第2話 受け入れなくてはいけない変化
「だって君、百歳くらいまで死ぬ予定がないみたいで……」
「……は?」
百歳くらい? アバウトな彼の物言いも気になったが、何よりその現実味のないその数字にも驚いたのだが、実際に気になってしまったのは、彼が呟いた最後の言葉でした。
死ぬ予定がない。
つまり僕が今死んでいるこの現状は、間違った状態であるのではないのか。
僕が死んでしまった原因が覚えていないのも、それが原因なのではないのか。
「な、何でそんな事分かるんですか?」
そう。いくら地獄の裁判官だとしても、生き物が何時死ぬかなんて決める事が出来るはずもないだろう。
秦広王の困惑からも、それは十分に読み取る事が出来た。
同時に彼が強い確信をもって、僕の死が間違いであると言っている事も理解出来たのです。
自分にとってそれが確信に変わったのは、秦広王が僕の肩を指差した時でした。
「それに君の倶生神も困ってるし……」
「ぐしょうじん……ってうわ!」
想像出来るでしょうか。自分の両肩に人差し指サイズの人間が佇んでいるなんて。
想像出来るでしょうか。そんな彼らが泣きそうな表情をしているだなんて。
彼らはフルフルと顔を横に振りながら、何かを訴えかけていた。残念ながら、なんて言っているかは聞き取る事は出来なかったけど。
「ちなみに、彼らは道幸くんが生まれた時から、君の事を見ている神たちだからね」
おう。何かとりあえずずっと心配してくれてたみたいだ。
一人で不安であったが、生まれてからずっと味方がいた事に安心感を覚えた。
まぁ、今の僕は死んでしまっているんだけど。
「では緊急事態なので、二人の話を聞きたいんだけど良いかな?」
僕の両肩に佇んでいた小人に、秦広王はそう言葉をかける。
渋々ながら二人は僕の肩から飛び退き、壇上に座る秦広王に何やら報告を始めました。
どれくらい黙って三人の会話を見守っていたでしょうか。
こんなに長い間放置されていると、考えたくもないマイナスの感情が頭を占めていきます。
あぁ、今なら先程の老人があれだけ声を荒げていた理由が分かります。
ただ恐ろしかった。今まで自分が為してきた行いに間違いがあったかもしれないという事が。
ただ悔しかったのです。それもしかすると人を傷つけてばかりいたかもしれない自分自身が。
悪は必ず裁かれるべきだ。許されていいはずがない。
それは少ない自分の経験からでも納得することが出来た。
でも僕の場合は一体どうなるのだろうか。
死んだ事が間違いなのかもしれないし、その理由だって全く思い出す事が出来ないのだ。
それで自らの罪を償えとは、そんな理不尽を認めてしまっても良いのだろうか。
でも、それでも、きっと……僕に選択する事が出来ないのでしょう。甘んじて受け入れるほかないのでしょう。
協議する事数分、すっきりとした顔で僕の肩へと戻ってくる倶生神。
「道幸くん、すまないが……」
正面には座する秦広王が見せるのは、最初の内に見せていた神妙な表情。
そして次に放たれた彼の発言は、僕を驚愕させたのです。
「正直私じゃ判断つかんから、違う王の所に行ってもらおうかなって」
分かっていました。だって凄く憑き物がとれたような、すっきりとした表情をなさっているんですもの。
もうこれ、所謂丸投げってヤツじゃないですか。
「って軽いでしょ! 何で、何でなんですか?」
「何でと言われても私も困っちゃうんだよね。一応私って殺生について露にするだけだし。勝手に倶生神を君の肩から降ろしちゃったからさ」
うん、つまりこれって責任放棄というヤツなのか。
否、きっとこれ以上僕に時間を使う事が出来ないというように考えておこうと自分を納得させ、僕は肩を落としてあからさまに落胆した風に見せる。
「とりあえず次の王のところかな……判断に迷って私みたいになるだろうけど。まぁ最終的には彼が全部綺麗に纏めてくれるはずだしね。じゃぁ次の所に案内してあげてー」
「いや、本当に丸投げするの? それってどうなんですかって、ちょっとー!」
思わず大声を出しながら秦広王に詰め寄ろうとしますが、やはり数人の鬼たちが僕の行く手を塞ぎます。
これは確かに近付く事は出来ない。
お顔が恐すぎるのです。作業着なんですけど。
「駄々を捏ねるなー! 次に行くぞー!」
