独りでも、自分がいる。


人との軋轢を厭いながら、どうにも軋轢がついて回る人間関係への憧憬を捨てきれずにいる唯。いまいち嵌らない歪なパズルのピース然とした己の価値観と、大衆文化の支柱として迎合されるような他者の価値観との齟齬を恐れて孤高を装いながら孤独でいるのも、数少ない救いとして機能するベースに精神の安寧を委ねるのも、その都度、かつて耳にし、今では自らの手で反芻を試みているほどに胸を打ったあの音色は他者との協合によって初めて人々の元に届きうる代物になれたんだという事実に、或いは懊悩し、或いは急き、或いは気づかないフリをして、時間だけが進んでいくような負の泥沼に人知れず疲弊しながら日々を歩んでいたのだろう唯は、少なからず、誰かがまたこの最悪な場所から掬い取ってくれることを望んでいた。
その望みは、軋轢を軋轢とも思っていないような他者からの心ない一言によって、多数派の定めた追放という、まさに願ってもない形式によって叶った。独りよがりな負の泥沼から猥雑な外界に放り出された唯が聴いたのは、蠱惑的な囁きを内側に響かせる厭世の音色。

20歳という、許されることと許されないこととの線引きが明確にされていく絶妙な年齢と、誰もが目を見張るほどの美人ではないが誰からも相手にされないほどの醜女でもないという容貌の設定が、唯の屈折したアンビバレントな人格の強度をより確固たるものにしていると思います。これだけ緻密で濃密な相互関係のそれぞれを、一つの、それも7000字弱の物語としてまとめ上げているのに驚嘆しました。
唯のその後について、あくまで個人的にですが、厭世を抱えた人間は襤褸布のように擦り切れまくる覚悟を持って声を上げさえすれば、たくさんの人間の琴線の共鳴を成し遂げられる、それだけの力を有しているのだと思います。唯があの後、呪いのようなよすがのような、すべての負の根源でもある己が自己矛盾の象徴を、噎せ返るくらいの孤独が充満する自室で穏やかに爪弾くことを選ぶのか、やっぱり人が恋しくて修羅と哀しみの道を歩もうとするのか、物語の余白として残されている通り、それはやっぱり、一読者の自分には分かりません。ですが、座して死を待つくらいならいっそ精いっぱい優しくぞめいて、いつかは唯の厭世の音色にちょっぴりでも悦びの響きが混じったらいいのにと、個人的には思えて止みません。

いま現在自分を取り巻いている環境と自分の精神状況とに滅茶苦茶クる作品でした。ありがとうございます。