2.婚約発表会

その①


 あれから数日が過ぎたある日、私はカイゼルと共に城の一室にいた。そこで明日おこなわれる婚約発表会の細かい打ち合わせと当日着るドレスを選び終えると、明日があるからと言ってすぐ家に帰ろうとした。しかしせっかく来たのだからとカイゼルが言い出し、そのまま城の中を案内されることになってしまったのだ。

(できればもう帰りたいんだけど……)

 正直最初はそう思っていた。だけどゲーム上では一部しか見れなかった城の中を回るうちに、ちゆうからウキウキした気持ちでカイゼルの説明を聞きながら歩き回っていたのである。

 そうしてしばらくカイゼルといつしよに城の中を歩いていると、ろうの向こうから早足で近づいてくるくろかみに黒い軍服を着た人物に気がつき、その顔を見てピシッと固まってしまった。

(あ、あれは……三人目のこうりやく対象者キヤラビクトルだ! 明らかにゲームより若いけどあの顔はちがいない!)


 ※『ビクトル・フェルドラ』

 前髪を後ろにでつけたかみがたの黒髪に黒いひとみじよう。ゲーム時は三十二歳さい

 はくしやくの三男として生まれたため家をぐ必要がなく、成人するとすぐにだんに入った。

 元々けんの実力はあったのだが、騎士団に入り、そこで当時の騎士団長にきたえ上げられメキメキと力をつけた。そうして騎士団長が引退すると同時に次の騎士団長に任命され、歴代でもっとも若い騎士団長となる。

 性格はめんどうもよく部下達からしたわれている。さらにその見た目から多くの女性に言い寄られるが、本人は恋人を作るよりも剣のたんれんの方が重要と考え全く相手にしなかった。

 しかしニーナの護衛役に任命され、彼女のひとがらに触れていくうちにだいかれていくことに。だが騎士団長という立場とニーナが護衛対象だということ、さらには今まで恋をしたことがなかったことが障壁となり、なかなか自分の気持ちを認められずにいた。


 私は自分で書いたビクトルの説明文を思い出しぼうぜんとした。

(まさか、ここで三人目に会うことになるとは……)

 あまりに早い展開にこんわくしていると、ビクトルは私達の目の前で立ち止まり険しい表情でカイゼルをじっと見つめてきた。

「カイゼル王子」

「……ビクトル、そのような険しい顔で一体どうしたのですか?」

「王子……けんじゆつけいの時間をおおはばにすぎています」

「……ああ、そう言えばそうでしたね。しかし今は明日の婚約発表会の事前打ち合わせがあるのでまだ行けない……」

「もうすでに打ち合わせは終わられているとうかがっていますが?」

「うっ!」

「団長が額に青筋を立てながらおうちして訓練所で待っています」

「そ、それは……だいぶ厳しい状況ですね」

「すぐに向かわれた方がよろしいかと思われますが?」

「た、確かに……セシリア、申し訳ありませんが城の案内はここまでにさせていただいてよろしいですか?」

「ええ、私は構いませんよ」

「できればもう少し貴女あなたと一緒にいたかったのですが……これ以上あの人をおこらせると稽古がさらに厳しくなるのです。はぁ~仕方がありません。ビクトル、セシリアを家までお送りしてください」

「……私が、ですか?」

「ええ、団長には私から伝えておきます」

「……わかりました」

 ビクトルがしぶしぶながらうなずいているのを見て、私はあわてて首を振って断りの言葉を告げた。

「いえいえ! 私、一人でも帰れますから!」

(というか一緒にいたくないんです! できればこれ以上関わる攻略対象者を増やしたくないんです!! いくら好きなゲームのキャラであっても!)

 心の中でさけびながら一人で帰れると必死にうつたえてみた。しかしカイゼルはそれを認めてくれず、さらに一度引き受けたのだからとビクトルまでも折れてくれなくなってしまった。

 結果、私はビクトルに家まで送ってもらうことが決定し、ごりしそうな顔で去っていくカイゼルを二人で見送るのであった。

「では、参りましょう」

「……はい、ビクトル、さん」

「セシリア様、私のことはビクトルと呼び捨てで構いません」

「では私のこともセシリアと……」

「それはできません。身分が違いすぎますので」

「私は気にしませんよ?」

「それでもできません。セシリア様、貴女は王太子の婚約者なのですよ? どうかご自覚ください」

「……はい」

 を言わせないビクトルの態度に私はあきらめながら頷きつつも、ゲームと同じ性格になんだかうれしくなった。

(それにしても……改めて近くで見ると、大人なビクトルはカッコイイな! だって私、カイゼルの次にビクトルが好きだったんだよね。いつもは真面目な顔つきをしているけど時々見せてくれるがおが素敵だったり、逆に必死の形相でニーナを守ろうとしている姿は、画面を通してドキドキしたものだよ)

