後編

 小舟の上で、キィルは呆然と島を見ていました。体はやっと自由になりました。島は少しずつ崩壊し、海に沈んでいきます。それは不気味なほど静かで、角砂糖が紅茶に溶けるのに似ていました。

 キィルは震える手で、灯台守から受け取った手紙を開きました。






『キィルへ


 きたるべき日のために、この手紙を書いておきます。

 あなたは今、驚きと混乱のさなかだと思いますが、あなたが知りたいと思っていることのはずだから。


 はじまりは、一人の男でした。男は、人でありながら人のことわりから少し外れていました。簡単に言えば、魔法つかいのようなものです。人々は妙な力を使う男をおそれ、嫌悪し、人の輪から排除しました。男は一人ぼっちで、そして寂しがり屋でした。そこで男は、人によく似た自動人形をつくりました。それが、私。


 体は少女を模していても、中身はあまり少女らしくありませんでした。男は少女というものをよく知らなかったので当然です。私の動力はゼンマイで、毎日ねじを巻く必要がありました。それはあまり人間的ではないな、と思った男は、今度は飲食物から動力を得る人形をつくることにしました。中身もより人間らしくしようと、男を受け入れなかった村の様子をこっそり観察したりもしました。

 私をつくるよりもかなり大変な過程を経て、新しい自動人形は生まれました。私はその作業を手伝っていましたが、新しい人形ができたことで、もう自分は不要になるだろうと思っていました。けれど男は、優しく寂しい人間だったので、私を止めることも壊すこともせず、彼のそばに置きました。


 一度設計図が出来上がったものは、複数つくるのも割と簡単なのだそうです。そうして人形をいくつもつくって、誰もいない土地に、彼の村をつくりました。男はいわばつくぬしなのですが、そうした記憶は人間らしさに邪魔だと思い、人形たちには自らを人間だと思い込ませましたし、彼はただの村人として振る舞いました。生活の指針として戒律をつくり、彼らに“仕事”を設定して、人間と交流しなくても村を維持できるようにもしました。この島にも、その名残なごりがあるでしょう。

 男は村の職人として、私は彼の娘として暮らしました。そうしてしばらくは平和な日々が続きました。しかし村が本物の人間に見つかったとき、それは終わってしまったのです。


 どこで知られたのかはわかりません。でも、やはり何かが人間とは違ったのでしょう。人間は「悪魔の村だ」と言って村に火をつけました。私たちは命からがら逃げ出しました。逃げきれず壊された人形もいました。男は深く悲しんで、誰にも見つからない場所へ行くことにしました。しかし陸の上ではどこまでも人間がやってきます。私たちは海に出ることにして、村一つ分の人形が乗るための船をつくりました。大きな船は、ほとんど島のようでした。


 そう、あなたの住んでいた島がそれです。


 男は陸から遠く、船も通ることのないこの海域にいかりを降ろして、つい棲家すみかとしました。男の体は普通の人間でしたし、その頃にはもう老人と言って良い年齢でした。

 男にとって気がかりだったのは、自分が死んだ後の人形たちのことです。彼が最も恐れたのは、やはり人間に見つかって人形が壊されることでした。そのため、監視台としてあの灯台を建てたのです。


 灯台の地下には波の力を利用する機構があって、それを私のねじ巻きに接続しています。これによって、私は灯台を離れられませんが、代わりに男の造った監視装置を稼働し続けることができるのです。ここに設置するのは、複雑な機構の新しい自動人形ではなく、単純なゼンマイ式ゆえに寿命も長い、旧式である必要がありました。男は私をここに置くのを嫌がっていましたが、新しく旧式の人形をつくるのは非効率ですし、何より私自身が、この島の最後を見届けたかったのです。


 こちらへ向かってくる人間の船が監視装置に引っかかると、灯台に明かりがついて、それを見た“伝える者”が私の伝言を受け取りにきます。


“方舟は沈む。汝、為すべきを為せ。”


 これは自動人形たちの感覚や行動を制限するための鍵となる言葉なのです。彼の人形はこれを聞くと、与えられた“仕事”のことだけ考えるようになって、不安も苦痛も忘れてしまいます。その間に、私がこの船を沈める──彼の装置は、こんな仕組みです。男は村を焼かれたとき、人形の苦しむ顔を見て、もうあんな顔をさせたくないと思ったのだそうです。だから錨を降ろす前の記憶も消してしまいました。

 回りくどい仕組みでしょう? でも彼の力は、こういう仕掛けでしか扱えないものでした。悪魔なんてほど遠い、魔法つかいとしても弱々しい、そういう人でした。


 さてキィル、では何故あなたは島を脱出できたのか、不思議に思っていることでしょう。それはあなたの本当の“仕事”に関わっています。


 キィル、あなたはこの島で最後につくられた自動人形でした。あなたは寂しく優しい男の、ただ一つの願いそのものなのです。

 あなたの本当の“仕事”は、“さまよえる者”。あなたはこれから、人間の中で生きるのです。


 こんな話をした後に、その“仕事”は呪いだと思うかもしれません。でもおそらく、彼は人形の間でしか生きられませんでしたが、人の世に何かを残したかったのだと思います。


どうかあなたの行く先に、幸多からんことを。』



 整った文字で綴られた手紙はそこで一度終わり、もう少し新しい紙に、今度は走り書きのような、しかし美しい文字で続きがありました。



『人間の船の行動範囲が広がってきました。

 おそらく、その日は近いのでしょう。


 キィル。私は、あなたを灯台に閉じ込めて共に沈もうとも思いました。人の世であなたがどこまで生きられるかわかりませんし、無残に壊されるかもしれないと思うと、その方が幸せなのではないかと。

 あなたが私を慕ってくれることも、私がこんな風にあなたを想うことも、想定していませんでした。

 けれどキィル、あなたは私の愛した人の希望だから、私はそれを叶えてあげたい。


 私たちの愛しい子、キィル。

 どこまでも我が儘な私たちを、許してください。


    灯台守のマリア』







 手紙を読み終えたキィルは、自分が涙を流していることに気が付きました。そのあまりにもたくさんのことが書かれた手紙を、今すぐ破いて海に流してしまいたい気もしましたが、元通りに畳んで胸元へしまいました。

 島は、いいえ、船は、もうほとんど沈んでしまっていました。少女がいるはずの灯台も、もう見えません。キィルは寂しくて、悲しくて、恐ろしくて、自分の体をぎゅうと抱きしめて震えました。こんなにもたくさんの感情が押し寄せたのは初めてでした。無性に灯台守の声が聞きたくなりました。彼女の声を聞けば全て許せる気がしました。けれどそれも、叶いません。


 そうして泣いて、泣き疲れて眠ってしまったところを人間の船に拾われるのは、それから数時間後のことでした。








 灯台守の少女は、沈んでいく船をじっと見つめていました。それはまるで、魔法が解けるようにぼろぼろと崩れ落ちていきます。それと共に、穏やかな顔の人形たちが海へ落ちていくのも見えました。


「お父様」


 少女は懐かしさを滲ませてそう呟きました。


「キィル……」


 少女は祈りをこめてその名を呼びました。


 やがて少女はひとり、崩れ落ちる灯台のてっぺんに抱かれたまま、海に沈んでいきました。






 不思議なことに、この後やってきた人間がいくら海底をさらっても、船の痕跡は一つも見つけられなかった、ということです。

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灯台守の少女はひとり 灰崎千尋 @chat_gris

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