第14話 現世にて
「さぁて、今日も1日終了っと」
そんな風に独りごちながら、ぼうっと窓の外を眺めます。
夕暮れ。全ての人を家路へと向かわせようとする、優しい橙の光に包まれる時間。日中はあんなにも暴力じみた日の光があまりに優しい光を湛えているところには、本当に自然の素晴らしさを感じずにはいられない。
そう考えると僕、道幸 錬という人間にはまだまだ知らないことが星の数ほどあるのだろうなと考えさせれる。
気に面白く、予想外なものに富んでいるものだと、我が人生に感心させられるなんて一人考えていると、僕の人生の中でおそらく二人といない、面白い人物から声がかかる。
「ご主人サマーお疲れ様でございますっ! なんだか最近溌剌とされていますね」
声の主はクルクルと踊るように姿を表します。
我が相棒にして閻魔大王が有する宝物の一つ、浄玻璃の鏡であらせられる瑠璃さんのご登場である。
僕以外には姿が見えないからって、いきなり声をかけてくるのは心臓に良くない。
その上、ベタリと僕の体にまとわり付いてくるのだから始末に負えないのである。
僕が今時の若い奴だって理解して……いや理解した上で実益を兼ねてまとわり付いてくるのでしょう。厄介な人である。
まぁ僕はというと、からかわれているのも理解してしまっているから、ようやく最近はそれも無視することが出来るようになってきたのですが。
「あぁ、とりあえず気になってた事も解消出来たしね。とりあえずは数歩前進って感じかな」
そう告げつつ、そそくさと机の中に仕舞っていた教材たちを鞄の中に入れていきます。この後大事な要件を抱えているから、こんなところで時間を食っている訳にはいかないのです。
だからこそ極力瑠璃さんを無視しようとしていたのですが、なんともいやらしい手つきで僕の耳たぶを触ってくるではないですか。
「前向きなご主人サマも素敵です……ブヘッ!」
「今日はもう変態さんになるのはやめてくださいね。色々面倒くさいし、この後大事な約束があんですからね」
「あぁん。いけずなご主人サマも大好きですよっ!」
瑠璃さんの今の発言をとりあえず再び無視して荷物をまとめようと机に視線を戻そうとした瞬間、この後約束をしている人物の姿が目に入ったのです。
「お疲れ様です、兼平先輩」
自分が発した声と、立ち上がった瞬間に椅子が弾かれる音だけが教室の静寂を打ち消していきます。
「待ってられなくなっちゃった」
その声は相変わらず、僕をドロドロとした何かにどっぷりと浸らせるように甘やかで苦しくなってしまう。
実際僕の後ろでその声を聞いていた瑠璃さんだって興奮でのたうち回っているし。
正直、その響きに、そして表情に思わず何をするのかも忘れて見惚れてしまう。
いやいや、でもそんなのじゃダメだ。今までと何も変わっていないじゃないですか。
気持ちを切り替えて、纏めた鞄を片手に彼女の前に立ちます。
何だろう、不思議な感覚が僕の中を占めていくのが分かりました。
「あら、この間までと打って変わって、良い顔してるじゃない?」
「いえいえ、そんな事ないですよ」
そうだ。考えてみれば僕は兼平先輩に見惚れるばかりで、彼女を真剣に対話しようと考えたことはなかった。
いつも一方的に、主導権を握られたまま会話を進めていたのである。
だからでしょうか、普段なら赤面してしまうほどの彼女の言葉も素直に受け入れることができました。
「……何かあったのかしら? それとも何かに気付いたのかしら?」
さすがは先輩。その観察眼は大人顔負けである。それで口ごもることはない。怖じ気づくことは決してない。
「まぁ、どっちもですかね」
ワザとつれない口調でそう言いながら、笑みを浮かべてみます。
ふと先輩の表情が陰りを見せ、そしていつも通りの冷静なものに戻る。
少しは一矢報いることが出来たのでしょうか。いやいや、そんなことは問題じゃない。
「ふうん。ねぇ、この間の話なんだけど……」
閑話休題、話を自分のペースに持って行こうとする先輩。
もうそれに流されたままでいようなどとは思わないし、マナー違反だろうけどこの後実はもっと大事な約束を取り付けてしまっているのです。
だから先輩が切り出すまでもなく、自分から切り出してやろうじゃありませんか。
「あぁ、生徒会の仕事の件ですよね?」
さぁどうだ。こっちから切り出されては後手に回るしかないでしょう。フフンとしたり顔をしているのが自分でも分かります。
しかし自分があまりに滑稽だということを次の瞬間に痛感することになるのです。
「あの件ね、答えを急がないことにするわ」
よくて回答を急がれるのか催促をされるのか、そう思っていたのだが、予想だにしなかった先輩の言葉に、思わず間抜けに口を開けてしまいます。
「あら? 意外そうな顔するのね」
「そうゆう訳じゃないですけど……心変わりですか? それとも僕以外に誰か便利な人でも見つけましたか?」
いや、別に不貞腐れているわけじゃない。まぁ彼女より優位に立とうとしたのは否定することは出来ませんが。
そして先輩は追い打ちをかけるようにこう続けます。
「貴方以外に私が面白いって思う人が、本当にいると思う?」
「……あ、いや……」
アウト。僕の完全な敗北である。この人の一言でこんなにも顔が熱くなってしまうなんて。
結局兼平先輩は僕の何枚も上手のようである。この点については時間をかけてうまく切り替えしが出来るようになっていくしかないでしょう。
「ふふふ、これでようやく勝ち越しってところかしら」
だからそんな不敵な笑みを止めてくださいって。
でもまぁささやかな抵抗として、とりあえずこう口にすることにします。
「でも手伝える時は手伝いますよ」
「ふふふ、それは嬉しい提案ね。楽しみにしておくわ」
はい、ささやかな抵抗も路頭に終わりました。戦績としては完全に僕の全敗であることは必至でしょう。しかも僕にしか聞こえない外野も『ヤバい!』だの『こりゃもうイっちゃいましょうよぉ』だなんて言っているのですが、無視するのに越したことはないようです。
「じゃ、人に会う約束があるのでこれで!」
なので今回も戦略的撤退なのである。これ以上彼女の笑顔に当てられていては、今一番に思っているものも霞んでしまう。そんな気がしてならなかったのです。
じゃあね。とかけられる声に会釈をして答えながら、半ば飛び出すように教室を後にします。
教室を出てすぐの階段を駆け上り、約束した場所に向かって足を進めていきます。
さすがに八階建ての校舎なだけあって、これを登って行くのには苦心してしまうのだが、今はそんなことも気にならないくらいに外野がうるさい。
「ご主人サマ……勿体ないー」
そう、先程までのやりとりを惜しい惜しいと咎めてくる、この美しき外野さまである。
「煩い」
「あぁん! つれないお言葉!」
そう、こんな感じで簡単に切り返せたらどれだけ楽なんだろう。
でも楽をしてばかりいられないのも人の性というやつのようで。
「黙っておいてくれない? それに……」
それに息を切らせながら、ようやく目的の場所までたどり着いたのですから。
始めるにはそこがいいと思った。
僕が大切な友達と仲違いをしてしまった場所。大事だと思える人とやり直すには、調度いい場所だって思えたのだ。
校舎の七階。この学校一番の絶景ポイント。
約束通り、彼女はそこにいてくれた。
校庭の大型ライトが照らす明かりのせいで表情を読み取ることは出来ないけど、その姿は見紛うことない、僕の大事な女の子の姿。
「錬、ちゃん……」
「あぁごめんね、呼び出しちゃって」
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