 ゲームでのビクトルを思い出し内心ニヤニヤしつつ、馬車が待機している場所に向かいながらビクトルとの会話を少しではあるが楽しんでいた。すると廊下の向こうから慌ててこちらにけてくる赤い軍服を着た男性に気がつく。

「ビクトル隊長!」

「……どうした?」

「た、大変なんです!」

 あせった様子で私達のもとまでやってくると、かたあらく息をしながら困った表情でビクトルを見上げた。

(ビクトルってやっぱり背が高いな?。一九六センチだっけ。確か設定資料集に書いてあったよね。……しかも今は二十七歳のはずなのにもう隊長なんだ。ビクトルの実力って本当にすごいんだな~)

 そんなことを考えながら、だまってビクトルと騎士の会話を聞いていた。

「隊長! また例の二人がめだしたんです!」

「……またか。放っておけばそのうち収まるだろう」

「それが……今回はさらにひどくなって、とうとうけつとうだと言い出してしまったんです」

「なんだと!?」

「一応周りにいた俺達が必死に止めたんですが……全く聞き入れてもらえなくて。そのまま二人はとうじように向かってしまいました」

「……それはさすがにまずい。あの二人はああ見えて剣のうでは確かだからな。決闘などしたらだけでは済まないだろう」

「ど、どうしましょう!?」

「私が行って止めるのが一番いいのだろうが……私は今、カイゼル王子のご命令で、このごれいじようを家までお送りしなければならないのだ」

「でしたら俺が……」

「いや、私が直接受けた命だからな……」

 ビクトルは困った表情をした。

「ですが隊長! 急がないと二人の決闘が始まってしまいます!」

「くっ!」

「……それでしたら、私がビクトルと一緒に闘技場に行くというのはどうです?」

「なっ! しかしあそこは貴女のようなご令嬢が行かれる場所ではありません! 最悪血を見るかもしれないのですよ!?」

「確かに血はあまり見たくないですが、私のせいで手遅れになってしまうくらいなら私も一緒に行きます。ビクトルがそのお二方を止めたあとで、家まで送っていただければ問題ないですし」

「ですが……」

「隊長! 本当に時間が!」

「っ! ……セシリア様、申し訳ありませんが少し私にお付き合いいただきます。そして……急ぎますので重ねてのご無礼をお許しください!」

「なっ!」

 とつぜんビクトルは私に手をばすと、そのたくましい腕で軽々と私をおひめさまっこしたのである。

 予想外の出来事におどろきの声をあげたが、すぐに落ちないようにビクトルの首につかまった。そんな私をビクトルは優しく見つめてから真剣な表情に変え、私を腕に抱えたまま廊下を駆け出したのであった。

     

 ビクトルは私を抱えているのに全く走りにくそうな素振りも見せず、むしろものすごい速さで駆けていくビクトルに掴まっているのがせいいつぱいであった。そうこうしているうちにようやく目的の闘技場に到着した。

 この闘技場は外から見ると円形状の建物になっており、その中はてんじようがなく周囲に沿ってぐるりと観客席が連なり中心にある広場を見下ろすように階段状になっていた。

 私達はその観客席側からではなく、広場に直接通じる通路を通って大きく開けた場所に出た。すると広場の中心に、赤い軍服を着た二人の男性騎士が向かい合って立っていたのである。

 一人は薄い色のきんぱつに赤い瞳の甘い顔立ちでスラッとした体格、もう一人はい茶色の髪に黒い瞳でいかつい顔立ちのガタイのいい大男だった。しかし二人はそれぞれ抜き身の剣を構え、お互い険しい表情でにらい、全く私達の存在に気がついていない。

 ビクトルはそんな二人の様子を見て小さく舌打ちすると、腕に抱いていた私をていねいに下ろしてくれたのだ。

「セシリア様を頼むぞ」

「はっ!」

 一緒についてきた騎士にビクトルは指示を出し、私に一礼をしてから急いで二人のもとに駆けた。そのしゆんかん、睨み合っていた二人は大きなたけびをあげ一気に間合いを詰めるように走りだしたのだ。

(ヤバイ!)

