二色の手袋の思い出
烏川 ハル
水色と桃色
遅くまで働いた日の夜。
帰宅して何気なくテレビをつけると、アニメ番組を放映していた。
もう小さな子供は眠っている時間だ。アニメといっても低年齢向けではなく、中高生あるいは
知らない番組だったが、そのままボンヤリ見ていると。
画面の中では、激しいバトルが繰り広げられていた。
「見よ! 俺のこの目が貴様を射抜く!」
主人公らしき戦士が、右目からビームを放つ。
対するは、どう見ても悪役という感じの、ぞろりとした黒衣を纏った大男。
「フッ! そんなものが我に通用するものか! おぬしこそ、くらえ! 闇よりもなお暗き、虚無の世界より出でし炎!
「それこそ効かないさ! ……さあ氷の精霊よ力を与えたまえ、
いかにもな台詞を言い合うアニメキャラを見て。
なぜか俺は、学生時代に好きだった女性のことを思い出す。
サークルの
そう。
あれは、冬の日のこと。今日と同じく、雪が降ってもおかしくないくらいに、寒さが厳しい日の出来事だった……。
――――――――――――
腰まで届きそうなくらいに、長い黒髪。いかにも柔らかそうな、ふっくらした頬。アニメや漫画ならば委員長キャラがかけていそうな、丸縁の眼鏡。
俺の「好きな女性のタイプ」が「長髪・黒髪・丸顔・眼鏡」になってしまったのは、彼女の影響に違いない。
彼女と出会ったのは、大学時代の音楽サークル。
大学のサークルというと、誘われて、あるいは自分から興味を持って、入学してまだ
だが俺の場合、一年目は他に所属していたため、そのサークルに入ったのは、二年目になってからだった。
どちらかというと人見知りの俺は、そんな途中入部で馴染めるのか、かなり不安だったが……。まあサークルというものは、入ったばかりは優しくしてもらえるものだ。実際には、それほど心配することもなかった。
そういう事情だったので。
サークル内で同学年に対して、先輩を見るような目で見ていた部分もあったと思う。特に、新歓委員の女の子たち。『新歓』の仕事として俺に色々と教えてくれる彼女たちを、なかなか『同学年』とは感じられなかったようだ。ついつい俺は敬語になってしまい、
「春日くん、なんでタメ口じゃないの? よそよそしいなあ」
と笑われることも多かった。
俺が好きになった彼女も、よく俺の面倒を見てくれる一人だった。
ただし、彼女は別に、新歓委員だったわけではない。係の仕事でもないのに世話を焼いてくれたのだから、優しくて思いやりのある女性だったのだろう。
例えば、夏の合宿。
まだ満足に楽譜が読めなくて――記号としての意味はわかるけど音符を見ても実際の音がイメージできなくて――、困っていた俺に、彼女は救いの手を差し伸べてくれた。
「春日くん、まだ一人で音取り出来ないのね。いいわ、私が教えてあげる」
と、練習時間の
小型の
そう、純粋に『感謝』するべきだったのに。
「どう、わかる? ここ難しいから、もう一回、弾こうか? あるいは、ゆっくりでいいから、自分でキーボード、たたいてみる?」
手取り足取りに近いレベルで、横に並んで教えてくれる彼女に対して。
俺は心の中で「女の子の近くって、いい匂いがして、心がフワフワするのだなあ」などと、違う幸せを感じてしまうのだった。
合宿最終日の夜。
一種の打ち上げなのだろう。全員で集まって、一晩中といっても過言ではないほどの、いつ終わるとも知れぬ飲み会。
時間が経つにつれて、少しずつ人々は場所を移動する。だが、まだ俺にはサークル内で特別に親しい者もおらず、何となく最初の席に座ったまま、一人で適当にスナック菓子をつまんでいた。
それくらいならば部屋に戻って寝てしまう、という手もあったはずだが、何故か俺は宴会場に居座っていた。雰囲気だけでも味わっていたい、という気持ちだったのかもしれない。
そんな俺の横に来て、
「あら、春日くん、一人なの? 楽しまなきゃ、もったいないわ」
と声をかけてくれたのも、長髪眼鏡の彼女だった。
自然と、二人で酒を飲む形になる。俺が一人でいたことから、馴染めるとか馴染めないとか、そんな話題になったのだろう。彼女のことを社交的で羨ましいと言う俺に対して、彼女は、なんとも面白そうに笑った。
「あら、そう見えるの? 光栄ね。フフフ……」
ひとしきり笑い続けた後、落ち着いた彼女は説明する。
「そんなことないのよ、私。高校時代は、むしろ友だちいなくてねえ。いじめられてたってほどじゃないけど、クラスで浮いてたから……。休み時間は、一人でノートにおはなし書いて遊んでたくらい」
「おはなし……? どんな感じの……? ぜひ読んでみたい!」
純粋に『おはなし』に興味があっただけでなく、もっと仲良くなりたい気持ちもあったからだろう。身を乗り出す勢いで俺は頼んだのだが、彼女は手をバタバタ振って拒絶する。
「あら、嫌よ。恥ずかしい内容だし、もう黒歴史だから……。封印だわ、封印!」
そう言って、話題を変えてしまう彼女。
今にして思えば。
昔だから、そんなものまだ存在していなかったが……。もしも今の時代ならば、黒歴史として封印するどころか逆に、どこかの投稿サイトでWEB小説として発表していたのではないだろうか。
まあ、そんなWEB作家的な片鱗はあったとみえて、彼女は時々、面白い擬音語や擬態語を口にしていた。
例えば、その夜も。
「春日くん、日本酒を水のようにクピクピ飲むのね」
