エロ本ライダーと自殺系女子のメランコリア
詩一
第1話 童貞、少女、公然わいせつ
「あっ……イクっ!!」
俺はその日もエロ本を尻に敷いてブランコを漕ぎながら指一本触れることなく絶頂を迎えていた。
ボヤァっと霞んだ景色が少しずつ色と明るさを取り戻していく。
果てたあと必ず訪れる、虚無。なぜこんなことをしているのだろうという、後悔。周りは虚無をより色濃くする黄昏に包まれ、パンツは後悔の質量に応じたようにガビガビしている。
しばらく余韻に浸り、遠くの地で落ちる涙の音に思いを巡らせていると、視界のはずれから影が伸びてきた。
「あなた、ブックライダーよね」
「……なにこの匂い!?」
彼女は幅の狭く高い鼻を摘まみ、顔をしかめる。
俺はテントを張った状態をものともしないで立ち上がる。
「失礼なやつだ。オナニーも知らないのか」
「お、おな、はあ!?」
少女は瞬間驚き先ほどまで白かった顔を赤らめたが、すぐさま冷静な表情に戻る。
俺は公然わいせつ罪で通報される可能性を考えながらもそうはさせないために、正当性をアピールする。
「俺はエロ本ばかりにライドする、エロ本ライダーだ。だからライド中の射精は致し方なく、誰からも文句を言われる筋合いはない」
こういうことは、
少女は眉間にしわを寄せながら、小さくため息を漏らした。
「言ってることは最低だけど、あなたがブックライダーで間違いないのね」
彼女はカバンからスッと一つの本を取り出した。
「私も乗せて」
「ニケツか」
本を受け取りながら、表紙や背表紙に汚れやくたびれを認める。
「中古本か?」
「ううん。何度も読み返したから」
「なら無理だ。ライドは未読限定。仮にニケツしても俺だけが本の世界に入り込んで、お前はすぐにリジェクトされる。……ああ、リジェクトってのは、現実世界に戻ってきちまうってことだ」
「そうなの。じゃあまだ読んでない本があるから——」
「待て待て待て!」
本を返しながら掌を向ける。
彼女は疑問符を頭に浮かべながら、俺の目をまっすぐ見つめた。
「そもそも、なんでお前は普通にニケツできると思ってるんだ? ブックライダーもれっきとした職業だぞ? それを公園の遊具に乗るみたいに当たり前に頼むんじゃねえよ」
「そうなの?」
「そうなの。それに、誓約書も書いてもらわないとな。ライドは良いことばかりじゃあない。本の中の主人公に成りきってヒャッハーできる代わりに、傷を負ったら現実世界でも負傷するんだからな。だから20歳未満は親に同伴してもらって、その親に誓約書を書いてもらうのが一般的だ」
当然だが少女の近くには親は居ない。居たら通報されるから、居なくて良かったんだけど。
少女は指を顎に引っ掛けて俯いた。
「一般的ではない方法もあるの?」
むむっ。鋭いな。
「誓約書も、正直形式的な部分がある。役所に届け出て仕事をしている商業ライダーなら確実に誓約書が必要だがな。でも俺は、見ての通り趣味でやっている身だからな。金さえ積んでくれれば誓約書無しで乗せてやれないことも無い」
少女はうーんと唸って財布を開く。
「いくらなの?」
「20万」
少女はくりくりの瞳をガッと開く。
「に、じゅう……嘘でしょ!?」
「嘘じゃない。商業ライダーだって一般人を乗せるときに5万は取るんだぞ。誓約書無しでのライドなら妥当な金額だ。払えねえなら帰れ」
少女はおもむろにスマフォを取り出した。
「乗せないというなら、さっきのことを警察に言いつけてやるわ」
公然わいせつ罪だって気付いてやがったのか。くそ。だが本気ではあるまい。
「脅す気か? やれるもんならやっ——」
「あ、もしもし警察ですか——」
「のおおおおお!」