二人の鬼は僕の両腕をグイと掴み、軽々と僕を引きずります。
うん、何だか凄く捕獲されてしまった未確認生命体みたいな気分です。
「いやいや、鬼さんたちも軽すぎでしょ。しかも妙に棒読み臭いし! ちょっと秦広王、こんなんでいいんですか!」
鬼たちにグッと対抗しながら、最後の力を振り絞って秦広王に対して問いを投げかけます。
一連の話の中で、あまり頼りにならないかもしれないと思ったが、最後くらいは何かためになる事を語ってくれるはずだ。
こちらがそんな期待を抱いている事に気付いたのでしょうか。ニコリとこちらに笑顔を向けながら、秦広王は呟きます。
「大丈夫だよ〜ちなみに幸いな事に、君の身体はまだ生きてるらいからね〜」
それは彼から聞いた事の中で最も優しく、最も力強い響きでした。
「いや、その重要報告も軽すぎだろ!」
声高に、そう僕は吐き出した。ただそんな声も虚しく、誰にも受け取られる事もなく、宮殿の広い室内に響き渡ったのです。
これが僕のあの世での、長いようであまりに短い生活の始まりだったのです。
ただこの時の僕にとっては、自分の身体が無事という事だけが唯一の救いだった訳で。
秦広王のおそば付きの鬼たちに連れられる形で、僕は三途の川を越え、荒れた大地を越え、針の山は迂回して通って……おおよそ罪人が通るはずの道をスルーしながら通ってきたせいで、完全な観光感覚で過ごしていたりもしていたのです。
ただ、未だに死んじゃってるんですけど。
「僕、結局どうなったんです?」
幾度目になるだろうか。同じような疑問を、僕は口にしていた。
しかし帰ってくる回答はいつも、『分からない』や『自分では判断出来ない』ということばかりだった。
それにしてもあの世というのは、どうやら時間の経過が希薄らしい。
出来る限り自分がこの状態になってからの日数を数えようとしていたけれど、そもそも昼も夜もないここで、ただの人間だった僕が、それをキチンと認識し続ける事の方が無理と言うものであった。
思えばこの問い掛けをする為だけに、僕はあまりにあの世の奥の方まで来てしまったようだった。
ただこの短いあの世での生活の中で、いくつか確信した事がある。
それはなんだかんだで、あの世の住人は面倒見が良いのだと言う事でした。
僕がこうやって無事に今を過ごせているのも、誰からの助力があるからな訳で。とにかくやはりどんな世界にも純粋な悪人などいるはずがないのだと、改めて実感する事が出来た訳です。
そして今日も今日とて、あの世の関係者の方との面談な訳なのです。
宮殿の一室。小ぢんまりとした室内の中央におかれたテーブルの上には、湯飲みが二つ置かれている。
湯気はユラユラと立ち上りながら、まるでこちらを落ち着かせいてくれるように優しく揺らめいている。
あぁ、こんな事で冷静になれるなんて、僕もあの世に慣れてきてしまったのだろうか。
今回は大柄で髪の毛がまるで紅蓮の炎のように赤い初老の男性。
特筆すべき点といえば、顎髭を蓄えている事くらいでしょうか。
それ以外、特にこれと言った特徴はないのですが、目を惹かれたのはその優し気な瞳でした。
それは秦広王や、この数日間出会った誰よりも深い色を湛えたモノで、これは安心出来るかもしれないだなんて思ったりもしたのだが。
「——ーと、言う訳で、君がここにいる理由は誰も分からないんだよね」
男性から返ってきたのは、先日までと同様の言葉でした。
「分かんないって……」
思わず溜め息を吐きながら、目の前の男性を恨めしそうに見つめてみる。
僕の苛立ちに気が付いたのだろう、男性は頬を掻きながら少しバツの悪そうな表情を浮かべてこう僕に告げた。
「勿論、生者の魂がこのような所に来る事自体があってはいけないことなんだけど」
「でもこれは、そもそも秦広王が……」
そう。僕が此処に留まる切欠を作ってしまったのは、最初に僕の処遇を決定した秦広王だ。
彼の決定がなければ、僕は三途の川を渡る事もなかったはずなのだ。
いや、この現状を誰かのせいにするだなんて間違っている。彼も彼で最善の選択をしてくれていたはずなのだから。
「秦広王もあれはあれで丁寧な仕事をするんだけど、アクシデントにはとにかく弱くてねー。結構皆困ってるんだよね」
男性も秦広王の事を古くから知っているのだろうか、またバツの悪そうな表情を浮かべて湯飲みに口をつける。
