第3話 コスパ、涙、シコって返す

 次の日、俺はいつも通り公園にやってきたが、エロ本にライドする気にはなれなかった。エナの言葉が、瞳が、髪が、肌が、脳みそにまとわりついて離れてくれない。商業ライダーをやっていたときも、来る客の中に死ぬ目的で乗ったやつは居なかった。

 無理だ。親の葬式のあとにオナニーするのと同じくらい無理だ。


 しばらくブランコにぶらぶらと揺られていると、目の前に影が落ちた。エナだった。


 彼女が持ってきた本は、どれもこれもやばそうなものばかりだった。


「タイトルに死や殺という文字が入るもんは絶対ダメだ。特にこの“死善しぜんもり”なんて、死が善だぞ。絶対人死ぬじゃねえかよ。あと昨日の作品の作者な。あれは絶対ダメだぞ」


 一冊一冊確認していくが、どれもダメそうだ。


「なんでお前はそんなに死にたがるんだよ」

「ノミスは死にたいって思ったこと無い?」

「さあな。あるかも知れんが、忘れた」

「その程度なのね」

「人生その程度が良いんだよ。お前に立ちはだかっている問題ってのは、そんなにでけーもんなのか?」

「でかいわ。どうしようもないことだから」


 髪と同じ、にび色の瞳に光は無い。


「そうか。しかしなんでライドにこだわるんだ?」


 エナはため息を吐いて、空を見上げ、それから紡ぎだす。



「なにかのせいで死にたいの」



 俺は飲み込んだ息を吐き出せず、代わりに涙がにじんだ。


 自殺にも色々種類がある。練炭や飛び降り、電車への飛び込み。その中でも、なんで電車へ飛び込む人がこんなにも世の中に居るのか、俺は不思議でならなかった。この方法は、当人のみで完結しない。鉄道会社にも、それを利用する客にも、残された家族にも迷惑が掛かる。言ってしまえば一番コスパの悪い死に方だ。そんな方法をわざわざ選ぶ理由は、実際飛び込んだ本人に聞いてみなければ分からないだろう。だが、今のエナの言葉を聞いて、そのうちの一つの答えが解ったように感じた。

 誰しも、死にたくはないはずだ。本能が働く以上、それは絶対に決まっている。だから、死にたいと思うのは、能動的な働きかけではない。外部的で受動的ななにかが働いているはずなんだ。つまり正しくはこう言いたい。「本当は幸せに生きていたいのに、死にたいと誰かから思わされている」と。


 エナはその主張を通したいのだ。


 彼女はおもむろにポケットからハンカチを取り出した。


「なんであなたが泣くのよ」


 ちょっと滲んだだけだろ、大袈裟な。と思ったが、いつの間にかとめどなく涙が溢れていた。

 受け取ったハンカチで涙を拭った。


「本当はお前が泣きてえのにな。ごめんな」


 俯いて言ったので、そのときに彼女がどういう表情をしていたかは分からない。


「ううん、ありがと」


 だが、少しだけ穏やかな音色が響いたので、多分笑顔だったのだと思った。


「いい匂いだな、このハンカチ。洗って……いや、これでシコって返すわ」


 カバンの角がこめかみにクリーンヒットして、俺はブランコからどさりと落ちた。


「さいってい!」


 つい我慢できなかった。しんみりした反動なので許して欲しい。


 たんこぶを擦っていると、本が差し出された。


「これならどう?」


 タイトルから死の匂いはしない。作者も前回ライドしたときのじゃあない。いけるかも知れない。


 シーソーの前後を隔てる持ち手の下に本を入れ、開いたページを下にして跨る。倣ってエナも乗る。


「いくぜ、ブックライド!」


 暗闇から光、無重力と灰色の膜に包まれ、無音と無明に満たされる。

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