えんま様の言うとおり
桃kan
第1話 戸惑い
これから綴っていくのは、こんな物語。
笑顔だったり泣き顔だったり、怒り顔だったり。場面ごとにコロコロと変化していく、人々の表情を見守っていくだけ物語。
そして人が、自らの人生の最期に、どんな表情を浮かべるのかを知るための物語。
遠くから、誰かが呼ぶ声が聞こえた。
何人もの声。僕の名前を呼ぶ声。
優しい声、怒った声、泣きそうな声。
ただ、喜びを孕んだ響きだけは聞き取る事は出来ない。
呼ばれている事に気付いているのに応えられない事が辛くて、早く目を覚まさなくてはならないのにそれが出来なくて。
閉じていく意識の中で、僕は祈った。
僕が居なくなってしまっても、誰も悲しむ事はありませんようにと。
さて、ここで問題を一つ。
人……いや生き物は、その命が尽きてしまうと、一体どこへいくのでしょう?
この問いに対しては、宗教上の都合だったり各々の死生観だったりで、口にされる答えは様々だと思います。
事実僕も、今この現状に至るまでは、『あの世なんて、死後の世界なんてある訳がない』と思っていたのですから。
死んでしまえば全てが終わり。
自分が積み上げてきたモノの総てが無駄になる。そして身体だって、只の肉の塊になるんだろうなと考えていたくらいなんですから。
あぁ。答え、言っちゃったようなものですね。
そう。全ての生きとし生けるものの魂が、その生涯を終えればあの世へ逝く。
あの世へ逝って、現世で自分が犯した罪を露にされ、それを償う。
そして全てをやり終えたのならば、再び生を与えられるだの何だの……多分に間違いを孕んでいる解釈なのかもしれませんが、概ねその考えで良いはずです。
ちなみに、こうやって話をしている僕も、既に死んでしまったようです。
薄々感じていたのですが、それを認識した瞬間、それが確信に変わってしまったのです。
だって自分の手が、脚が、身体が透けてるんだもの。
いや、アレは本当にビックリしました。それこそ心臓が止まるかもってくらいに。まぁもう止まってるんですけど。
それにしても何で自分が死んじゃってるのにそんなに気軽なんだよ! と思われるかもしれませんが、これでも十分に混乱しているんです。
自分が死んでしまったという実感は確かにある。
それなのに自分が死んでしまった原因が、どうしたって思い出す事が出来ない。
その部分の記憶だけ綺麗に切り取られてしまったようで。
ただ気が付くと、人通りの多い道の真ん中に立ち尽くしていました。
その道は綺麗に舗装され、その先には豪華な宮殿が見受けられる。
しかし綺麗に整備されているのはその道だけ。
少し道を外れてしまえば大地は荒れ果て、空は鉛をたらし込んだように重い。そして遠くの方の空には稲光とメラメラと炎が見えています。
周囲を見回してようやく、自分が今おかれている状況というものが理解出来ました。
「とりあえず、何にも分からないってことが分かっただけなんですけどね……」
そう独りごちながら、ぼうっと大きくそびえ立つ宮殿を眺めます。
自分と同様に、姿が透明になっている多くの人がその宮殿を目指し、疲れ果てながらも歩き続けていました。
「はいはーい、列を乱さないでー。前の人に続いてゆっくり歩いてくださいねー」
道の傍から聞こえてくるのは、そんな野太い声。
いくら透けているからと言っても、あまりに人が多すぎるため、声の主の姿を捉える事は出来ません。
しかし僕もこのままで居続ける訳にもいかない。とりあえずはその声に導かれるままに、僕はその列に並び始めたのです。
「で、並び始めたはいいけど」
自分が死んでしまったというのに、悠長に列に並ぼうなどと何ともお気楽なものだ。
そう自嘲しながら、落としていた視線を上げる。
並び始めてどれくらいの時間が経っただろうか。