「僕、どうなるんですか? 僕の身体、本当に大丈夫なんですよね!」
「その点については安心してくれていいよ。心配しなくても身体の方は無事だよ。それはわたしが保証するからね」
ニコリと笑顔を浮かべて男性は僕の身体の無事を伝えてくれる。
「でも、それならすぐに戻れるんですよね?」
「そうだね。魂が肉体を見失わなければ、確実に戻る事が出来るよ」
「でも結構な時間、僕は身体と離れてしまっているんだと思うんですけど」
そう。一体どれくらいの期間が経過してしまったのかは思い出す事は出来ないけれど、自分でも異常ではないかと思えるくらいに、僕は自分の身体と離れ過ぎてしまっているのだ。
いざ身体の傍まで戻ってみたは良いけど、繋がりがなくて戻れませんなんて事になってしまっては、それこそ行き場所を失くしてしまう。
その事に恐怖してしまっているのだろう。そんな想像が頭を過っただけで、身震いが止まらなくなってしまった。
「うん。本来なら時間の経過に従って、魂と身体の繋がりは薄れていくはずなんだけどね。それが君の場合ないみたいなんだよね」
男性の言葉の通りなら、少しは安心しても良いという事だろう。
ホッと胸をなで下ろしながら、僕も男性と同じように湯飲みに口をつける。
放ったらかしにしていたせいだろうか。湯飲みになみなみと注がれたお茶は、かなり飲み易い温度まで冷めてしまっていた。
「良かった……じゃぁ後は此処から抜け出せさえすれば」
喉を潤し一心地付きながら、ぼんやりそう呟く。
「うん。でもね、こんな状況になってしまった理由を解明しないことには……」
そう。自分の身体が無事であると分かっても、僕の場合はその問題が付いて回る。
「出来れば速く戻りたいんですけど」
自分でもそんな事は叶わないと思いながらも、そう口にせずにはいられませんでした。
いくら気丈に振る舞えると言っても、僕もただの子どもにかわりないのだ。少しくらいの我が儘を言ったって良いだろう。
「分かるよ。勿論その気持ちは分かるよ。だからわたし、君がすぐにでも還れるように手筈を整えておいたよ!」
「あ、ありがとうございます」
呆気にとられながら、男性に返答してしまう。
「いいよ、いいよ〜全然構わないよ。道幸くんには色々迷惑かけちゃったしね」
「でもなんでこんな簡単に物事が進んでいくんだろう。アバウト過ぎるでしょう。本当にここってあの世なの?」
思わず考えている事がそのまま口から出てしまった。
これはさすがに男性も怒ってしまうのではないかと覚悟した瞬間、ポンと優しく大きな手が僕の肩に置かれた。
ビクリと身体を震わせながら、おずおずと男性の表情を見てみると、僕が想像していなかった表情を見せていた。
「そうだよ、ここはあの世。生きてる人がきちゃダメな場所。魂がその穢れを洗い落とす為の場所だね」
「魂の穢れを……洗い落とす」
「まぁこれはあくまでわたしの個人的な解釈だけどね」
そう言って、彼は笑顔を作った。
何故だろう。彼が語ったその言葉が、凄く暖かに心に響いてくる。
少し後、僕はその理由を知る事になるのだけれど、今はまた別の話。
とりあえず男性の語ったあの世についての考え方は、今まで僕が考えもしなかった事だけに非常に興味深いものだと思えたのです。
そしてそう語る男性の、その優しさも同様に興味深いものであった。
「そんな優しくいられるのも羨ましいです」
「まぁわたしも若い頃はやんちゃだったし荒んだりもしたんだよ。でもね、今は家族がいるからね。嫌になっても頑張らないと」
あの世で家族って。ととことん僕の死生観が狂わされるなと苦笑しながら、男性の顔を見据える。
見方によっては呆けている、恍けているとも受けとられかねないその表情が、何故だか羨ましいなと思える自分がいた。
「辛い仕事でしょう? だってあの世だし」
「ははは……でもね、わたしは今の仕事が気に入っているんだよね」
「何か良いですね。そんな風に言えるのって」
「なんせ亡者第一号ですから。年の功ってやつだよ。締めるところは締める。でも普段はこれくらい気を抜かないと、やってられないの」
「亡者第一号って……ん? 最初の亡者?」
何でだろう。
非常に今の言葉が気になる。