少女が持っていたスマフォを両の手で挟み込み、そのまま膝をつく。まるで拝んでいるような体勢だ。彼女は侮蔑のまなざしを俺に向ける。
「返してくれる?」
俺は小声で「通報だけは勘弁してください」とお願いしながら
「通報しないでくれるってなら誓約書無しで乗せてやるけど、通常料金は貰うぞ。さすがにここだけはまけられない。タダ乗りできるって噂が立ったら大変だからな」
「代わりにエッチさせてあげるというのは、ダメ?」
「あのなあ、お前ダメに決まって……ああ!? なに!? エッチってあのエッチか! その、セックスってやつか!? マジか!? セックスセックス!」
「マジよ。と言うかその喜び方はなに? 気持ち悪い。あなた童貞ね」
「うるせえ! 童貞じゃねえわ! いや、童貞でなにが悪い!」
「開き直るのが早いのよ! この童貞」
「童貞童貞ってあんまり言うと癖になるからやめろ! いやもっと言え! いややめろ!」
「どっちよ! と言うか癖ってなによ!」
不毛な言い合いの末、ともあれ彼女を乗せることになった。
彼女はカバンから封すらも切っていない本を出した。
「そう言えばお前の名前は? あ、俺はノミス。
「私はエナ。
「エナ。よろしくな。俺のことはノミスでいいぞ。今日からセフレだからな」
握手をしようと手を出すと、白く細い手でバシッと弾かれる。
「殺すわよ童貞野郎」
熱の無い音量に、これはマジだと思わせる凄味が介在している。悪乗りしすぎたな。童貞卒業に気持ちが昂りすぎてしまった。考えてみたら相手は女子中学生で、俺は成人男性だ。事案だ。これは事案だ。児童ポルノ禁止法が制定されてこの方、ライドしたエロ本の中ですら中学生を抱いたことは無い。慎重にことを運ばなければいけない案件である。そしてなんとしても、童貞は死ななければいけないという社会的なプレッシャーとこの支配からの卒業をしなくてはならない。
俺は小さく咳払いをして姿勢を正す。
「せっかくの新品だが、開封して、ページを見ないように開いて、その上に座らなきゃならんのだが、良いか?」
「問題ないわ」
「でも好きな作家なんだろ?」
「どうしてそれを!?」
エナが慌てたように声を張った。
「いや、お前がさっき俺に渡した本と同じ名前が書いてあったから。何度も読み返したって言ってよな?」
「そ、そうね」
「まっ、好きな作家の世界に入れるって最高だと思うからさ、新品をケツに敷いても損はねえと思う」
俺はにっこり笑ったが、エナは曖昧な笑みを浮かべ、視線を逸らした。
「ニケツのときに確実に決まっていることがある。それはライダーが主人公でパッセンジャーがメインヒロイン或いはメインメンバーになるってこと。お前は主人公にはなれないが、そこは理解してくれ」
ブランコから離れ、エナを後ろに引き連れてシーソーの前に立った。
シーソーの前とうしろを隔てる鉄の持ち手の下に、開いた本を潜らせて置いた。前に座って本を尻に敷く。エナを後ろに座らせた。
「しっかり掴まってろよ」
エナの細くしなやかな腕が、俺の肋骨を締め上げるように回される。久方ぶりの異性からの抱擁に心臓がバクンと一回転。
「行くぜ、ブックライド!」
視界が暗転する。体が前に傾いた。耳に掛かっていた髪がたらりと前に行く。眼前をひゅっと光がすぎてうしろに流れて行く。暗闇の底に星のようなきらめきが瞬いて、それがどんどん大きくなっていく。自分が落ちて行っているのか、光が近づいてきているのか分からない。光に包まれ、体がふわっと浮く。無重力を感じたとき、灰色の膜が全身を覆って、無音と無明がすべてを満たした。
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