第4話 臆病、臆病者、逃げないで

 そこはどこかのやかたらしかった。

 主人公はどうやら探偵らしい。周りのモブキャラが殺人事件を示唆するような言葉が並べていく。

 女性が、刃物を持った男に襲われそうになっているところを発見した主人公は、走り出したが——


『リジェクト!』




 元の公園に戻ってきていた。

 後ろを見るとエナが不思議そうな顔をしていた。

 やらかした。探偵ものなんだから、ヒロインが死ぬわけがないのに。


「冷静に考えればヒロインなわけないっていうモブキャラが死にそうになって、慌ててリジェクトしちまった。すまん。この本ももう使えねえ」

「ノミスって、案外臆病なのね。中学生とセックスしたがる割に」


 臆病。


「どうしたの? 顔青いわよ」


 臆病者。


「ねえ、聞いてる?」


 俺は頷きを返すのがやっとだった。


「そんなに思いつめることないじゃない」


 あまりに心配されるので、そこでやっと俺の表情が死んでいることに気付いた。


「すまん。気にしないでくれ」

「気にするわよ。私なにか悪いこと言った?」

「お前は悪くない」

「じゃあなんでそんなに具合悪そうなのよ。ちゃんと言ってくれなきゃ」

「ほじくるなよ! お前には関係ないだろ!」


 ガンッとシーソーを叩きつけると、台ごと揺れる。

 呼吸が乱れていることを遅まきに知る。肩が上下に動いていた。ああ、やっちまった。中学生相手に泣いたり怒ったり、情けねえ。


「忘れたって言っていたけど、あれ、嘘でしょう?」


 5年前にぽっかり空いた心の中に、腕を突っ込まれた気分だった。


「だとしたらなんだ」

「話して」

「嫌だね」

「そう。じゃあ」


 エナはスマフォを取り出した。背中越しにもそれは解った。


「通報しろよ。ついでに誓約書無しでお前を乗せたブックライダーが居ると言ってもいいぜ」

「そうするわ。そのうえであたしも死ぬ」


 耳慣れた、けれども非日常的な言葉に、死んでいた心臓が動き出す。死って言葉は、こんなにも人の心に生命をみなぎらせるものなんだな。

 振り返ってエナを見る。鈍色の瞳には真実の光が灯っている。体ごと彼女に向けて座り直す。


「なんで」

「本当はライドで死にたかったけど、今すぐ死ぬ理由ができた。私の気持ちを知って泣いてくれた人が、自分の心に刺さった棘は見せてくれないという。大変絶望的だわ」


 彼女の死と無縁の瞳が、俺をその場に縛り付けにする。こいつは、死にたいほど悲しいくせに、誰かがちょっとでも悲しい思いをするのが嫌なんだろうな。


「臆病者だったからだ」


 彼女は一度眉間にしわを寄せたあと、「あっ」と声を漏らした。


「ライドに目覚めたのは中学の頃。当時好きだった幼馴染にその力を明かした。彼女はライドに興味を持ってくれて、いろんな本を持ってきた。楽しかったよ。好きな子とニケツすんのは。でもある日、そうとは知らずに乗った本が官能小説だった。俺はそのときまだリジェクトの存在を知らなかった。それまでに一度も誰かが死ぬタイプの本に乗らなかったのは奇跡としか言いようがない。で、俺たちは本の中で最後までした。現実の世界ではセックスどころか、キスも、告白もしてなかったのに」


 エナが飲み込んだつばの音がここまで聞こえて来た。


「それでその人とは……?」

「気まずくなって、会わなくなった。けど、一回だけメールが来たことがある。彼氏ができたっていう報告だった。その文末に、好きでもない人の告白を承諾しました。あなたが臆病なばかりに。と書いてあった」


 手が痛くなるほど持ち手を握り締める。


「わけ分かんなかったよ。じゃああのときにコクッてれば良かったのか? 違うよな。だってあのときあいつは傷付いていたはずだ。いきなりのことで動揺もしていただろうし。彼氏のいなかったあいつは多分処女だったし、俺だって童貞だ。処女と童貞がお互いの体を貪り合うなんて、異様過ぎて状況飲み込めねえし、飲み込めるやつの方が異常なんじゃねえの。そういうぐちゃぐちゃした思考に苛まれながら、でもやっぱり俺は、ブックライダーとしても男としても間違いを犯していたってことは、疑いようの無い事実だった」


 重くため息を吐く。


「それからもともとなるつもりだった商業ライダーになったが、すぐにリジェクトしちまうダメダメライダーになっちまっていた」

「安全運転じゃない」

「タクシーならそれでいいさ。だがみんなが求めているのはジェットコースターなんだ。低所を時速20キロで走るジェットコースターなんて乗りたがるやついないだろ。俺はみんなのニーズに答えられなかった。どうしてもリジェクトできなかったときのことを思い出しちまうんだ」


 俯いていた顔をエナに向ける。


「そしてみんなにも、契約を打ち切られるときに所長にも同じことを言われた。臆病者って」


 エナの両手が俺の手の上に重なる。

 そうしてしばらくなにも言わないで、時間だけが流れた。


「できればお前を助けてやりたかった。本当はさ、ライドのすばらしさを知ったら、また乗りたいと思って死ぬのやめんじゃねえかなって考えてた。罪滅ぼしできるんじゃねえかって。でもダメみたいだな」

「逃げないで」


 ぎゅっと手の甲を握られる。


「私から逃げないで。あなたまで無視しないで」


 その言葉は、エナのうしろにある闇の本質を垣間見せた。


「また本を持ってくる。次、もし途中でリジェクトされても、契約成立ってことにするわ。セックスさせてあげる」

「開幕いきなりリジェクトしよ」

「さっきライドの素晴らしさを、とか言っていたのにそんなこと言う?」


 すれっからしの老婆と純真無垢な少女を同時に備えたにび色の瞳が心の奥を覗き見るように、じっと俺の目を見る。


「冗談だぜ……」

「ま、あなたの良心に任せるわ」


 彼女はそう言って、俺を置いて行ってしまった。



 それから一週間、彼女は現れなかった。

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