第2話 ベッド、死体、うすら笑い

 開幕はベッドの上から起き上がるシーン。日常、ほのぼの系か。

 主人公はサラリーマン。証券会社ってなんかちょっと設定古いな。


 俺の体は自動的に主人公がとる行動通りに動く。


 初めはなにごともなく過ぎ去っていくが、おそらくヒロインに扮したエナと思われる女性が出てきてから、雰囲気が一気に暗くなった。デート中も彼女からの鬱トークを散々聞かせられ、主人公ともども精神的に病んでくる。きわめつけは心中をほのめかす発言。夜のカフェでのことだった。それを主人公が断ると、ヒロインはおもむろに立ち上がり、


「なら私一人で死ぬわ」


 と言い、走り出した。


 このままではまずい。このカフェはビルの7階。

 主人公は駆け出すが、間に合わない。ヒロインは扉の向こうへ——


『リジェクト!』




 瞼を開けると、そこは夜のカフェではなく、元通りの黄昏が広がった公園だった。先と変わらずシーソーに乗っている。


 後ろを振り向くと、エナが居た。彼女は放心していたものの、死んではいないようだった。汗がどっと噴き出る。


「危なかった」


 胸の中にたまった空気が、口から溢れ出た。


「あともう少しだったのに」


 耳を疑った。その言葉を理解したとき、背中がにわかに粟立あわだった。

 そして自分でも気付かないうちに、彼女の襟元を掴んでいた。


「解ってんのか? あともう少しで現実でも死ぬところだったんだぞ!」

「解っているわよ」


 放たれたその言葉には、温度が無かった。

 握力が抜け、浮いていた彼女の腰が再びシーソーに降ろされた。

 エナは同作者の本を何度も読んでいた。作風も知っている。作品そのものは読んでいなくても、本の内容を想像することはできたのだろう。


「初めから死ぬつもりだったんだな。なにがあったか知らんが、自殺に貸せるような手は持ってねえよ」

「童貞卒業したいんじゃあないの?」


 エナはゆっくりと首を傾ける。さらけ出された白い首に浮き上がった静脈が黄昏に溶けて、恐ろしいほどに妖艶ようえんだ。無気力に垂れたにび色の長い髪が、触手のようにうごめいている。


「そういう問題じゃあねえよ! それに、死んじまったら——」

「死体に入れればいいじゃない」


 さも当然と言うように放たれた言葉に、俺の怒りはさらわれた。突風に帽子が飛ばされるように、あっけなく。

 エナの感情を読み解くことはできない。


「明日また来るわ。よろしくね、ノミス」


 シーソーから立ち上がり去る彼女を、なにも言えないで見送った。空を見上げると、エナの肢体のように白い月が、うすら笑いを浮かべていた。

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