 私はその二人の様子に息を呑み、このあと起こるであろうさんな状況が頭をよぎった。

 だがビクトルは姿勢を低くしさらに走る速度を上げると、こしに差していた剣をさやごと外し、そのまま引き抜いたのである。そして今にも互いにりかかろうとしている二人の間に割って入ると、それぞれの剣をしゃがみながら抜き身の剣と鞘で同時に受け止めたのだ。

(う、うぉぉぉぉぉ! カッコイイ!!)

 まるでイベントスチルのようなビクトルの姿に、私は思わず目を見開いて興奮しながら見入ってしまった。

(ゲーム上でも戦っているスチルはあったけど、それとは比べ物にならないぐらいリアルはカッコイイよ!)

 さすが本物のはくりよくは違うなと感心しつつじっと成りゆきを見守っていると、決闘をしていた二人が驚いた表情で止めに入ったビクトルを見た。

「ビクトル隊長!?」

「どうしてここに!?」

「……お前達、決闘は騎士団の規則に反することを忘れたのか?」

「うっ、それは……」

「ですが隊長! こいつが悪いんですよ!」

「はぁ? なんだと! お前の方が悪いだろうが!」

「何を言っている! そもそもお前が私にみついてきたからこんなことになったんだろう!」

「それはお前が俺のことを鹿にしたからだ!」

「お前がおかしなことを言うからだ!」

 ビクトルの登場に最初身を縮めていた二人だったが、再び言い合いを始めビクトルに剣で止められている状態のまま睨み合った。

「……テオ、ダグラス、いい加減にしないか!」

「うわぁ!」

「うっ!!」

 二人のいがみ合いにけんしわを増やしたビクトルは低い声でると、受けていた剣と鞘を一気に振り上げ二人の剣をはじき返したのだ。すると二人は下からのりよくにより後ろへり体勢をくずしてしまった。そんな二人をまるで背中から黒いオーラを発しているかのようなビクトルが睨みつけた。

「た、隊長……」

「そんなに剣を振るいたいのなら私が相手になってやろう!」

「い、いやそれは……それに決闘は隊長が駄目だとおっしゃったばかりでは?」

「テオ、だれが決闘と言った? 私はお前達に稽古をつけてやると言ったんだ」

「え!?」

「有無は言わさん」

「うっ、はい……」

 テオと呼ばれた薄い金髪の騎士はうなだれながら返事をした。次に少しずつ後退していたダグラスと呼ばれた濃い茶色の髪の騎士に視線を向け、わった目でビクトルは告げた。

「ダグラス、お前もだ」

「……はい」

 そうして二人はビクトルの前に並ばされると、ビクトルは持っていた鞘を投げ捨て片方の手で剣を構えた。

「さあ、かかってこい! ただし全力でだ!」

 ビクトルが大声で言い放つが、二人は剣を構えたまま動こうとしない。そんな二人を見てビクトルは大きなため息をつくと、剣をにぎっていない方の手を腰に置き、二人を見据えた。

「お前達……規則を破ったばつが一カ月間寄宿舎のトイレそうなのはわかっているな? だが……もし私にひとでも浴びせられたのならその罰をめんじよしてやろう」

「「え!?」」

 ビクトルがニヤリと笑って言うと、二人は驚きに目をみはり、目の色を変えた。

「隊長、その言葉に二言はないですよね? 私、本気でやりますよ?」

「ああもちろんだ、テオ。本気でかかってこい」

「……一太刀でいいのなら俺にも可能性があるかも!」

「ふん、そう上手くいくと思うなよ、ダグラス」

 二人の真剣な様子にビクトルはさらに口角を上げて笑うと剣を構え直した。そして二人もさきほどの恐る恐るといった構え方から一変し、とうをみなぎらせると、まるで示し合わせたかのようにいつせいに駆け出し、ビクトルに向かって同時に剣を振り下ろした。

 目の前で突然始まってしまった戦いにとまい、誰か怪我をしてしまうのではないかとハラハラした。しかしとなりに立っていた騎士があきれた声をあげる。

「あ~あ、ああなった隊長はもう止まらないぞ」

「え?」

「ビクトル隊長は普段は冷静ちんちやくな方ですが、あいつらみたいにきよくたんに団の規律を乱す者がいると特訓という名のしごきが始まるんですよ。それにあの二人はしょっちゅうけんをしては隊長によく怒られていたから……さすがにまんの限界だったみたいですね。あ、でも安心してください。ああなってもさすがに理性は残っていますので二人を殺したり、大怪我を負わすことはありませんから! もちろんビクトル隊長が怪我をされることもないですよ」

