろいろあったが、もう一度、人生の大きな転機が訪れることになろうとはまだ知らなかった。(終)



この物語はこちらのエピソードを基にして書きました。

 https://www.alphapolis.co.jp/novel/161310123/494155532/episode/1065003

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白衣の君 藤田大腸 @fdaicyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