第19話 エピローグ 7月6日【影山秋】
【影山秋】
「また僕の勝ちだ」
僕は隣の菊地原にニヤリと笑う。
「相変わらずだなあ、影山は」
菊地原はコントローラーを置き、Tシャツで自分の額の汗を拭いながら話す。裾をめくっているので、彼の月のように真ん丸な腹が露出する。へそに水溜まりを見つけた僕は、少し吐き気を催す。夏が本気を出している。クーラーをつけても敵わないくらいの夏が僕達を襲う。
菊地原の隣では、飯田がコンビニで買ってきた湖池屋のポテトチップスをバリバリ食べている。
「しかしなあ、影山くんよ」
飯田が、指についた塩を舐めながら、しみじみと問いかける。
「俺達、何で修学旅行、行かないことになってんのかなあ?」
「僕は、別にそんなつもりじゃ」
「いやいやいやいや、あの時は、ああ言うほか、なかったわ」
逃した魚は大きい、隣の芝生は青い、と、今になって飯田は思ってきのか。いや、どうもそんなトーンではない。
「俺だって、おいしいラフテーをおなか一杯、食べたかったんだぷぅ」
菊地原は語尾につける言葉に「ぷひー」をやめて「ぷぅ」に乗り換えた。人間からモンスターに乗り換える日も、そう遠い未来ではないような気がする。
「あのときの影山、めっちゃかっこ良かったからなあ」
「スマブラよりも大乱闘だったよなあ」
こいつら、未だにあの日のことをからかってるんだ。あの日から、もうだいぶ経つというのに。僕は、いま思い出してみても恥ずかしい。でも、その恥ずかしさの中には、確かな達成感が存在している。飯田も菊地原も、それが分かってる。
「ごめん、ごめんって」
僕はしきりに謝り倒す。あの時は勢いに任せて許された部分があるけど、こう冷静に状況を思い出させられると、布団の中に潜り込みたくなる衝動に駆られる。これが黒歴史ってやつか。誰か助けてほしい。
すると、ミザルーが大あくびをする。もう付き合ってらんない、とでも言うように。
「わたしもなんですけどー」
飯田の隣で、月島がミザルーに訴えかける。月島は僕に眼鏡を踏みつぶされて以来、コンタクトにしたようだ。僕が何度も弁償するって言ってるのに、それを頑として受け入れてくれない。
「あれは今までの私だから。だけど大事にしまってあるんだ」
と言って笑うだけだ。
あぐらをかいた月島の足をベッドにしたミザルーは、心地よく喉を鳴らす。白いワンピースには、茶色と黒の毛が多数付着している。
そんなことはお構いなしに、月島はミザルーの頬を撫でつける。ミザルーが撫でられると大好きなところを月島は分かっている。
「え、月島も休むの?どうして?」
僕は意外な出来事に驚く。月島は、はあ、とため息をつく。
「うそでしょ? 」
信じられない、って顔だ。信じられないのは僕の方だ。
「私もあの時、行かないって言っちゃったの」
「ごめん、夢中になってて聞き逃してた」
そう僕が弁解すると、月島は口を尖らせながら、ふふん、と誇らしげに笑い「まあいいんだけどね」と言う。
「でも、なんで? 」
僕の声の音量が上がると、ミザルーが少しだけ目を開いて睨んでくる。
「わっかんないよお」
月島が含みのある笑い顔を見せる。
「ほんとは分かってるくせに」
菊地原が的確に核心を突いたような言い方をする。月島は観念したかのように話し出す。
「そうだよ、私も影山君の風にあてられたの」
そういうと月島は、床に置いておるペットボトルのコーラを飲み干す。菊地原が女子の気持ちが分かるなんて、とても意外だ。
「もう楓もかおりも他の子と組んじゃったしさあ」
鈴木と前田、そういえばあの二人には、あの時から何かと声をかけられるようになったな。
よう影山、調子はどうだい、なんて、映画に出てくる陽気なアメリカ人のように。
「おかげさまでね、好きにやっちゃったわけなんです、てへ」
月島は後頭部に手の平をあて、顎を前に突き出す。
「それは定年間近のおじさんじゃん」
飯田のツッコミが今日は冴えている。
「あ、私も」
夏目は読んでいた文庫本を閉じ、菊地原に「貸して」と言いコントローラーを取る。
キャラクターの選択画面がテレビに映っている。
「お、いいじゃん、ファンキー」
夏目は真っ白なドンキーコングを選ぶ。
「早く」
僕はそう急かされ、何が何だかよく分からないままマリオを再び戦地に送り出す。
私も中身はオジサンって言いたいのか?
確かにタンクトップに短パンは、夏のおじさん、というか、のどかな田舎のおじいさんみたいな感じもするけど、夏目みたく、そんな風にぴっちりは着ないと思う。
「どういうこと」
レディーゴー、という掛け声がテレビから流れる。真っ白なドンキーコングは、ひたすらぐるぐるぐると、ラリアットのような技をその場で繰り出している。
「私も行かない」
「どこに」
「修学旅行。おきなわ。言ってなかったっけ」
「えっ」と夏目以外全員が目を丸くする。
ボタンを連打し続ける夏目の信号を受けたドンキーコングは、一心不乱にその場で回転を続けている。
画面のマリオは生気を失い、まるで吸い寄せられるようにドンキーコングに歩み寄り、何十回目かの回転に巻き込まれ、少し宙に浮き、完全に上の空になった僕に無念の表情を浮かべながら、谷底まで落下していく。
「イエーイ、勝ったー」
無邪気な喜びを爆発させる夏目は、端から指をさしていく。
「影山、菊地原、飯田、千春、わたし。全部で5人」
月島がはっとして、あることに気づく。
「班は、5人ひとくみ」
「俺達も5人だ」
菊地原が、なにやら特別そうに言い放つ。
「てことは......」
飯田がもったいをつけて夏目にパスを出す。
「修学旅行に行かない5人組で、修学旅行に行こう」
夏目がそう言うと、僕を除く4人は大盛り上がりだ。僕は全然意味が分からない。
「ヒナ、ナイスアイディアじゃん」
月島が目を輝かせている。
「ご飯の店は俺が選ぶからね」
菊地原がよだれをたらしそうになる。
「日焼け止めをもっていかないとな」
飯田が海水浴を前提に話を進めている。
「あの、それってすっごく矛盾してる気がするんだけど」
僕は冷静に夏目のおかしな発言を指摘する。
控えめに言ったけど、完全に矛盾してるじゃないか。
月島が僕の肩を叩き、まあまあ、となだめたあと、
「大丈夫だよ、僕達は、心の自由という翼を手に入れたんだから」
と、わざとらしく僕のセリフを引用する。みんなに届いていたのか。大爆笑の渦が起こる。
あの時の感情の昂ぶりと、今のこっ恥ずかしさや嬉しさがごちゃ混ぜになり、僕はどうにうでもなれ、と思ったし、どうにでもなれる、と思った。
ミザルーが、月島の白いワンピースのベッドの中で、にゃー、とひと鳴きする。
夏目が読んでいる文庫本のカバーは月島が手作りしたもので、途中には、月島が作ったおそろいの猫の栞が挟まれている。
僕の書いた小説は、今頃誰かに読まれていたりするんだろうか。みんながいてくれたから書けた小説を、もっともっと、書き続けていきたい、そう心から思う。
みんなの笑顔に僕もあてられて、仕方ないけど笑ってしまった。
痴漢から女子高生を助けようとしたら、クラスの最底辺になった 滝 夕霧 @TakiYugiri
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