 騎士の言葉に再びビクトルを見ると、顔は笑っているのにその目は完全にヤバイ感じがした。

(……確かゲームでもニーナがとうぞくおそわわれそうになった場面でビクトルがブチギレて大暴れしたことがあった。うん、その時のビクトルのスチルも確かあんな目をしていたよ)

 ゲーム画面を思い出し、私は呆れた表情を浮かべながら目の前で繰り広げられる特訓という名のしごきをただただ見るしかなかった。

「だけどめずらしいな……」

「何がですか?」

「ああなった隊長なら、もう数カ所はあの二人に軽い切り傷を負わせているはずなのに全くそんな様子がないんですよ。まあ足でったりつかなぐったりはしているのでぼくはしてそうなんですが……でも切り傷が一つもないのは珍しいんです」

「そ、そうなのですか?」

 不思議そうにしながら見ている騎士の言葉に、私はほおを引きつらせて相づちを打つ。

(普段は一体どんなすごいしごきをしてるの!?)

 全く想像できないと思いながら二人の剣を余裕でかわし、さらに相手のすきを見逃がさずすかさずそこにたたき込むような攻撃を繰り広げているビクトルを見る。

 数分後、明らかに二人の体力が限界まできているのが目に見えてわかってきた。するとビクトルはテオのお腹を思いっきり蹴ってその体を吹き飛ばし、続いてダグラスの横っ腹に柄を叩きつけてその場にうずくまらせた。

 そして二人がその場から動かなくなったのを確認し、ようやくビクトルは剣を下ろしたのである。

「あ~あ、今回は長かったな……まあごうとくだけど。すみませんセシリア様、俺ちょっとあいつらの様子を見てきますので、ここで少し待っていていただいてもよろしいですか?」

「え、ええ私は構いませんが……あの方達はだいじようなのでしょうか?」

「ああ大丈夫ですよ。あれぐらいなら普段の訓練でもよくあることですし、一応俺達騎士ですので体は鍛えていますから。あれなら三晩寝ればすぐによくなりますよ」

「三晩!! それはすごいですね……」

「いえいえ、それに俺達は早くビクトル隊長みたいに強くなりたいと思っているから、こんなことぐらいじゃへこたれないんですよ。そのしように……ほらテオの顔を見てください」

 騎士がテオの顔を指差したので、示された方に視線を向けそして顔が引きつった。

(うわぁ~あんなにやられたのに何? あのこうこつとした表情は……!)

 満足そうな表情で地面にあおけになって倒れるテオを見て思わず引いてしまった。

「ではセシリア様、ちょっと行ってきます」

「え、ええ、いってらっしゃい」

 そうして私から離れていく騎士を見送ると、地面に転がっている鞘を取りにダグラスに背中を向けたビクトルに視線を移した。しかしその瞬間、まだ闘志をみなぎらせている顔のダグラスがさっと立ち上がりビクトルの背中に向かって剣を振り下ろしたのだ。

「危ない!」

 私が思わず叫ぶよりも数瞬早くビクトルは一気に体を反転させ、持っていた剣でダグラスの剣をはらうように刀身をぶつけたのである。

「甘い!」

 ビクトルが言い放つと同時にボキッという大きな音がひびき、ダグラスの持っていた剣のさき部分が折れて吹き飛んだ。

(け、剣を折るって……どれだけ強い力なのビクトルは! ……ってあれ? なんかあの折れた刃先、私に向かってきているような……ってきているよ!)

 宙をい、太陽の光にかがやきながらぐに私の方へ飛んできている折れた刃先を目で追いつつ、足がすくんでしまい全くその場から動けなくなっていた。

うそ……しよけいエンドよりも先に、ここで命を落とすの!?)

