ある夏の、

神城

ある夏の、


澄んだ青空は、雲ひとつ寄せ付けずに天を占領し、太陽が地を照らし続けている。アスファルトからのぼる熱は、その上を通る人やものを炙り、苦しませていた。アスファルトの隙間からたまに伸びる、碧く輝いた草は、熱気に照らされ揺れている。どこからか聞こえる、夏の風物詩とも言える蝉の声。さらに炙られている感覚へと陥らせる。

「あっづい…」

少年は手で自分の顔を仰ぎながら、申し訳程度の風を感じていた。誰も彼もがうなだれるこの時期に、部活というさらに地獄の組み合わせが少年を襲った。部活用の鞄が重くて暑苦しい。すぐにでも手放して、寄り道をしたい。

少年は、現実から目をそらしたくて、アスファルトの向こう側、草木が生い茂り、公園へと続く道を物欲しそうに眺めた。涼しい風が、そちらの方角から流れて、髪を揺らした。

不意に、その揺れた髪のせいなのか、それとも空気中のゴミのせいなのかは分からないが、両目に激痛が走った。少年は反射的に目を強く擦る。一瞬の暗闇。そして、再び目を見開くと、先程の公園へと続く道の入口に、赤い着物を着た涼しげな少女が佇んでいた。癖っ毛の茶髪が、木漏れ日を浴びてまだらに輝いている。顔は陰っていて良く見えない。

少年は首をかしげた。先程は、このような少女、周りにはいなかったはずだ。しばらく祭りも開かれる予定はないし、今ここに存在するには不自然でしかない着物姿は、もし先程にもこの場所にいたのなら、視界に入った時点で記憶に残るだろう。

少年はつい気になってしまい、部活のことも忘れてその場に立ち止まった。汗が大量に伝っているが、それも気にならないくらい、少女に釘付けになっていた。少女は、自分に注目している少年に気が付くと、右手人差し指を口元に当て、左手で少年を手招いた。そして、公園の奥へと走っていく。少年は、なぜだか追わねばならない、という焦燥に駆られ、捨てたいと思いながらも大事そうに抱えていた部活用の鞄をいとも簡単に投げうって、公園の中へと吸い込まれていった。



少年は、確かに公園の中へと入ったはずだった。

だが、実際に迷い込んでしまったのは、霧が覆う森の中。ここには光も通らない、空も映らない。少年は、自身が鳥籠の中に囚われた小鳥のような錯覚に陥った。不安と恐怖が体を駆け巡る中、その森に紛れ込む赤は、少年を導くように揺れ、奥へと呑み込まれてゆく。

「待って、」

少年は喉から声を吐き出し、赤い蝶を捕まえようとするかのごとく手を伸ばす。

蝶は止まらない。木々の擦れる音で、足音さえかき消されてしまう少女は、気を抜くと霧に紛れて消えてしまいそうな儚さを醸し出していた。それを見失わないように注意深く目で追いながら、草木を掻き分けて、1歩、1歩。

途中、掻き分けた木のささくれが少年の指を傷つけたが、少年は、その痛みも気づかないほど、少女に無我夢中であった。少女は、そんな少年の姿を見て、満足気に微笑んだ。


やがて森を抜け、美しい原っぱへと導かれた少年は、目を輝かせた。膝を覆うほどの長く碧い草が、辺り一面に広がっている。そしてすっかり霧も晴れ、透き通った空が顔をのぞかせていた。その空の色は、少し淀みかかっていたが。少年は、それに対する不信感よりも、このような大自然が身近に存在していたことに感動を覚えていた。学校や部活、人間関係などの社会の歯車から解き放たれた空間。清々しい感覚。

そんな碧い空間から、赤は段々と少年に迫ってきて、目の前で止まった。

近くで見ると、とても美しい少女であった。短く滑らかな栗色の髪、くっきりとして、大きな深緑の瞳、小さく艶やかな真紅の唇。

少女は少年の手持ち無沙汰な両手を掴んで、柔らかく微笑んだ。少年は、その笑顔にすっかり虜になり、同じように微笑んだ。

少女はそのまま少年の腕を伝い、背中に腕を回して、顔を少年の胸に埋めた。線香のような苦く甘い香りが鼻腔をくすぐる。しかし、少年は悪い気はしなかった。少年も、少女のその柔い肌を両腕で包み込んだ。人肌の温もりを、これほどに感じることは、こんなにも気持ちの良いものであっただろうか。少年はもう二度と感じられぬかもしれない心地良さに溺れ、少女を強く抱きしめた。少女もそれに答えるように力を強める。少年はそれらの感覚に酔ううちに、眠気を感じるようになった。眠るまいと歯を食いしばっても、その努力を超越するほどの眠りへの誘いに、少年は逆らうことが出来なかった。やがて少年は頭を垂れ、足の力も抜けて膝をついた。少年を抱きしめていた温もりは、少年の体を原っぱへと、仰向けに横たわらせた。そして少年の体に縋るように馬乗りになり、少年の頬をそっと撫でた。そして、その頬に両手を添え、その寝顔を見て微笑むと、

「ずっと待ち申しておりました」

と、小鳥のさえずりのような美しい言葉を紡ぎ、頬に添えていた手を少年の首の後ろに回し、そっと唇を重ねた。

すると先程まで碧く輝いていた草は、濁った抹茶色へと、そして原っぱを形成していた土だったものは、どす黒く粘ついた沼へと変化し、少年と少女を取り込むように呑み込んでいく。少年も、少女も、それに抗う様子はなく、寧ろ心地よさそうに、共に微笑んでいた。

沼が音を立てて2人を沈めていく。草がそれを隠すように次々と覆い被さる。やがて2人を完全に呑み込んだそれは、少し緑がかったどす黒い沼として、何事も無かったかのようにその場へと留まっていた。



少年は未だ、行方不明のままだ。

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ある夏の、 神城 @kamisiro00

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