荒廃した大地を抜け、ようやく宮殿の中に入ってきたのだが、そこからが凄く長かった。
行けど進めど果てが見えない廊下。
別に待つことが苦痛という訳ではないけれど、いくらなんでも度が過ぎてしまうと誰だって溜め息の一つくらい出るだろう。
何故自分がここにいるのかなんて、もう考え疲れてしまったなと内心考えながら、視線の先にある橙色の灯りをぼうと見つめます。
何もせずにこうしていると、どうしても人の話し声が耳につきます。
どこか皆さん舞い上がっていらっしゃるのでしょう。
自らが送ってきた人生がいかに苦難に満ちあふれていたのかという悲劇的なお話や、どれだけの財を蓄えてきたかという自慢話ばかり。
確かに僕自身も、周囲の人たちがそうしてしまう気持ちも理解する事は出来ます。
しかし僕は思うのです。
亡くなってしまった人の、その人生について語っていいのは残された家族や友人だけだと。
亡者が自らの人生について語るなんて……そんなの馬鹿馬鹿しいじゃないか。それこそ後の祭りだ。
「ーーって訳や。ホンマええ最期やったで。孫もみんな揃って見送ってくれてなぁ。ん、なんや兄ちゃん。自分の最期を覚えとらんからって、人の話を聞かんっちゅうのはいただけへんで」
方言まじりにそう僕に話しかけてきた老人も、周囲の人と同様に興奮気味に話してきたのです。
僕の前に並ぶその人はこちらに振り向きながらニヤニヤと、それこそまるで決壊したダムのように話をやめる様子がありません。
正直うんざりしているんだけどなと内心考えながら、愛想笑いを浮かべて謝罪の言葉を口にします。
「おぉ、まぁええけどな。じゃあ次は仕事の話をしたろう」
あっさりと僕の謝罪を聞き流し、次の話題へと話を進める老人。
聞き手は誰でもいいのでしょう。ただ自分が気持ち良く話をしたいだけなのです。
確かにこの老人、自己顕示欲が元々強いようで、僕に向けられる視線も、どこか蔑んでいるように感じられたのです。
ただ話されるからには、どうしても自分の中に内容は残ってしまいます。
今までの話を自分の中で解釈すると、
曰く、自分自身は多くの財を成し、衣食住には全く困る事はなかった。
曰く、自分は友人の誰よりも成功し、障害になり得るであろう者は排除し続けてきた。
曰く、それでも家族だけは大事にし、最期の瞬間も家族に囲まれ満ち足りていた。
というように老人の語る武勇伝は、本人からすれば素晴らしいものなのでしょう。
同じような人種の人間が見れば、羨望の眼差しを向けられるものなのでしょう。何があったとしても自分の望みを果たさんが為の行為は、許されて呵るべきものなのでしょう。
しかし僕は老人の語った人生を、羨ましいと思えません。
こんな若輩が人生観についてどうこう語るだなんて、あまりに烏滸がまし過ぎる事であると思います。
でも、それでも……だからこそ僕は老人の過ごしたその一生を、『羨ましい』とは思いたくないのだ。
人を傷付けてまで得た富や名声を、僕は決して誇りたくはないから。
そんな事を考えながら、老人の言葉に相槌を打っていると、ついに僕たちは大きな扉の前まで到達していました。
ここまでの道のりを考えると、短いとは言い難いものがありましたが、もうすぐ現状から解放されると思うと、少しは気が楽になります。
「しっかし! 何時までダラダラ並ばせるつもりなんやろか。待ちくたびれてもうたわ!」
何より、この老人から速く解放されたい。
苛立ちを隠さず床を蹴るその姿は、同じように待っている僕や他の人の事をなど考えてすらいないのでしょう。
しかしそう考えていた刹那、
「はーい、お待たせしましたー。次の方、どうぞー」
と野太い声が僕らに投げかけられました。