何かを完全に失念してしまっているような、その『最初の亡者』って誰かの事を指し示していたはずなのに、それを思い出せないでいる。
それこそ僕が死んだ原因と同様、その部分が切り取られているように感じられた。
今までの会話を整理しようと、自分の考えを必死に頭の中で巡らしていると、ポンと鈍い音が耳に届いた。
男性は自らの両の手を合わせ、思い出したように声高にこう言い放った。
「あぁ、でもボチボチおしまいにしようか」
僕にとっては、待ち望んでいた言葉。
「え、あ……おしまい?」
でも今の整理のついていない現状では、あまりに嬉しくもない言葉だ。
あまりに突然の事に呆気にとられながら、テーブルを叩きながら力任せに立ち上がる。
一瞬、湯飲みがカタンと音をたてて倒れてしまうが、そんな事を気にしていられるような場合じゃなかった。
男性の言葉の真偽を問いつめようと、彼に厳しい視線を送ろうとしましたが、返されたのはあまりに優し気な笑顔。
僕と話を始めてから、ずっと崩さなかった笑顔のままだったのです。
「この後の事は、あの子に任せてるからね」
「いや、急に話進めないで。それにあの子って誰ですか……ッ!」
状況の分からなさに、声を荒げながら男性の傍まで行こうと瞬間、何かに引っ張り上げられるような感覚を覚えました。
まるで何か糸に引っかけられてしまったように、身体の自由が効かないのです。
しかしそんな僕の状況など気にもとめず、男性は話し続けます。
「ん〜なんだかやっぱり君、わたしの若い頃にそっくりだよ。やっぱり似てくるのかな。たまに普通に過ごしている人の中にも顕われるって聞くしね。でもこれって厳密には同じって訳ではないんだけどな〜どこで話が入り組んじゃったんだろうね〜。わたしとしては君や、そして『あの人』と同一に考えられることって、この上なく嬉しい事なんだけれどね」
「ちょ、一気に話さないで……」
全く理解が追いつかない。
同じってどういう事? 人の中にも顕われる? それに彼って一体誰のこと? 様々な疑問が自分の頭の中を駆け巡っていきますが、突然の身体の異変をどうにかしない事には考えられる訳もなく。
「ちなみに緊急措置だから、劇的に変わっちゃうかも知れないけど。じゃ、また今度!」
「だから人の話を聞けー!」
怒号を上げた瞬間、僕の意識は掻き消えました。
結局、僕は男性に振り回されたまま、あの世から退散する事となったのでした。
「ねぇ、あなた……」
声。
女の子の声。
軽やかに、でも確か耳に届いてくる優しい音。
ゆっくりと、瞼を開く。
表情は見えないけど、確かにそこには誰かがいる。
声の主が手にする小さな鏡が反射する光が僕の視界を遮ってしまっているけど、そこには確かに声に違わぬ、優しい女の子がいるのだろうということは想像に容易かった。
その声に、自分は声を発して返事をする事は叶わない。きっと自分の力の及ばない所からその声は投げかけられているのでしょう。
あの世というものを経験したのだから、もうちょっとやそっとの事では決して驚きはしません。
だから何も飾り立てる事なく、普段通りの自分でいようと思うのです。
「あなたはどうなりたい? その魂はどこに向かって漂っているの?」
正直、その問い掛けの意味、全然分からないです。そりゃまだ僕は何も出来ない子どもなのですから、誰かが導いてくれるのなら嬉しいとは思いますよ。
「導くのが我であっても良いの?」
誰が導くとか、そう言うのはどうだって良いんです。
ただ自分がその人を信じれるのなら……自分をその人に委ねたって良い。
「あなたは、どんな人になりたいの?」
そりゃ決まっているじゃないですか。
優しい人に、なりたいですよ。
誰かの支えになるような、誰かを助けられるような。
そんな、優しい人に。
「そうなんだ……」
ニコリと笑顔をつくりながら、最後に少女が呟く。
闇に閉ざされる意識の中で音は聞き取る事が出来なかったけど、口にしようとしている言葉だけはハッキリと理解する事が出来た。
やっぱり、想像通りの人だったと。
慈愛に満ちた表情は、確かに僕にそう告げていた。
これが事の発端。
僕、道幸 錬が生きるもの全ての『生』の在り方について考えていく。
それだけのお話の、始まりです。
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