と言われたのが――『クピクピ』という可愛らしい表現が――、妙に印象に残っている。
褒められたわけではなかろうに、何となく嬉しくなった俺は、調子に乗って飲み続けて……。翌日は、完全に二日酔い。帰りのバスの中ではダウンしてしまい、また彼女の世話になるくらいだった。
おそらく、この夏合宿くらいの時期だろうか。
俺が彼女を異性として好きだ、とハッキリ自覚したのは。
しかし、だからといって積極的に口説きに行くほど、行動力のある俺ではなかった。
あくまでも、サークルの同学年というだけの間柄だ。サークルのイベントとか、あるいは公式行事ではなくてもサークル仲間で私的に集まる時とか、大勢で一緒に遊ぶ機会は何度もあったのだが……。そこから「個人的に二人きりで遊ぶ」という関係には、発展しなかった。
そうして。
夏が終わり、秋も過ぎて、冬が来る。
夏の間は薄着だった学生たちも、寒くなると、あたたかい上着を着て大学に通うようになる。毎日の通学で、その上着をコロコロ変えるようなお洒落さんは、俺の周りには一人もいなかった。
だから週三回のサークルの練習にも、皆それぞれ、いつも同じ上着で来ることになるのだが……。
黒髮眼鏡の彼女が着ていたのは、雪のように白いダッフルコート。前面に並んだ留め具は――ダッフルコートの場合ボタンではなくトグルと呼ぶそうだが――銀色をしており、遠目で見ると、全体が白一色に見えるようなコートだった。
そんな冬の、ある日のこと。
俺たちの大学は「夏暑く冬寒い」と言われる盆地状の市内に位置しており、その時も「そろそろ雪が降り出すのではないか」と思えるくらいの、寒さの厳しい夕方だった。
大学の授業が終わって、サークルの
そして、ようやく
まだ練習開始時刻ではなかったが、すでに、かなりの人数が集まっていた。皆、思い思いにワイワイ過ごしている。
そんな中。
俺の好きな彼女は、ちょうど入口近くで、ちょこんと座っていた。近くにある掲示板を眺めていたらしい。
「やあ」
横を通り過ぎる時に声をかけると、彼女は立ち上がって、挨拶を返す。
「こんばんは、春日くん」
時間的には夕方だが、冬なので、もう外は暗い。確かに「こんにちは」よりも「こんばんは」が相応しい空気だった。
彼女も、着いてから少しの時間しか経っていないのだろうか。
とはいえ、全身が白一色というわけではない。被ったままの毛糸帽は薄灰色だったし、手袋は
どういう
少しの間、俺の視線は、色違いの手袋に固定されていたらしい。少しだけ不安げな顔で小首を傾げながら、彼女は呟く。
「これ……。ちょっと変に見える?」
「いや、そんなことないよ。とても……」
俺は即座に、否定の言葉を口にする。そこまでは良かったのだが、問題はその先だ。
「……あたたかそうだね」
残念ながら、素直に本心を続けることは出来なかった。「素敵だ」という一言を口にするには、照れがあったのだ。俺は一歩、心の中で引き下がってしまったのだろう。
そんな俺の言葉を、彼女は額面通りに受け取ったらしい。
「えへへ……。そうだよ。とっても私、あったかいの。春日くんは寒そうだけどね」
「そりゃあ仕方ないさ。外を歩いて来たばかりだし……」
「じゃあ……。はい! あったかさのお裾分け!」
微笑みと共に、彼女は腕を伸ばして。
左右から挟み込むような形で、手袋をはめた手のひらを一つずつ、俺の頬にピタッとくっつけるのだった。
あの時、頬で受けた感触は……。
大げさに言うならば、今でも忘れていないくらいだ。
もちろん、手袋に包まれた彼女の手は、とてもあたたかいものだった。
物理的な暖かさだけではない。俺に「あったかさのお裾分け」をしてくれた、彼女の心の温かさも伝わっていた。
同時に。
手袋越しに触れ合ったあの瞬間は、俺と彼女の物理的な距離が――肉体的な距離が――、最も近づいた一瞬だったとも言えるだろう。
だからこそ。
あの手袋の思い出は、俺の心に深く刻まれたのだった。
こうして。
その音楽サークルに所属している間、俺は彼女に淡い恋心を
彼女は大学院を修士課程で卒業し、その後、人に何かを教える仕事――ただし学校の教師ではなく塾の先生のような――に就いたらしい。そこまでは風の便りで聞いたのだが、それ以上は知らない。
でも、あれだけ素敵な彼女のことだ。きっと今ごろは、普通に結婚して、子供にも恵まれて、幸せな家庭を築いているのではないだろうか……。
――――――――――――
昔の想い人を思い浮かべる俺の前では、回想のきっかけとなったアニメ番組が、まだ続いていた。
相変わらず、主人公は片方の目から光線を発している。普通に黒い左目からではなく、
その場面を見て、俺は独り言を口にする。
「これオッドアイって言うんだよな? あと、こういうのに憧れるのを中二病って……」
どちらも、大学時代の俺が知らなかった用語だ。
それらを口にしたことで、あの時の彼女の手袋が――オッドアイのように左右で色違いだった手袋が――、あらためて映像として頭に浮かんでくる。
「今にして思えば……。少し中二病っぽい部分があったのかもしれないな、彼女には」
しみじみと、俺は呟くのだった。
(「二色の手袋の思い出」完)
二色の手袋の思い出 烏川 ハル @haru_karasugawa
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