その気軽さと言ったら……ここは病院の待合室かよとツッコミたくなりましたが、速くこの空気から解放されるのであれば、何だって良い。悪魔が出てきたって良い。
「じゃあな、兄ちゃん。また次会えたらオモロい話、聞かせたるわ」
「はい。お達者で」
老人の後ろ姿にそう投げかけて、歩みゆく彼の姿を見送ります。
正面から相対していた時には感じませんでしたが、少し僕との会話で無理をなさっていたのでしょうか。疲れたように背中を丸めて歩くその姿は、哀愁を感じさせるものでした。
「本当に……貴方の次の人生に、光が溢れん事を」
老人の姿が見えなくなると同時に、僕の口からはそんな言葉が零れ落ちていました。
あれだけ『羨ましくない』『認められるものではない』と断じ続けていたのに、最終的にはそんな考えが自分の中を占めているのです。
だってあの老人も、それに僕だって死んでいるんだ。
これまでの人生について、その人の感性について思う所があっても、これから始まるその人の物語にケチを付ける権利なんて誰にもない。
きっと廊下の優しい灯りのお陰で、苛立っていた心が解きほぐされたのでしょう。
この長過ぎると悪態を吐いてしまった廊下に申し訳ないなと思っていると、扉の隙間から鋭利な何かが覗いた。
いや、これって考えるまでもなく『アレ』ですよね。
「はい、では次の方も中に入ってくださいねー」
先程も響いた野太い声が、再び僕に投げかけられます。
ずっとその声の主の姿を視界に入れてはいませんでしたが、やはりこの声の主、あの世の住人の方でした。
頭からは二本の角。口からはギラギラとした牙が生え、まるでこちらを射殺すかのように鋭い瞳。
その姿はいつか絵本や物語の中で見た、『鬼』そのままでした。
ただそれらと違っていたのは、その鬼が紺色の作業着を着ていたことでしょう。
何故そんな所だけ現世チックというか、ここは町工場かどこかかと思ってしまうくらいだ。
「わ、分かりました」
鬼の方々の言葉に従い、扉を押します。見た目ほどその扉は、少しの力で開ける事が出来ました。
開け放ってみると、一気に明るく広い空間がそこには広がっていました。
チカチカと目が痛い。明る過ぎる場所へと急に移動してしまったせいでしょう。なかなか目が慣れません。
「ここって……」
目が眩んだまま正面に視線を向けると、何やら数名の鬼が、一人を押さえ付けようと揉みくちゃになっています。
少し離れた壇上からは、誰かが大声で何かを指摘していたようですが、あまりに広い空間であるため、ハッキリと聞き取る事は出来ません。
本当に入って良かったのかなと内心疑問に思いもしましたが、とりあえずは壇上に近づく事にします。
歩を進めるにしたがって目も慣れ、響く声もはっきりと聞き取れるようになってきた。
しかし響くそれらの内容が理解出来るほど、目の前で何が繰り広げられているのかが分かる度、歩く脚は重さを増していきました。
「何でじゃ! 別にワシがやった訳やないやんけ。あいつらが勝手に死んだだけやろが! 何でワシが罪人なんじゃ! ふざけんなよ!」
僕が見入ってしまったのは、数人の鬼に羽交い締めにされた先程の老人の怒り狂った表情でした。
あれほどまでに自信に満ちあふれていた表情は、絶望と怒りが綯い交ぜになったモノで塗りつぶされていました。
何か理不尽な言葉を投げられたのでしょうか。
後から来た僕には判断する事は出来ませんが、老人の自尊心は大いに傷付けられたのでしょう。
ジッと黙ったままその一悶着を眺めていると、壇上にいた人物が一喝、こう告げました。
「——まだ駄々を捏ねるか、この痴れ者が! 汝が現世にて好き勝手に振る舞ったが為の判決であろう。通らぬ理屈を申すでない! 疾くその者を三途へと打ち捨ててしまえ!」
壇上に座る人物が放った言葉が響き渡ると同時に、それまで喚き散らしていた老人も勢いを失い、羽交い締めにされたまま、奥の方へと連れて行かれました。
