最終話 ゴム、シーソー、重大発表

 心配だった。初日はたまたまかと思った。二日目は胸が騒いだ。三日目は頭を掻きむしった。四日目は公園の入り口でうろうろした。五日目は滑り台で短編小説に乗った。六日目は公園から川の方に降りて行って、川のせせらぎを環境BGMにしてエナが置いて行った本を読んだ。七日目は彼女の本の感想をネタバレしないように言うためのノートを書いた。

 

 そして八日目、ようやくエナが現れた。

 

 俺は多分笑っていたのだと思う。エナが返すように笑ったから。悔しくて怒ろうと形相を変えると、エナは俺の眼前に本を出した。目隠しのようになったそれをどける。

 エナは自身の顔の横に、包装されたコンドームを人差し指と中指で挟んで、片目をつむっていた。ウィンクと言うにはぎこちないそれは、無理をしている感が強く在り、それが逆にそそったりもした。というかコンドームどこから持ってきたんだ。親の寝室から拝借したんだとしたら数が足りないってバレたりしないだろうか。そしてうっかり俺をセフレとして紹介したりしないだろうか。そうなったら終わりだ。だいたいそんなものお前が持ってこなくても俺が買えばいいだけの話なのに。引くくらい買ってきて、ウェストポーチからドゥララララ! って機関銃のアモベルトみたいに引き抜くさまを見せつけてやりたい。


 エナが持ってきた本のタイトルは『幸せになる』だった。

 良いじゃないか。作者も古奈家こなけ由音ゆいんという聞いたことのない名前だった。


 さっそくシーソーにセットして、エナをうしろに乗せた。


「ブックライド!」


 開幕はオフィスだった。窓の外に目をやると、飛び降り自殺をする少女。あれがヒロインのわけがない。ならば、少女の死の謎を解くミステリーだろうか。とそこで突然脳裏に主人公の独白が響く。

 ——最愛の人が死んでしまった。


『リジェクト!』




 公園に戻ってきてうしろを振り向いたが、エナが居ない。そのままするっと視線を落とすと、彼女は横向きに倒れていた。


「エナ!」


 呼びかけに反応しない。ハンマーで殴られたような感覚によろめき、尻餅をく。


「ああああああああああああ!!」


 地面を両手で何度も叩いて、額を擦り付けた。


 なんで? なんでなんで!? どうすれば回避できた? タイトルで判断できたか? あの刹那にヒロインと思えたか? この前のミステリーの失敗を引きずった? 事故? 自殺? 違う。俺が、俺が俺が俺が俺が俺が!


 エナを殺した。


 好きな人に怖い思いさせて、もう二度とこんな思いさせない、ちゃんと安全にライドするって誓って、でも商業ライダーでは無能呼ばわりされて、それでも辞めたあとずっとエロ本に乗り続けたのは、あやまちを忘れないためだったんじゃねえのかよ!


 そっと頭になにか触れた。顔を上げると同時にサラサラの鈍色に包まれた。

 髪の毛だった。

 エナ。

 ここに居る。

 エナがここに居る。

 それだけで涙が溢れて来た。


 エナは少し申し訳なさそうに笑った。


「あれ、私が書いたの」


 言っている意味が分からなかった。


「ほら、古奈家由音KONAKEYUINをアルファベットに変えて並び替えると狭邦恵那KYOKUNIENAになるでしょう?」


 そんなアナグラム今説明されても、頭回ってないから無理だ。


「賭けたの。読んだことのない物語でないとダメってことは、自分で書いたものならどうだろうって。でも乗れなかった」

「じゃあ、なんで地面に?」

「どうせだったら、その、驚かそうと思って息をとめてたの」


 俺は、本当は怒ったはずだった。でも怒りが内側から膨れ上がると、押されて涙が溢れてしまって、全然怒れなかった。


「ご、ごめんごめん。泣くほど驚くとは思わなかった」

「試したのか」

「うん。この間私のことを思って泣いてくれたのは、本当は嘘泣きなのかもって心配だったから」

「他に心配事はないのか?」

「うん」


 俺は涙を拭いて、ふっと息を吐いた。それからシーソーに置き去りにされた小説を拾い、腰掛けた。エナもシーソーに腰掛ける。


「本当はあるだろ?」

「無いよ」

「今からセックスするんだぞ。痛いぞ~。見られるぞ~」

「無いよ」


 見られるってのは冗談だったんだが、彼女のまなざしにはなんの懸念けねんも含まれていない。


 エナを抱き寄せた。彼女の肩が強張るのを感じる。


「エナ。重大な発表があるんだ」

「なに?」

「俺、お前のことを好きになっちまった。だから性欲処理としてお前のこと扱いたくない。ちゃんと好きになってもらえるように、一から頑張りますんで、どうかこれからもよろしくお願いします」


 静寂に包まれたのち、抱いていた彼女の肩が揺れた。次第にそれが大きくなり、笑い声になった。散々笑いまくって、俺がドン引きしているのを見て、さらにまた笑った。目に涙を浮かべて、やがて泣き始めた。

 背中をさすってやると、鼻水とかぐちゅぐちゅに付いた状態で、俺の胸に顔を預けて来た。

 しばらくしてから彼女は顔を離した。俺の服から透明な糸が自分に向かって伸びているのを見て、慌ててそれを拭こうとする。俺は彼女の白くて柔らかい手を取り、代わりに顔に付いた鼻水を借りていたハンカチで拭いてやった。


 彼女は俺を見上げる。


「ねえノミス」

「なんだ」


 エナは瞳の中で黄昏をひるがえらせて、にび色を一瞬だけバラバラに分解した。虹色になったそれらは乾いた風に閉じられ、開けられたときには混ぜられた色に戻っていた。


「今、ちょっとだけ生きたい」


 片方だけが上がりっぱなしのシーソーの、沈み切ったこちら側のその先で、少女は絶望を分解してできたわずかばかりの希望を、握り締めて笑った。

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エロ本ライダーと自殺系女子のメランコリア 詩一 @serch

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