 そんな絶望感が私を襲い、恐怖で思わず目を閉じてしまった。

「セシリア様!!」

 ビクトルの焦った声が近くで聞こえたかと思った次の瞬間、大きくて温かい何かに体が包まれ強く体を引かれる。

「うっ……」

 なぜかとても近いところからビクトルの痛みにえた声が聞こえ、私は驚いて目を開けた。すると目の前にはくちびるを噛みしめているビクトルの顔が間近にあったのだ。

「ビクトル!?」

「……セシリア様、お怪我はありませんか?」

「え、ええ私は大丈夫です。それよりも、私をかばってビクトルが怪我をされたのではないのですか!?」

「……これぐらいかすり傷です」

 ビクトルはそう言って私を抱きしめたまま離してくれなかったので、身をよじってなんとかビクトルの腕から抜け出そうとした。

「いいから見せてください!」

「しかし、セシリア様に血を見せるなど……」

「今はそんなことを言っている場合ではありません!」

 私は強く言うと、まだ十二歳という小さな体を生かして下からもぐるようにビクトルの腕から抜け出した。そして私の目に触れないようにかくしている左手を強引に掴み引き寄せたのである。

 その時チラリと地面に深々と突き刺さっている折れた刃先が目に入り、ぶるりと体がふるえたが私は恐怖を抑え込みビクトルの手に視線を向けた。やはりこうには大きな切り傷ができており、そこから血が流れていたのだ。

「っ!」

「やはりセシリア様は見ない方が……」

「いいから黙っていてください!」

 あまりの痛々しさに思わずまゆをひそめてしまったが、慌てて引っ込めようとしていたビクトルの手をしっかりと掴み、私はドレスのポケットかられいしゆうがされている真っ白なハンカチを取り出した。そしてすぐにハンカチを広げるとビクトルの手に巻こうとする。

「いけませんセシリア様! そのような上等なハンカチを使われるなど!」

「ハンカチはこういう使い方もできるのですから、気になさらないでください!」

 強めに言い切ると、傷口を押さえるようにきつく結んだ。

「まあ……思ったほど傷は深くなさそうでしたし、しばらくこうしていれば血は止まると思いますよ。ただあとでちゃんとりようはしてくださいね」

「……ありがとうございます。これは私の血でよごれてしまいましたので、後日必ず代わりのハンカチをおおくりいたします」

「お気になさらずに。ハンカチならまだまだ家にたくさんありますから。それに助けていただいたのは私の方なのですし……ビクトル、助けていただきありがとうございます」

「……本当に間に合ってよかった。もし間に合わなければ……セシリア様のお顔に一生物の傷ができていたかもしれません」

「そ、そうなのですね……」

 どうやら死ぬことはなかったようなのだが、それでも痛い思いをするかもしれなかったと思うと背中にあせが流れた。だけど私以上にショックを受けている顔のビクトルを見て、なんとか気をまぎらわそうとにっこりと笑ってじようだんを言ってみたのだ。

「もし私の顔に傷ができていたら……責任取ってくださったのかしら? な~んて冗……」

「その時は責任を取って貴女を妻に迎える所存です! もちろん貴女が成人を迎えるまで待ちますが」

「……え?」

「確かに貴女はカイゼル王子の婚約者ですが……それでも私が傷を負わせた責任を取ってなんとしてでも貴女を迎え入れます!」

 真剣な表情でじっと私を見つめて言ってきたビクトルに、私は激しくどうようした。

(ちょ、その顔でそのセリフは反則だよ! 前世の私だったら、確実に『よろしくお願いします』と言ってしまうぐらいのかい力だよ……)

 まさか冗談で言ったことをここまで真剣に考えてくれるとは思わなかったので、焦りながらもビクトルを止めることにした。

「ビ、ビクトル、その……とても責任感のある発言は嬉しいのですが、実際はビクトルが助けてくれたおかげで私は怪我などしていないのであまり深く考えないでください! それに……将来ビクトルと相思相愛になる恋人ニーナができるかもしれないですし、その方のためにも私のことなど気にしなくて結構ですからね!」

「……」

 必死に訴える私を、ビクトルはなぜかじっと黙ったまま見つめてきた。

「……姫」

「…………は? ……姫!?」

「私にとって貴女は命をけてでも守るべきお方だと決め、忠誠をちかうことにいたしました。ですから貴女のことはこれから姫と呼ばせていただきます」

「え? いや私は姫と呼ばれるような者では……」

「そもそも貴女はこうしやくのご令嬢で王家とも血縁関係にありますので、姫とお呼びしても全くおかしくはありません」

「うっ、まあそうなのですが……」

「ではこれからは姫と呼ばせていただきます」

「……はい」

 ビクトルの押しの強さに渋々折れ、私は姫と呼ばれることをしようだくしたのだ。

 その後、しようすいしきったダグラスから謝罪を受け、とりあえず事態は無事に収まったのだった。

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