「……」
先程までの喧騒が嘘だったかのように室内は静まり返り、静閑な雰囲気が漂っています。
ようやく冷静に状況を見る事が出来る。
注意深く周囲を見回した後、壇上に座する人物へと視線を移すと、
「む、すまない。年甲斐ものなく大声を出してしまった」
深みのある声で、壇上の彼が僕に対して謝罪を口にしました。
「もしかして……貴方は……!」
無精髭を蓄えた役人風の人物、傍には数人の鬼……まぁ作業着ですが。
つまりこの役人風の人物って、死者に裁きを下すあのお方ではないのでしょうか。
興奮気味に上ずった声で壇上の人物に答えを求めると彼は嘆息しつつ、こう返してきました。
「我が名は『秦広王』。十王が一人にして、汝ら亡者が犯した罪、『殺生』について見通す者なり」
そう。僕も後から知ったのですが、地獄には一番有名な『あのお方』の他に、9名の裁判官的な立ち位置の方がいらっしゃるそうで、順次彼らの裁きを受けていくシステムなのだそうです。
この秦広王、最初の裁判官という事で、亡者一人一人と面談をするそうなのですが、今の所十割の確率で、『あのお方』と勘違いされているそうです。
少し涙目でそんな事を語っていらっしゃったのは、また別の話。
壇上のすぐ側まで歩みを進めると、二本角の鬼が二匹、槍のようなものを手にしてその場で止まるように指示されました。
ふむ。確かに先程の騒ぎを考えるのであれば、鬼さんたちが警戒するのも無理はない。
「我が眼には、嘘偽りは通じず。では少年よ、汝の名を名乗れ!」
真っ直ぐこちらを見据えながら、秦広王がこちらに告げます。
先程までの刺々しい様子が嘘であるかのように、静かにこちらに語りかけるように言葉は発せられました。
名乗られたからには、名乗らないのは無礼というものでしょう。
僕は姿勢を正し、深く頭を下げながら口にします。
自分にとってはあまりに大事な、両親から一番最初にもらった大事なものを。
「み、道幸 錬(みちゆき れん)。十七歳です」
努めて冷静に名を名乗る。
緊張してしまっている。秦広王の黒々とした眼が、じっとこちらを見つめているからだろう。名乗るだけで心臓が早鐘を打ち、喉がカラカラになってしまう。
流石は地獄の王を名乗るだけあって、これまでに出会った誰よりも威圧感を感じさせた。
「よろしい。では汝の罪に……ん、あれ?」
厳格な表情を浮かべ、僕に対する尋問を開始しようとした秦広王。しかし次の瞬間、その表情が困惑した色が付け加えられました。
有り得ない事が起こってしまったと、その事実に驚嘆しているのでしょう。
チラチラとこちらを確認しては、次にどんな言葉を選ぼうかと思い悩んでいるようでした。
こちらからすると非常に居心地の悪い状態なのですが。
「み、道幸くん。君、本当に十七歳?」
「えぇ。こないだ誕生日だったので、十七になったばかりですけど」
「え? ちょ……本当に?」
秦広王の表情の中に、更に困惑の色が滲み出します。
僕の年齢がそんなに意外なものだったのでしょうか。いずれにしても、僕という存在が秦広王が困惑するほどのイレギュラーであるという事は、変える事の出来ない事実なのでしょう。
「何か、まずい事でもあったんですか?」
僕の問いかけに秦広王は何かブツブツと『確かに魂の形はそれぞれだし』とか『勘違いしてるってことも』などと言っていますが、僕の肩の当たりに視線を送りながら、うなり声を上げていました。
いや、こっちに対するケアは何もなしですかなどと考えていると、神妙な表情を浮かべた秦広王はこう呟いたのです。
全く予想もしていなかった言葉を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます